12話.いい匂い
オジェと同じチームで協働戦術学を受けたあの日から、ティエラは少しだけ彼と話すようになっていた。
お互い、気になることを見つけたら声をかけあうくらいの距離感だ。
けれど、ソルはオジェを避けてしまっていた。
気がつくと、ティエラの後ろに隠れていたり、あからさまに横へ逸れたりするのだ。
オジェを観察してみたところ、気にしている様子はない。でも、あくまでそう見えるだけで、本当はショックなはずだ。
ティエラがもしオジェの立場だったらと、軽く想像してみたことがある。とてもじゃないが、ティエラには耐えられなかった。
ソルにあんな風に避け続けられたら、ショックで寝込む自信がある。三日ぐらい、ダメになるだろう。
何故、ソルはオジェのことを避けるのだろう。どうにも、胸の奥がもやもやして落ち着かない。喧嘩したわけでもなさそうなのに。
理由がまるで分からないせいで、何をしてあげればいいのか、あるいはそっとしておいた方が良いのかも分からない。
こんな感じで、ソルとオジェの関係に頭を悩ませていたある日のこと。
「ティエラさんは、今日もクロワッサン?」
「うん! 私の大好物なの」
お昼休憩の時、ソルと一緒に机を寄せて食べていたティエラのそばを通ったオジェが、軽い感じに声をかけてきた。
パンの話に花を咲かせていると、ソルが横ですんすんと鼻を動かしたのが見えた。
――また逃げちゃうのかな。
彼がオジェを避けてしまうのは、本能的なものなのかもしれない。ティエラがそんな風に諦めかけた時、ソルが顔を上げた。
「オジェは今日、なに食べるの?」
「俺? 俺は姉貴が作った普通の弁当だよ」
そういってオジェが見せてくれたのは、淡いピンク色のお弁当箱だった。
「弁当箱が小さい。これで足りるの?」
「いや、これは姉貴が実験台にしたお詫びにって押し付けてきた。やっぱり小さいよね、これ」
オジェは改めて渡された弁当箱を見て、その小ささを嘆いている。それから弁当箱とソル、そしてティエラを交互に見た後、彼は困ったように視線を泳がせている。
彼が何を言いたいのかが分かったティエラは、そっとソルに声をかけた。
「ソル、今日は大丈夫なの?」
オジェが話しかけてきても、ソルはティエラの隣で普通に座っている。背中を丸めて逃げようとすることもなく、むしろ落ち着いた顔だ。
ティエラに問われたソルは、いつも通りに頷いてくれる。その様子を見たオジェが、思いきったように口を開いた。
「その……最近というか、ずっとだけど。俺を避けてたよね?」
「うん」
ソルがあっさり認めるので、オジェが一瞬固まった。ティエラもどうにか間に入ろうとするのだが、ソルががっつりとオジェを避け続けてきたのは事実なので、何も言えない。
「俺、何か嫌われるようなことをした?」
「してないよ?」
今度もあっさり答えるので、ティエラはオジェと顔を見合わせた。
「なら、なんでオジェ君のことを避けるの?」
予想外のことを聞かれたのか、ソルは目をぱちぱちと瞬いてから、あっけらかんと言った。
「今日はいい匂いだから」
沈黙が落ちる。
教室の空気すら一拍置いてから、ティエラとオジェはそろって固まった。
「いい、匂い?」
「うん、今日は平気。ミルクの匂いがする。いつもはミカンみたいな匂い。僕がミカン嫌いなの、ティエラも知ってるでしょ?」
ソルの言うとおり、彼はミカンが苦手だ。もっと言えば、柑橘類はどれも苦手にしている。口に入れるのはもちろんのこと、絞った時に感じる酸味もダメらしい。
恐らくこれは、猫としての感覚が残っているからだとティエラは睨んでいる。
「そういうことだったのか。確かに俺、いつも『月光柑橘』って名前の香水使ってたから、それで避けられてたのか」
ようやく理由を知ったオジェは、空いている方の手を机に置いて身体を支えていた。
同じく、ソルの話を聞いて納得のいったティエラだったが、オジェからミカン系の匂いを感じたことがなかったため、分かってあげられなくて申し訳なく思った。
「月光柑橘って何? あ、一緒に食べよ」
「いいの? じゃあお邪魔しようかな。ティエラさんもいい?」
「どうぞどうぞ」
ソルから人を誘っている光景に、ティエラはジーンと目頭が熱くなるのを感じた。ようやく人らしくなってきた姿を見て、肩の荷がひとつ下りたような気分だった。




