門出。同じ気持ちで。
多分大丈夫。
幾許かの時が経ち、残暑厳しいながらも、秋の訪れを告げる様な風が吹き出したその日。ユウ=ナルミは念願の住居を手に入れた。
間取りにしてワンルームの狭い賃貸物件であるが、風呂もトイレも付いている。使い勝手の良いキッチンや冷暖房に、『網』環境も完備されていた。本を置くには辛いにせよ、一人暮らしに不自由はなかった。
これも一ヶ月以上もの間、安宿に巣喰い、労働依頼を一生懸命に熟した成果であった。共有語も日常生活では不自由がないものとなっていて、同時に、ユウ=ナルミは若木の芽、木位階への昇格を果たしている。
「ユウさん。おめでとうございます! 第二の人生をもっと楽しみましょうね!」
「二月での若木昇格は、とてもお仕事を頑張った証左ですよ! おめでとーっ!」
「小さくとも、己の城を手に入れたようだの。流した汗は裏切らない。実に目出度いのう」
クラウディアに看護師、そしてポンメル。新たな世界、新たな門出にて出会い、良き友となった人達に囲まれて、ユウのワンルームは喧騒が満ちていた。
両親以外にこんなにも、祝われた事など中学生以来であった。ずっと人を避け、新たな友を得る事など考えもしなかった鳴海 優。今のユウ=ナルミは、少しずつ、己が足でもって進んでいる。
「でも、でも。無理はしちゃ、ダメですよ。ユウさんは、肉体的にはそれ程、頑健ではないのですから」
子供の様にユウへと抱きついて、そんな事を宣うのはクラウディア。既に医師として接されていた頃の威厳は無く、ただの二十歳の小娘となっていた。
「複数の労働依頼をこなしながら、徹夜で絵物語を描く様な無茶は、看護師としても見過ごせません」
「少々年増といえど、見目麗しい淑女なのですから、用心されなされ」
看護師の彼女とポンメルは、先達としての意見をくれる。だが、年増は余計だ。
「念願の住居が手に入ったので、これからは少し緩めますよ」
苦笑してしまうものの、彼女達が心配するのも無理はない。
ユウ自身もオーバーワーク気味だという自覚があった。
受付に紹介された三つの労働依頼にはすぐ慣れた。
時間の余裕もあって、他の依頼にも目を向けた結果、費用対効果を考えて、先ずは言語の習熟を優先する事にした。調べてみた所、事務仕事や代筆などの依頼は単価こそ安いが割合に融通が利いた。締め切りに間に合いさえすれば、達成となるからだ。
これらは、文字の勉強と実践を兼ねての空き時間で熟せる。そして夜にはナイトクラブでの酌婦という、日本に居た頃には考えもしていなかった仕事を始めている。
酌婦の仕事はキャバクラやスナックに似ている。というか、まんまそのものだ。報酬も悪くはなかった。
この仕事もまた、労働依頼からのものだった。
敢えて挑戦してみたのは、共有語習得の為である。
会話の機会を増やすのに都合が良い。一応は交信が使えている為、多少の失敗もリカバリーが効いた。客もまた、理解したい、理解されたいと望みながら癒しを求めて店に来る。
言語の習熟には何よりも慣れが必要なのは経験から知っている事だった。精一杯に生きてやる。その為には慣れぬ仕事でも、楽しんでみたいと思えたからだ。
そのおかげで、かなり早いペースで昇格を果たしている。ついでで、やりたい事も増えた。
「お仕事を減らしても、訓練時間などを増やしていたらダメですよ。休息は大切なんですから」
「ちゃんと、余裕をもってやるつもりですよ」
会話に不自由が無くなり、文字を覚えたユウが、最も興味があるのは術式だった。一応は交信が使えているが、彼女が便利だと考えた翻訳機能はその本質ではないようだ。
本質は、道具や距離、そんな事とは無関係に心を繋げ合えるのが交信であった。ファンタジーでメルヘンである。それでいて、便利でもあった。
そんな、未知の感覚に酔ってしまっている。結果として、スマホや携帯電話などの近い作用をする道具は元居た日本にもあった。
発火や点灯などの基礎術式なども、道具に依って代用が効いたし、こちらでもそういった物品は存在している。
だが、それらは心を繋げる為の道具ではない。感覚的なものであるが、この世界における術式とは、人と人とを繋ぐ為にあるのではないかと、想像してしまっていた。
「色々な術式を見てみたいと思っていますし、使ってもみたいんです。私達の居た所には無いものでしたから。それに、勉強って楽しいですし」
「ユウさんも、大概に好奇心旺盛ですよねぇ」
こんな気持ちでいられる事が、不思議ではある。
斜に構えたオタクであった頃には漫画や小説を読んでいても、アニメを見ても、ゲームをしていても、テンプレや過去作との類似が気になって、純粋に楽しめていなかった。それは知っている。ああ。アレね。などと同好の士にさえマウントを取って、小さな自尊心を満たす事で、己を慰めた気になっていた。
「否定はしませんよ。でも、貴女達だって……」
言ってしまっては何だが、クラウディア達だって似た様なものである。スマホは壊れてしまっていたが、原型を保っていた。彼女達はユウの居た世界の科学技術などに興味津々で、質問責めをされている。
術式と呼ばれるトンデモに慣れた彼女達にとっては、誰にでも、一定の操作で同じ結果を齎すという科学技術は垂涎ものであるらしい。
術具という、それに近しい物こそあるが、術具の作成も個人技能からのものである。才に依らず、資源や時間を使えば創り出せる。それが可能ならば、誰にでも医師や癒士、看護師などに成れて、取り零す事は減るのだろうと、喜んでいた。
正直な話、ユウはそう思わない。同じ道具を揃えた所で、知識や技術には優劣があった。
「ユウさんは、ご自分の世界の優しい思想を軽く見過ぎです。誰もが、同じ事が可能となる。そんな博愛、此処にはあり得ませんもの」
怒り出し、落胆するクラウディアである。
確かに、この世界の人間、否、『人類種』と呼びあう住人達か。その全ては非常に個体差が大きかった。個人ならば可能であるが、他に出来る者はない。そういった事がザラにあった。
性格的なものがあるにせよ、クラウディアは持つ者で、責任感も強い。可能であるからこそ、自分を犠牲にしてでも、他者を救う。投げ出しこそしないものの、それに想う所はある様でもあった。
それなりに知識を得たユウにとって、この世界の持つ者、強者とは、ある意味では生贄にも見えている。だからこそ、まだ二十歳の娘さんであるにも関わらず、才覚に秀でたが故に、多大な責任を背負う彼女が哀れであり、可愛くもあった。
「まぁまぁ。クラウディアちゃん。ユウさんの世界の技術や知識は、大勢の方々が、そうあれかしと望んだ集合知からのものです。私達も少しずつ、身に付けていきましょう?」
そして、看護師の彼女はとても強く、優しい人だとユウは思う。クラウディア達を上手く支えていた。
「まぁ。出来る事をやってみる。今はそれで良いだろう。無理せずに、程々にな」
ポンメルがそう言えば、クラウディアと看護師も同意する。そうしてポンメルはやがて、それでは、某はこれにてお暇仕る。ごちそうさま。と立ち上がった。
彼には乾杯のお酒と共に、食事を出している。仕事あがりである為だ。それらを綺麗に平らげて、もう一杯、お酒をいかがと薦めた後だった。
「祝いで参ったが、淑女の部屋に長居は遠慮しておこう。各々型、息災にな」
目に掛けて、気に掛けてくれているポンメルであるが、行政官である彼は忙しい。強くは引き留めなかった。それに、女性三人の中に男一人というのも居心地が悪いのですよ。などと言われれば、返す言葉もない。彼はそそくさと帰っていった。
「気を使わせてしまいましたかね?」
「生真面目な方ですから、元々長居をする気はなかったでしょう。お気になさらずに」
彼はユウが件の安宿に寝泊まりしていた事を知り、女性一人では危なかろうと心配し、巡回先の一つへとしてくれていた。
都市の行政官が親しく声を掛けるので、安宿の破落戸などの中にもユウへと手を出そうとする輩はいなかった。
そのおかげか、少年達もいつかの様に意気消沈する事がなくなり、ユウの目を愉しませてくれていた。彼には近況報告もしていて、今日は門出を祝わねばな。と、お土産を持って来てくれていたのだ。それはエトナ低層産の、高級お鍋セットである。それもなんと、スキヤキであった。
「ワ食って、すっごく美味しいですよね」
「お肉もお米も、うまうまです」
溶き卵に牛肉を浸して白菜に包み、ネギと共に頬張るクラウディアが幸せそうに宣えば、同様にしながらも、贅沢にも三枚ものお肉をご飯へ乗せてパクつく看護師が舌鼓を打った。ビタロサやシシリアの主食は小麦で、主に食されているのは白パンやパスタなどであるものの、米食も結構好まれている。
ドリアやパエリアだけでなく、寿司や酢飯までもがあった。だが、水の良く湧くシシリアであってもその多くは地形柄硬水で、軟水が湧くのはエトナ火山の一部区域に限るらしい。そのために、稲作の耕地面積は狭く、白米として食されるお米は、結構な高級食材となっている。
「お米食べてると、やっぱり私って日本人なんだなぁと思っちゃいます」
ワ食というのもまんま和食であった。醤油や味噌、干瓢までもが食材店には並んでいたあたり、流石にユウも食事への不安を捨てるしかなかった。
仕事が安定すれば気になるのはやはり食事事情であって、朝はお米派であった彼女には大変張り合いのある事だった。
「私達はユウさんのお人柄を知っていますから良いですけど、ニホンの名を出す事は不要な騒動を招きかねません。中途半端に知識だけがある層は、あまり良く思いませんから」
「クラウディアちゃん、今は私達だけですので、そう堅苦しく言わないであげてくださいよぉ」
「ああ。いえ。私も心構えが足りていませんでした。お二人共、ありがとうございます」
口が軽くなってしまったのはお酒のせいだろう。
米で作られた澄まし酒。清酒とも言うそれは、ユウの居た日本で言う醸造酒、日本酒と同じ様なものである。大陸でのアルコール飲料は度数十を超えるものとされている。度数とは階級にあたる割合で、この清酒は十六。つまり、体質的にはごく一般的な日本人であるユウにとって、結構強いお酒であった。
お値段は張るものの、人気もある。贈答用などともなっていて、クラウディアが、家にあったから。と、持って来ていたお酒でもあった。
「お酒、美味しー」
看護師の彼女はコクリ、コクリと酒を飲む。
「こーら。あまり飲み過ぎると、朝が辛いですよ。お酒は元気が出て、楽しくなるものですが、同時に意識が散漫ともなります。貴女やユウさんはあまり強くないのですから、程々に、嗜んでくださいな」
クラウディアは酒に強いが、ユウや看護師の彼女はそうでもない。ポンメルも酒に強く、寧ろ酔う事がないらしい。体質もあるのだが、こういう事は生まれ育ちによる影響も強いらしかった。
「大丈夫です。というか、残念な事に、これからの私の収入では、あまりお酒を飲む余裕もなさそうですしね」
「クラブで飲まれる事もあるのでは?」
「マダムの方針ですけど、ここだけの話、ウチの女の子へのお酒は、ノンアルコールとなっていますので」
「老獪ねぇ」
ナイトクラブでは酒瓶一つと乾き物。氷と割り物を提供するセット料金の他に、飲食物を注文する事も出来る。
そういったものを女の子達へ振る舞う者もまたあった。大抵は問題ないのだが、中には質の良くない客もいて、女の子を酔わせ、お持ち帰りしようとする者もいるという。
この手管は、そういった手合いへの防衛手段である。お酒の力を借り、元気を出すのは封じられるにせよ、あまり強くもないユウにとっては、ありがたい経営方針であった。
「ある程度は言葉も身に付きましたし、住居も得たので、そろそろ酌婦は控えようと思っていますよ。それ程に、性に合うお仕事ではありませんでしたから」
挑戦し、割の良い収入や、幾らかは身に付くものもあったとはいえ、夜の蝶とも呼ばれる華やかな世界は、オタクであるユウにとってはあまり馴染まぬものだった。
あわよくば、などという欲求が透ける男性の視線も心地良くはなかったし、お世話になったマダムには申し訳ないが、若い女の子達のノリと勢いに混じりながらの接客も結構キツい。
ユウのこれまでの人生においては、気楽な陰ボッチオタクであった時間の方が余程長いのである。若い陽キャ達のノリに着いていくのはしんどかった。
「あら。勿体無い。結構な人気なのだと、聞き及んでおりますのに」
ユウは息抜きや、程々の接待に使う客層には評判が悪くはなかった。社会人経験から相手に合わせる大切さを知っているし、気配りなんかも割と得意である。
「女の子達なんかにも、落ち着きのあるお姉様がいてくれて、お母様と居る様な安心感があるって言われてましたしね」
そりゃぁ、そうだろう。とユウは思う。何せ、本当に親子に近い歳の差があるのだ。大陸の大体の国と同じ様に、ここビタロサの婚姻可能年齢は十五で、飲酒可能となるのは十二である。そしてナイトクラブなどで稼ごうとする女冒険者など、時間も技術も足りていない、十五での登録したての紙位階ばかりであった。
「頼りにしてくれるのは嬉しいんだけどね。実際の私は、まだ手本になれる様な大人じゃないからさ」
ナイトクラブの大抵の同僚は、十五から、良くて二十程度の若い娘さん達なのだ。
大体からして、店主であるマダムもユウの二つ上の三十一でしかない。その娘さんも冒険者であり、学園生のまま十五で既にお店へ出ている。どの子も華やかで可愛らしい娘さんだし、とても器量良しである。
だが、社会人経験を積んできたユウからしてみれば、彼女達はまだまだ思春期の子供でしかない。誰もが悩み多き少女達であった。
「若い子達ですから、素直になれない時や意地を張ってしまう事も多いんですよ。穏やかに聴いてくれて、公平な立場で助言をくれる素敵なお姉様なんて、好きにならない筈もありません」
看護師はそう言ってくれる。まぁ、嫌われてはいないだろうとの自覚もあった。
それに、彼女達は日本の若者と比べると感性がとても幼い。発育は立派だが、情緒的には女性というよりも子供なのだ。酌婦という水商売をしている癖に、魅せる為の化粧をしない。というよりも、マダムや他の女性達もそうなのだが、化粧は成人してからするものだという意識が強かった。手間も掛かるし、化粧品も結構お高い。
基本的には素材の良い娘達なのだが、垢抜けてはいないし、清潔感こそあるものの、磨かれたものでもなかった。
オタクといえど、それなりに現代っ子であるユウは、気配りの仕方や化粧の仕方を教えてみたりしていて、彼女達にはお姉様と慕われてしまっている。
「そうであろう。と自ら望んで努力をするのは立派な大人だと思いますけどねぇ……」
「努力って程のものじゃ、ありませんよ。やってみたい事ですし」
稼ぎの良い酌婦を止して、ユウが現在成りたいと望むもの。それは冒険者としては護衛や警備などの依頼が解禁される鉄位階、錬鉄の士への昇級であった。そこへ至るには確かな実績と、ある程度の実力を兼ね備えねばならない。
「闘いは難しいですけどね。それでも鍛えていれば、危険や被害を減らしたりなら、出来るかもしれませんので」
「素晴らしい異能もお持ちですしねっ! 世界を薔薇色に、染め上げるのですっ!」
「努力家で真面目なユウさんなら、きっとすぐに成れますよ」
「この一定の実力ってのが、かなり厳しいんですけどね。経験もない事ですし」
看護師やクラウディアは持ち上げてくれるものの、それは正直な感想だ。冒険者、それも錬鉄以上の位階には才覚だけでなく、実力も求められた。体力、胆力、戦闘技術。そういったものであり、ユウには経験もないし、素質も恐らくは乏しいものだ。
大陸において冒険者として社会人、一人前と認められるのが錬鉄だ。地域によっては実績のみで認められる場合もあるが、ここシシリアは違う。地域規律でしかないが、錬鉄は大異界である霊峰エトナ火山での一人での活動を認められる位階である。自然険しく霊獣跋扈する異界において、自衛や逃走が可能でなければ認められる事はない。
「それに、私の異能は男性相手だからといって、万能な訳じゃありません。トンデモだらけですし」
ビタロサの、否、大陸か。この世界、その文化や習俗を学べば学ぶ程に、現在の平穏が不思議なくらいの修羅界である。個人が極端に強力な力を持ち得るし、『英雄』や『化け物』、『超越者』などと呼ばれる異常個体が人類種の中にさえ、数多くいる。
「自衛するくらいの力がないと、危険ですしね……」
そういった者達本人や、その親戚縁者である権力者などはとても強い。争いが始まれば被害は甚大であった。乱世が続いた為か、世界は平穏を求めているし、『今の偉い人達』も大抵は真面な人格なので、早々に平和が破られる事もないだろうとは思える。だが、そういう人達だけでなく、一般民衆も力を尊んだ。結果として、安全というものが非常に軽かった。
「ユウさんのギャルハーレムは、危なっかしい子達ばかりですものね……」
呼び方に異議こそあるものの、それもある。あの子達には、警戒心というものがない。ナイトクラブへ客として来る者達は、主におっさん達だった。そこそこお金が掛かる業態である。ナイトクラブは余裕のある富裕層達の社交場だ。大体の人達には家族があるし、安定した稼ぎがあった。
「純粋にお客さんか、せめて恋人探しにとかなら、マダムも私も放っておくのですけどね……」
「騙されてはいけませんよ。紳士ぶった顔をしていても、ヤツらは野獣ですから」
看護師が野獣と呼ぶ、そんな紳士達が何故、足繁くもナイトクラブへと通うのか。その目的は単純であった。純粋な若い娘さんとのワンナイトラブや、愛人として囲おうとするためだ。要するに性的欲求である。不倫や浮気は、戒律に触れるにも関わらず。
「御使なんて地雷があるのに、よくやるよ……」
「猿に理性を求めた所で、詮無い事です」
独身で、伴侶を探しての者達ならばまだよかった。当人達はともかくとして、大きな問題とはなり難いからだ。
だが、そんな男性は稼ぎもあまり良くない方々で、ナイトクラブになどそうそう来れる余裕もない。反対に、身分が安定していて余裕のある客だからこそ、お店の儲けにもなった。
そして、不倫への罰を与える御使の顕現も、それなりにある事象にも関わらず、理由や契機などはまったくもって解明されていなかった。明らかな不倫が行われているのに、顕現しない事も結構あるらしい。
「自分はバレてない。許されているって、思っているのでしょう。とんでもない傲慢ですね」
ちなみに、御使による罰は一応は致命的なものではない。男性の場合は体内の特定の位置へ、破壊も排出も不可能な結石が出来る。結果として激痛を引き起こすそれは、治療不可能な尿路結石であった。
そして、男女共に共通するのは破戒の烙印を刻まれて、それが周知される事だった。烙印を刻まれた者は婚姻や主従などの重要な契約を、一定期間結ぶ事が出来なくなる。事象としても、概念としても。
「男性への罰はともかくとして、女性の場合、社会的立場では致命的ですからね。例え自己責任であるとはいえ、判断力も未熟な子達を巻き込ませる訳にはいきませんから」
この一定期間というのが曲者で、大凡は三十年間程度であった。
その間、戒律を守りながら清く正しく過ごす事で赦された。男性では社会的立場を作るのが難しくなるし、女性も結婚や出産は厳しくもなった。
ユウにはそこまで願望はないが、この世界の女性達は唯一神教会の道徳観の影響が強く、家庭こそを尊ぶ者が多い。店の女の子達の将来の夢も、素敵なお嫁さんが最も多かった。
故に適齢期を棒に降る烙印は、社会的致命傷に近い。とはいえ、実はこれでも、契約違反の代償としては非常に軽いものである。超越種との契約に背いたというのに、呪われないのだから。
「現在では、御使の介入する様な契約もそう多くはありませんけどね。破戒者といえど、慎ましく生きる分には、問題はありませんよ」
穏健派であるクラウディアはそんな甘い事を言うのだが、これにユウは頷けない。
「私が嫌なのは、大人達の自分勝手な都合のせいで、子供達の未来を狭めてしまう事なんです。大人であるのなら、浮気でも不倫でも、自己責任でやれば良いですよ。でも、何も知らない純粋な子達を騙すのは許せません。だからせめて、手の届く範囲くらいは、何とかしたいんです」
入院生活を送っていた中学三年の頃、ユウの周りには頼れる大人が両親以外にはいなかった。かといって心配もかけたくなくて、辛さを吐き出した事もない。
それでも、退院して高校生ともなると担任の先生が気に掛けてくれて、密かにだが嬉しかった。大変だろうけど、力になるから。と言う、十二歳上の既婚者の彼に、憧れがなかった訳ではないだろう。
だが、彼は逮捕、起訴された後に判決を待たず、自殺している。罪状は教え子を含む複数の未成年者への強制性交。数名の同級生も程なくして退学している。残されたのは膨大な物証と、教え子達への心の傷だった。
そういった経験があるので、ユウは少女へ近付く大人の男を信用していない。善人ぶっていても、裏ではどれほどに、浅ましく醜いものが隠されているかと。
それに、未熟な少女達は悪い大人の甘言にコロリと乗せられてしまうものだ。自分にもあった事だ。誰にでも、過ちはあるだろう。だが、だからこそ、未来を奪う様な真似は見過ごせなかった。
「此方では不利益も多い様ですし、避けられるならば、避けるべき事です」
「綺麗な子達が汚いおっさんに弄ばれて不幸になる。そんな未来があって良い筈もないでしょっ! 女の子は女の子同士で、男の子は男の子同士で、愛を育むべきなのですっ!」
「いや、それは摂理に反するんじゃないのかしら」
過激派である看護師は良い事を事を言うのだが、クラウディアは懐疑的である。ユウには解せなかった。
「まぁ、ユウさんの異能は、そういった男性相手にはうってつけですしね。私達の資料的にも!」
益々昂る看護師であった。
「看護師さんには申し訳ありませんが、みだりに使うべき異能ではありませんので……」
「もうっ! なんでユウさんは、私の事を名前で呼んでくれないのですかぁ! クラウディアちゃんは、クラウディアって呼んでくれるのに!」
酔いが回っているのか、プンプンと可愛らしく怒る看護師であるが、ユウにはその名を呼んであげられない理由があった。姓でもだ。可愛い子だし、懐いてくれている。名前で呼び合いたいという気持ちもあった。だが、それでもだ。
「ごめんなさいね。気持ちに整理がついたら、きっと名前で呼べるから……」
「もーっ。私は気にしませんのにー」
既に顔は真っ赤で、フラフラとしている。口当たりの良い日本酒は、水の様に飲めてしまい酔いやすい。
「はい、お水。そろそろ大分お酒も回ってきたみたいですし、お片付けをしましょうか」
クラウディアはそんな看護師の肩を抱き、ユウへとお開きの提案をする。彼女達は本日は泊まりの予定であった。ワンルームとはいえ、身を寄せ合えば三人並んで眠れる。
「なら、片付けは私がやりますので、看護師さんをお願いしますね。寝巻に着替えさせてあげてください」
ありがとうございます。と看護師を着替えさせ始め、頭を下げるクラウディア。
「はい。カドオナちゃん。万歳しましょうね」
その名を聴いてしまい、失礼だと思いつつも羞恥心に震えてしまう。看護師である彼女の名を呼べない理由は、その音にあった。なんせ、名はカドオナ、姓はシオフキである。つまりは、名が角オナであり、姓は潮吹きだ。大きな声では言えないが、ユウとて一時期ハマってしまった自慰方法であった。
「ユウさん……。寂しいですぅ……。もっとカドオナの事を、好きになってくれると、嬉しいですぅ……。一緒に、色んな所へイキたいですぅ……」
寝言であるが、ユウ主観では危険球全開である。看護師の彼女は偶にだが、一人称が自分の名前になってしまう。お酒の席や、気を抜いている時などに。
日本人で小市民のオタクな感性の残るユウには、とても恥ずかしい。百合薔薇信奉者であるが、可愛い娘さんという事もあって、声にするには抵抗があった。
「心配しなくても、大丈夫ですよ。私も、ユウさんも、カドオナちゃんの事が大好きですからね。時間を作って、三人で一緒に色んな所にイキましょうね」
慈愛溢れるクラウディアの言葉だが、正直勘弁して貰いたかった。汚れたユウの頭脳に浮かぶのは、三人揃って旅の先々で角オナでイキまくるというアホな光景である。異世界には随分と慣れてきたのだが、これには慣れる気がしなかった。