3話.マントの下は猫の領土
ティエラが不敬罪による斬首を覚悟して首を差し出していると、更なる足音が聞こえてきた。
「殿下! シュナク王子殿下! 一人で勝手に動かれては困りますと、あれほど……」
少しだけ顔を上げ、ちらりと足音が止まった方向を見ると、凄く長い足だけが視界に入った。その人物は、どういうわけか立ち止まってしまい、最後まで発言をしない。
ティエラはどうしても気になって、つい顔を上げてしまった。
そこにいたのはシュナクとソル、そしてティエラを何度も見比べている、長身の人物だった。
短く切りそろえられた紺色の髪と、冷たいほどまっすぐな視線。なにより、シュナクよりも高い背を持つ彼が取る完璧な姿勢は、すごい迫力だった。
「ランドか。俺に指図するなと、いつも言っている」
言動からして、恐らくはランドがシュナクの従者なのだろう。彼はソルとマントの引っ張り合いをしながら、ランドを一蹴する。
それを受けたランドはもう一度、状況を確認するよう、視線を順番に動かした。
まずは地面に首を差し出している令嬢、ティエラを一瞥。
次に、シュナクとマントを取り合う従者、ソルを二度見。そして再び奪ったマントの上で寝ようとするソルを三度見して、深くため息をつくシュナクの顔を視界に収めていた。
数秒の沈黙。それから、ランドが一歩前に足を踏み出した。
――三度見してため息ついて沈黙って、どんな分析タイムよ!
シュナクも随分と濃い人物だったが、その従者を務めている人も、残念ながら色物だった。
「殿下。お戯れもほどほどに……」
「違う! 状況は見たままではない!」
「見たまんまだと思います……」
その言い訳は苦しいと、ティエラはつい、シュナクの敵側に回ってしまった。
そんなティエラを一瞥したランドは眉一つ動かさず、淡々とした声で畳みかける。
「勝手にお一人で行動されるのはお控えくださいと、何度申し上げれば……」
「この流れでまだ説教を続けるの!?」
ランドへのツッコミは、我慢できなかった。
「ランド。もう一度だけ言う。従者という身分でしかないお前が、俺に指図するな」
シュナクは、マントをソルから引き剥がすことを試みながら言った。しかし、ソルが四肢でしっかり掴んでいるため、シュナクのほうが振り回されている。
ランドはその珍妙な光景を真正面から受け止めつつ、静かに返す。
「殿下の身を案じての言葉です。先日の落とし穴事件をお忘れですか?」
「忘れたくても忘れられるか!」
――王族の日常って、そんなサバイバルなの?
シュナクは必死にソルの腕を外そうとしているが、ソルはびくともしない。ただただ丸くなろうとしている。
「王子のマント、ふかふかでいい感じなんで、このままください」
「丸くなるな! 寝るな! 返せ!」
ランドは深いため息を吐いた。
「殿下。説教の途中で恐縮ですが……その者は一体?」
「ソルへの言及が遅すぎる!」
「こいつは……違う!! 俺のじゃない!!」
「弁解も下手すぎるっ! 私の従者よっ!」
大体、俺のじゃないってなんだ。そんなことは誰もが承知している。
ティエラ自身も人のことを言えないのは重々承知しているが、ツッコミが止まらない。
その瞬間だった。
ソルが突然、ランドのほうに顔を向けた。
まるで時が止まったかのように、ソルがじっとランドのことを見つめる。ランドもこれを受け、すぐに警戒態勢に入った。
ソルはランドの変化に気づいていないのか、すっと立ち上がり、よたよたとランドに近づいていく。それはあまりにも無防備で、いつやられてしまってもおかしくない。
事態の急変に置いてけぼりを食らったティエラは、息を止めてしまった。
「何だ?」
警戒を込めたランドの短い問いに対し、ソルは答えない。代わりに、突如としてものすごい速度でランドのマントの裾をつまみ――
「ここも、あったかい」
そのまま、ランドのマントの中にもぐり込んだ。
――やっぱり、もうダメだ。
ランドの顔がこわばる。そして、どうしていいのか分からなくなってしまったらしく、完全に硬直してしまった。
「ば、ばかな……俺が目で追えなかった、なんて……」
「驚愕するところはそこなのっ!?」
首をもう一度差し出さねばと、覚悟を決めていたティエラは、ランドが呆然とする理由を聞いて思いっきり頭を上げてしまった。
「くそっ、なんて奴だ……! ええい、とにかく離れろ!」
自分のマントを羽織り直すのも適当に、シュナクはランドのマントの方に入り込んだソルの胴体を掴み、引っ張り出そうとする。直しが甘いせいで、シュナクのマントは地面に落ちた。
それでもやはり、ソルは必死にしがみつき続けていた。
「これほどの身のこなしを会得している者がいるとは、恐れ入る」
ソルが褒められるのは、ちょっと嬉しいかも。なんて、このタイミングでそんなことを思うティエラも大概だった。
完全に首根っこを掴まれた猫のごとく、固まり続けるランド。下手に動くと、ソルを引きはがそうとしているシュナクに怪我を負わせてしまう。そんな心配があってのことなのかもしれない。
「殿下。この者は従者ではなく、災害です……」
ただの猫に、この国の王子とその従者が振舞わされている。
この事実は絶対、他国に知られてはいけない。ティエラは重大な秘密を持ったことに、一人で勝手に物事を大きく捉えていた。
ランドは、自分のマントの中で丸まったまま、未だ離れようとしないソルを引き剥がそうとするシュナクを見つめている。巨体は二人の攻防をもろともせず、大木のようにその場に佇んでいた。
そして、静かに息を吐いた。
「……殿下。ここは、退きましょう」
「な、なぜだ? こいつを引きはがすまで、俺は——」
「殿下まで巻き込まれては、本末転倒です。この災害は、私の手には負えません」
既に巻き込まれた後だというのは、野暮だろうか。
ランドはソルがくるまっているマントごと、そっと持ち上げた。この光景に、ティエラはびっくりした。
「ソルが抱っこさせるなんて……この人、出来るっ!」
「はっ?」
王子の素っ頓狂な声を聞いたことで、ティエラは口を押さえた。元猫のソルが、家族以外に抱かれるなんて前代未聞であるため、つい叫んでしまった。
自分から触れに行くことはノーカンだとしても、何ということでしょう。
マント越しとはいえ、触らせるを超えて抱っこさせるなんて、それほどにランドの腕の中は心地いいのだろうか。
いや、マントの素材が良すぎるのかもしれない。凄い執着心を見せてるし。
「これ以上ここにいては、殿下の名誉が危険です」
「まだ守るべき名誉が残っているの?」
ティエラの疑問にランドは答えることなく、強引にシュナクを連れて歩き出す。
「お、おいランド! 離せ! まだ話は終わっていない!」
「殿下。退く時は退くのが武士の……いえ、王族の嗜みです」
ランドに連れられ、去っていく一人と一匹。
彼の腕の中で丸まっているソルは、拾われた猫以外の何物でもない。
その場に取り残されたティエラは地面にぺたんと座り込み、大きく息を吐いた。ようやく嵐が過ぎ去ったことで、平穏がやってきたことを噛みしめる。
――あれ、何か忘れてない?
そもそも、なんで今はこんなにも平和なんだっけと考えて、ティエラは立ち上がった。
「ちょちょちょ! ソルまで持ってっちゃったんですけどー!?」
ティエラは大慌てでシュナクのマントを拾い上げ、ランドの腕の中で今も丸まっているであろうソルを迎えに全力ダッシュする羽目になった。




