閑話2.メイ編 偏食気味だったために
学園の正門を出ると、夕陽を受けて淡い金色に揺れる大きな絨毯が待っていた。
バレングロウ家お抱えの運転手が乗り込んでいる、飛行絨毯だ。量販型の絨毯バスより一回り大きく、縁にはバレングロウ家の紋章を描いた刺繍が入っている。
「今日はとても楽しかったですわね」
「はい。本日も、お嬢様は輝いておられました」
くるりと振り向いて笑うミルダの微笑みは、今日も天使のようだ。メイはその一歩後ろから静かに頭を下げ、乗り込み口までエスコートした。
絨毯の端に足をかけると、織り込まれた魔力がふわりと反応し、柔らかな反発を返してくる。まさに、高級絨毯に座り込むような贅沢さだ。
「では、お嬢様。上昇します」
運転手が短く告げると、絨毯の模様が淡く輝きはじめた。そして、ふっと身体が軽くなる。
ほんの少しだけ沈み込んだ絨毯全体に、薄い膜が張られる。魔力で作られた保護膜は薄いが頑丈で、景色を楽しむ邪魔をしない。もちろんこれも、高級仕様だからこそだ。一般の絨毯バスではこうはいかない。
魔力の膜によって風も遮断されるおかげで、ミルダの髪が乱れることもない。地面が一歩、また一歩と離れていき、とうとう夕暮れの校舎が手のひらに乗りそうなほどのサイズになった。
飛行絨毯がすぐそばに敷かれている、薄い青色の飛行航路に沿って走り出した。
「まだ3回目だけれど、飛行絨毯は楽しいわね」
「はい、お嬢様。落ちる心配もございません。安心して、お楽しみください」
――仮に魔法の膜がなくとも、全身全霊で阻止いたします。
従者としての使命を胸に秘め、メイは軽く微笑んだ。
それから、外の景色を楽しむミルダを見ながら、メイは今日の出来事を振り返る。
思い出すのは、もちろん今日のお昼休憩だ。学園内で口にする初めての昼食に、ミルダが心底楽しそうにしていた姿を思い出し、メイはゆるみそうになる顔を必死に正した。
同級生のティエラという女子生徒の従者であるソルは、いささかミルダへの距離感が近いことが若干の懸念点だが、今のところ危険はなさそうだ。
何故なら、彼はミルダに10年来のお肉を食べるきっかけを与えた人物だ。ミルダのことを心の底から心配する人間に、悪い人はいない。
お肉を久しぶりに口にしたミルダは勇ましく、まさに自分が仕えるに相応しいお方だと、何度目か分からない事実を噛みしめながら、メイは懐かしい記憶に思いを馳せた。
* * *
今から10年前の冬。
当時のミルダは5歳。そして、自分が7歳だった時の話。
ミルダは少し偏食気味で、特にお肉ばかりを好んで食べていた。
このことに悩んでいた公爵夫妻から、メイド一同はミルダがどうすれば野菜も食べてくれるだろうか、という相談をよくされていた。
無理強いはしたくないが、健康面が不安という公爵夫妻の気持ちも分かる。もちろん、メイも同じ気持ちだった。
しかし、既にミルダ専属の世話係として従事しているメイから提案すると、強要しているように受け取られないという心配もあったようで、公爵夫妻から『メイからは決して言わないように』と仰せつかっていた。
そんな時だった。
みんながどうしようかと頭を悩ませている中、新人のメイドがミルダと庭で散歩をしていた時、冗談交じりに言ったのだ。
「ミルダお嬢様、知っていますか? 実はですね、お肉ばかり食べていると、野生に戻ってしまうと言われているんですよ」
――そんな古典的な。
メイは新人のメイドの冗談を聞いた時、そう思った。
流石にその扱いはミルダに失礼が過ぎるんじゃないかと、メイが一言申そうと口を開きかけた時、袖の裾が小さく引っ張られる感覚に気づいた。
そちらを見ると、ミルダがぷるぷると体を震わせ、俯いていた。
やはり、自分がバカにされたように感じて悔しかったのだと、この時のメイは解釈した。
失礼が過ぎると注意しようとした、その時。
「メイ、わたくしはこのままお肉を食べ続けると、野生に戻ってしまうのかしら?」
ぐっと顔を上げたミルダは涙目になりながら、涙をこぼすまいと必死に堪えていた。
その気丈な振る舞いに、メイは雷に撃たれたような衝撃を受けた。
――なんて純粋無垢なの!
この瞬間、メイは強く誓った。お嬢様のことは、命に代えても守り抜いて見せると。
こうしてメイの、ミルダと共に肉断ちをする日々が始まったのだった。
* * *
「……メイ?」
「はい、どうされましたか?」
「いいえ、ぼんやりしているようだったから。久しぶりのお肉で、少し胃もたれでもしたのかと思ったの。大丈夫そう?」
「ご心配頂き、ありがとうございます。私はこの通り、元気です。お嬢様こそ、お体に居へんなどはございませんか?」
「そう。それは良かった。わたくしも全然平気よ。むしろ、いつもより元気なぐらいだわ」
昔を思い出していたことで、ミルダの声に一瞬反応が遅れてしまった。メイは一生の不覚だと、自戒する。
「帰ったら早速、コックにこれからお肉を出してと伝えなくては」
「そうですね。早く伝えれば、明日には準備ができるかもしれません」
これを聞けば、公爵夫妻もミルダの別ベクトルに走った偏食が直ったと大喜びするだろう。
どちらにしろ、活き活きとしているミルダを見られてメイは大満足だった。




