14話.3つの香り元素
放課後の教室に残っているのはティエラとソル、それから帰り支度をしているオジェだけになった。
ティエラは早く帰りたかったのだが、ソルはこの時間帯に伸びる日差しが本当に好きなので、少しだけ浴びさせることにしている。
窓の外はオレンジ色に染まっていて、机に伸びた影が揺れている。軽く目を細めるソルの姿が、猫だった頃のソルとダブって見えた。
「ソル、今日の香りは平気だったんだよね?」
ソルが目を閉じて夕陽を浴びている中、帰り際にオジェが少し緊張した様子でソルの前に来た。日差しが遮られたことで、ソルは細めていた目を元に戻す。
彼が、昨日までソルに避けられていたことを気にしているのが伝わってくる。
「うん。今日は好き」
ソルは短く答える。それでも、オジェの顔がふわっと明るくなった。
ストレートな言葉でも、照れたり誤魔化したりしないところがソルの魅力だと、ティエラは心の中でべた褒めしていた。
「よかった……! じゃあしばらくは、今日の香水を付けてくることにするよ。ティエラさんにも迷惑かけちゃったし」
「そんな、迷惑だなんて」
ティエラが慌てて否定していると、ソルがぽつりと口を開いた。顔は少し下向いていて、目は何かを映しているようで何も見ていない。
その姿から、何かを思い出しているように見えたのでティエラは口を閉じた。
「昨日までのは、ミカンと……あと二つ混じってた。あれ全部苦手」
「え?」
ティエラは何のことか分からず、思わず聞き返すような声を出してしまった。ミカンの香りすら分からなかったティエラには、あと二つの匂いも分かりようがない。
昨日までの香りを思い出し終えたソルが顔を上げる。その瞳にはオジェがくっきりと映っている。
オジェは、ソルの言葉を聞いて止まっていた。そのまま、ゆっくりソルの方へ顔を近づける。
「ちょっと、待って。作っている現場を見てもいないのに、匂いだけで混ぜてある材料が分かったってこと?」
「混ぜてあるかは知らないけど、うん。三つあったと思う」
「それが何か、言える?」
オジェが恐る恐るといった感じに聞くと、今度はソルが困った顔をした。
「匂いは分かるけど、名前が分かんない。ミカンと……なんか、あれ。煙みたいな匂いと、もう一個もミカンとは違うけど、なんか柑橘系っぽい匂い。苦いみたいな感じの匂い」
ソルの説明を聞いても、ティエラは全く分からなかった。
煙じゃなくて、煙みたいな匂いってどんなんだとも思うし、ミカンとは違う柑橘系なんて山ほどありすぎて、どれか絞れそうにない。
オジェも、完全に沈黙してしまっている。今の説明では流石に分からないよなと、ティエラが同情を寄せていると、彼の目がギラッと光るのを見た。まるで、何かの啓示を受けたかのようだ。
ガッとソルの肩を掴み、オジェは叫ぶ。
「凄い、凄いよソル! 君、天才かもしれない!」
「今ので分かったの!?」
ティエラにとってはそっちの方が衝撃だった。オジェの方が天才ではないだろうか。
「香水はね、3種類の『香り元素』っていうのを混ぜて、一つの香りにするのが基本なんだよ。だから普通、材料全部を嗅ぎ分けるなんて、早々出来ることじゃない!」
「そうなの?」
きょとんとした顔で聞き返すソルとは対照的に、オジェは鼻息を荒くする。完全に、香水師としてのスイッチが入ったらしい。
ものすごい勢いで香水の作り方の基礎などを語っている姿は、新作のパンに熱を上げて語っている自分の両親のようだ。
取り扱う商品は違えども、本気で打ち込んでいる人はやっぱりみんな熱意を持っているものなんだなと、ティエラはニコニコした。勝手ながら、オジェのことを同士に任命する。
一通り話し終えたオジェが、ハッと口を押さえた。
その顔は完全に、やらかしたと言っている顔だ。
「つ、つい語っちゃった……」
「ううん、全然大丈夫」
ティエラは変わらずニコニコ顔が止まらないため、どんどんオジェの顔が赤くなっていく。
語りすぎた後はなんか照れくさくなる、という部分まで共感出来るため、やっぱりティエラの顔は緩んでしまう。
彼が語るのは熱意だけで、決して家代々の技術には踏み込まなかった。しっかりと線引きがされているプロとしての姿勢に、ティエラはますますオジェに共感を覚える。
オジェの、同士としての好感度が物凄く上がった瞬間だった。




