4話.趣味は猫を撫でること
廊下でランドを見つけたティエラはお辞儀90度を決め、ソルを取り返した。そして、教室についた時には体力がなくなっていた。
残念ながら、ソルはマントを離さなかったので、マントごと拝借することになった。
扉を開けた瞬間、ソルはそそくさとティエラから離れ、自分の席にランドのマントを敷き、その上で満足げに膝を抱えた。
「ソル、凄い注目されてる……」
自分だって、もしクラスメイトたちの立場であったら、絶対に見る自信がある。それぐらい、ソルが引き起こしている光景はインパクトが強い。
ソルは周りの視線をもろともせず、クラスメイトたちの熱いまなざしを独り占めしている。今からあの隣の席に座らないといけないと思うと、ティエラの胃はキリキリと痛んだ。
王立高等学園では、従者も生徒の一人として扱われる。ただし、従者の席は主人の隣に固定されている。
今から自分はあの隣に座らないといけないのかと思うと、ティエラは虚無になった。許されるならば今だけ、他人のふりをしたい。
「もういいや。座ろう……」
ティエラは力なく、ソルの隣に腰を下ろした。クラスメイトたちが、ヒソヒソと噂話をしている。
クラスの中には、先ほどソルと格闘したシュナク王子とその従者、ランドの姿もあった。彼らもソルのことが気になるのか、口を動かすことはしないものの、視線が幾度となくソルに注がれている。
どうやら、あのマント争奪戦の後、彼らもこの教室を目指してきていたようだ。自分たちと同じクラスだと知った彼らは、恐らく絶望しただろう。
まさか王子と同じクラスだとは露ほども知らなかったティエラは、これから何度首を差し出すことになるだろうかと、自分の首を数え始めた。首は一つしかなかった。
「あの子、スポットライトに当たってた子じゃない?」
「じゃあ、マントに座ってるのが従者で、主人の膝の上に乗ったっていう……」
「あんな大勢の前で飛びつくなんて……なんて愛が重いのかしら……」
耳に入ってくる噂の内容がどこか的外れなことに、ティエラは首を傾げた。
入学式で浴びたスポットライトの件は分かる。ソルが膝の上に乗ったのも事実だ。飛びついたのも、言うまでもない。
だが、それが一体全体どうなって『愛が重い』という発想に至ったのか。
だが、噂とは所詮そういうものだと、ティエラは気にしないことにした。というか、これ以上気にする余裕がなかった。
それに、ここで触れなければ自然と消滅していくだろう。なんて強かな女なんだと、ティエラは自分の頭の良さに恐れを抱いた。
「静かにしろー。ホームルームを始めるぞー」
扉が開かれ、大人の男性が入ってきた。教壇に立ち、こちらを向く。ティエラは慌ててソルの足を叩き、膝を下ろさせた。不服だったのか、ソルにじとっと見られたが無視する。
30代前半に見えるその人は、くたびれた金茶色の髪を雑に伸ばし、ダークブラウンの手袋をしている。白のカッターシャツに黒いベストを身に纏っているこの人が、どうやら担任になるようだ。
表情が凄く疲れているように見えるのは、スポットライド事件のことで駆り出されたからだろうか。なんだか申し訳なくなった。
「今から簡単に自己紹介。その後に教材を配るぞ。この後で何人か、教科書運びを手伝ってくれ」
言いながら、担任は黒板に自己紹介する時に伝えることを書きだし始めた。
名前、趣味や得意なことを一つ以上。それから……。
「面倒くさいな……。もうこれでいいか」
まさかの担任が『面倒くさい』という理由で自己紹介の内容をこれで済ませることに、ティエラは一抹の不安を覚えた。
それから、そわそわし始めるソルの足を叩き、また膝を抱えないように注意した。
「まずは……俺からか。1年A組の担任になった、クラッド・キルバだ。趣味は……寝ることだな。得意なこと……どこでも眠れるな」
担任がただのお昼寝大好き人間だったことに、ティエラは気が抜けた。この自己紹介を聞いた後だと、疲れて見える表情がただの寝不足にしか見えない。
「じゃあ、出席番号順からでいいか。始めてくれ」
クラッドに促され、クラスメイトが一人立ち上がっては名前と趣味、または得意なことを一つ上げていく。
この間にも、ティエラとソルの攻防は続いている。
「オジェと言います。特技は、商家なので計算が得意です」
ソルの足を押さえているティエラの耳に、商家という言葉が入ってきた。自分も同じく商家なので、少し親近感が湧いた。
彼と自分の違うところと言えば、従者の有無ぐらいか。というか、どこかで見たことあるような気がする。
入学式で倒れた自分を覗き込んでいたのは彼だったような、違ったような。
彼は自己紹介を終え、そそくさと座った。その次に立ち上がったのは、箱入り娘のお姫様を彷彿とさせる、非常に美しい女性だった。
「ミルダ・バレングロウです。趣味は読書。特技は……そうですね、レース編みを好んでしています」
その後も順調に自己紹介が進んでいき、とうとう自分の番になった。ティエラはソルの足に不安を覚えながら、ささっと自分の自己紹介を終わらせるべく、立ち上がった。
「ティエラです。趣味は猫を愛でること……あ、いえ! 得意なことは猫に好かれること……ぐっ、これも違うっ!」
いざ紹介するとなると、趣味も得意なことも猫に関連することしか出てこなかった。
「まあ、良いんじゃないか? 次」
いい感じの趣味はないかと唸っている間に、先生が強制終了してしまった。やってしまったと、ティエラは熱くなっていく顔を隠すように下を向いて座った。
続いて、ソルが立ち上がった。何故か、彼はご機嫌だ。
「ソルです。ティエラの従者として、学園に来てます。趣味は日向ぼっこ。得意なことは高いところに登ることです」
「おっ、良いな。日向ぼっこ」
クラッドがまさかの反応を返すので、ティエラは嫌な予感がし始めた。
「今度、一緒に日向ぼっこスポットを探しに行きましょう」
「その話、乗った。……乗ったと言えば、そのマントはどうした? 寒がりなのか?」
ソルが立ち上がったことで、座布団替わりになっているマントが見えてしまい、言及されてしまった。ティエラは固唾をのんで見守ることしか出来ない。
「これは最高の毛布です。おススメです」
人から奪ったものをおススメするんじゃないと、ティエラは震えた。とてもじゃないが、王子がいる方は振り向けなかった。
「本格派だな。俺も今度、寝袋を持参するか」
「先生、悪乗りはそれぐらいで……」
これ以上、ソルに聞き心地のいい話をさせてはいけないと思い、ティエラはそっと苦言を申した。
「俺は寝ることに関してはいつでも本気だが?」
「なお質が悪いっ!!」
どんだけ面倒くさいことから逃げたいんだよと、ティエラはとうとうツッコミを入れてしまった。
「教員の好みを押さえ、敢えて従者にその話をさせることで注目を集めるとは……くっ、これも兄上の策略か……っ!」
恐ろしい誤解の加速する音が後ろから聞こえてくる。ティエラはつい、首を触った。
自分の趣味を理解してくれる人物がいたことで、ソルはご機嫌な様子で席に着いた。しかし、ティエラの体力は完全になくなってしまい、この後の自己紹介は右から左だった。
完全に気力を使い果たしたティエラをよそに、ホームルームはつつがなく幕を閉じた。それから、何名かがクラッドの手伝いのため、彼と共に教室を出ていく。
扉が閉まると、シュナクが立ち上がった。ティエラは慌てて姿勢を正し、黒板に穴をあける勢いで見つめた。
教室が一瞬で静まり返る。ソルの前まで来る足音だけが、やけに響く。
満身創痍なティエラの横で、シュナクが立ち止まったのが分かった。
「――マントを返してくれ」
どたんばたんと、教室のあちこちで何かが落ちたり滑ったりする音がした。
ソルは何度か周りを見渡した後、視線をシュナクに戻して言った。
「これはランドのだから」
「そんなことは百も承知だ!」
しびれを切らしたシュナクの声に、ティエラは慌てて席を立つ。片膝をつき、両手を持ち上げてそっと、校舎裏で拾った彼のマントを差し出す。
「こちらが王子のマントです。どうぞ」
シュナクは一瞬固まった後、そっと受け取って呟いた。
「……気が利くな」
そして、再び自分の席に戻っていく。
「俺のマントは?」
「次回、お詫びの品を持ってきます……!」
ティエラは深々と頭を下げるしかなかった。それを知ってか知らずか、ソルはランドのマントに頭を擦りつけて匂いを移していた。




