何も知らない場所。
web上でも読み易くなる様に改稿。読んで欲しい。そして、ダメな所の指摘や感想も欲しいです。
読み方によっては、暗いお話かもしれません。1話は六千文字程度。ありがちな展開を、主人公らしくない人が、どう生きるのか。そんなお話。
鳴海優が目覚めた時、見知らぬ女性に手を握られていた。白衣を纏った若い外国人らしき女性で、まるで天使の様な美人でもあった。
とはいえ、不思議なものである。日本産まれの日本育ちである優に、外国人の知り合いはいない。
「……ここは?」
「意識が、戻られましたか!?」
掠れた声で尋ねてみれば、外国人の美人さんは驚きと喜びに溢れた声音でそんな事を尋ねてくる。
だが、言葉を返せなかった。
目覚めたばかりだというのに、優はとても眠かった。聞きたい事も知りたい事も、山程ある筈だ。なのに、考えが纏まらない。
強い睡魔に襲われて、意識が遠のいてゆく。それに焦りが生まれるも、眠気には抗い難かった。
それでも、優は一つの事実に安心する事が出来た。この外人さん。日本語が通じるんだなと。
「知らない、天井だ」
思わず呟いてしまった優であるが、たちまちのうちに自己嫌悪に襲われた。
何せこの台詞、大昔に大流行したアニメの台詞である。
無駄に使い易いのか、その後の様々な作品や創作物などにも使われていて、そのオリジナリティの無さを侮蔑していた言葉でもあった。
優はアニメや漫画が好きな、所謂オタクである。それも一家言ある、拘りの強いオタクであった。
故に擦られ続けて来た台詞を呟いてしまい、思わず身悶えた。
散々に駄作の条件とこき下ろしてきた台詞を自ら吐いてしまい、プライドの高いオタクである優が、自省しない筈もない。
一通り身悶えた優であるが、気持ちを切り替えて現状の把握に努める事にする。
全く、何も判らないからだ。
何故、ここで寝ているのかも、ここが何処なのかさえもだ。
苦々しい気持ちで、やはり知らない天井を眺める。意識こそ醒めているが、とても身体が重く、起き上がる事が億劫だった。
——病院かな?
状況からそう考える。何らかの理由で意識不明となり、病院へ運ばれた。それは想像の範疇にあった。
恐らくは個室である。そして、時刻は推定夜であろうと思われた。
カーテンの掛けられた窓ガラス越しに見える空は昏い。室内の灯りとして淡く常夜灯が灯っていて、暗闇ではなかった。だからこそ、知らない天井だと判断している。
寝ているのはベッドの上である。これはかなり大きなものだ。敷布団も掛け布団もかなり良い質の物である様で、寝心地は非常に良かった。
そして布団から出ている自分の腕が、推測を補強した。腕に繋がっているのは注射に管。その先にあるのは、何らかの液体が詰められた袋らしき物。スタンドから吊られたそれは、点滴を行う輸液らしき物であった。
となれば、確かめねばならない事がある。
身体は重いが、全身に感覚はある。あとはそれぞれがちゃんと動くのかであった。最初に、点滴の刺されている左手の指を動かしてみる。重いものの、五指は動く。次に右腕。指も肘も肩も、問題なく動いた。そして右足、左足を動かしてみて、五体満足である事を確認すれば、思わず安堵の吐息が漏れた。
右手を使って掛け布団を剥いでみる。一見では、胸や腹にも異常は無い様に見えた。そのまま触れてみれば感覚はあるし、それぞれに痛みなどもない。
着ているモノは清潔な病衣らしき造りのもの。柔らかな良い生地のようであった。
落ち着きを取り戻した優は、敢えて起き上がりはせずに、そっと布団を戻す。病院であるならば、呼べば人は来るだろう。だが、まだ一人で考えていたかった。
何せ、優の記憶は飛んでいる。
何があって、ここに居るのかが判らない。ぱっと見で怪我などはないので、事故などの線は薄いのではないかと考える。
残っている最後の記憶は出社の為に家を出て、駅まで歩いていた事だった。その道中で意識を失って、救急車で運ばれた。それが想像する事柄なのだが。
室内が快適である事に、ふと優は違和感を覚える。
室内では、空調が駆動している気配がない。なのに、適温だ。
季節は夏で、今年もここ数年と変わらず、酷暑であった。朝から摂氏三十五度を超えていて、湿度も高かった。とても冷房なしでは生活の出来ない毎日だ。
なのに、シンと静まり返った室内は、風がそよぎもしていない。それでも、適温が保たれていた。
室内を見渡してみれば、清潔だが殺風景な部屋である。室内に置かれている調度品も、この寝台のみだった。時計はなく、テレビもない。カレンダーすらさえもなかった。寝台のサイドボードに飾られている花瓶のみが、唯一の彩であった。一輪の、紅く綺麗な花が飾られている。
それ以外は治療に必要であろう物のみで構成された此処は、病室というのに相応しかった。
そうなると、優には焦りが産まれる。
出勤の為に着ていたスーツや、持っていた手提げ鞄は何処にあるのか。
実の所、それらは安物であるので諦めはつく。
だが、財布や手帳、その中の身分証やカード類、そして何よりもスマホが手元にない事はとても心細い事である。
とはいえ、やはりまだ大層眠たくて、朝尋ねれば良いだろうと妥協した。
何も判らない。だが、それでも良かった。思う存分に眠れる夜なんて、十何年振りだかも判らない程に、久しぶりなのだから。
そして朝日を受けて目が覚める。身体の重さは抜けていた。起き上がってみれば、身体もそう重くない。点滴を打たれているので不自由だが、身体を起こすくらいの事ならば支障はなかった。
欠勤となってしまっただろう会社には、早く連絡しないと。そんな風に考えていると、ガチャリと扉が開かれた。
「おはようございます。お加減はいかがですか?」
「おはようございます。よく眠れましたよ」
「それは大変結構です。点滴を替えますね。……? ええっ!?」
部屋へ入って来たのは女性看護師だと、即座に察せた。ヨーロッパ系の美人であるが、彼女はとても判りやすい服装をしている。
「か、か、か、患者さんが! お目覚めになられましたー!」
そして彼女は叫びながら行ってしまう。
開け放たれたままの扉の外からは、朝の喧騒が聴こえくる。これまで音らしい音を拾ってこなかった優の耳には、痛い程の喧騒だった。
程なくして、部屋へ近付いて来る大勢の人達の気配があった。
状況に想像は付く。こういった場合は医師による往診だろうと察せられた。
想像通りに複数の足音は扉の前で止まる。どうやら少々揉めている様で、話し声が聴こえるも上手くは聞き取れはしなかった。
そして僅かな時を置き、先程の看護師らしき女性を伴って、一人の女性が室内へと入って来た。後手で、ガチャリと扉が閉じられる。
「お目覚めですのね。ごきげんよう」
綺麗な女性であった。それは声も、容姿もだ。見間違えはしない。白衣を纏った彼女はあの時、手を握ってくれていた、天使と見紛う程に美しい、あの女性であった。だが、僅かながらの違和感。
「おはようございます。一体、私は?」
穏やかで朗らかな挨拶に、そんな言葉くらいしか返せない。顔に血が昇ってしまうのも仕方がなかった。
ニコニコと微笑む彼女がとても綺麗であるからだ。状況から、彼女に救われたのだろうと思えば嬉しくも、恥ずかしくもあった。
「はじめまして。で、ございますね。私は、クラウディア=ディ・サンタクルスと申します。ここ、州立カターニア総合病院にて奉職する外科医です」
「はじめまして。姓を鳴海、名を優といいます。日本の会社員です」
「あら。これは、失礼いたしましたわ。姓をディ・サンタクルス。名をクラウディアと申します」
優の自己紹介に対し、クラウディアはそう言い直した。名乗られたからには、名乗り返すのが礼儀であろう。所属する社名までは必要はないと考えて、端的な身分で応えている。
彼女の言葉の中には少々聞き捨てならない単語が混じっていたが、そこはそれである。礼儀には替えられない。
「ディ・サンタクルス先生で、よろしいでしょうか」
「クラウディアで、構いませんよ。随分と落ち着いてらっしゃいますのね。痛む所や、気分が悪かったりはしませんか?」
「お陰様で。痛みなどは無さそうです。少々倦怠感はありますが、気持ち悪いとかも、無さそうです」
「それは、ようございました。ときに、つかぬ事をお伺いしますが、記憶に問題はございませんか?」
言われて、少し考える。
出勤の為に家を出た。そこまでの記憶はあるが、それ以降は無い。目が覚めた後の記憶はあるものの、現状に繋がる記憶などはなかった。
その事を正直に伝えてみれば、このクラウディアと名乗った女医さんは、とても悲しげに俯いた。
「そんなお顔、されないでください。記憶の空白に不安が無い訳ではありませんが、私は五体満足で生きています。先生が、救けて下さったんでしょう? ありがとうございます」
それは状況からの推測であるが、そう的外れではないだろう。ならば、礼をするのが筋である。頭を下げるのに抵抗はなかった。
「……お気持ち、頂きますわ。……でも、これならば大丈夫そうですね」
顔を上げた女医さんが微笑んだ。続いた呟きは独り言だろうと思われた。
「容態のご説明をさせて頂いても、よろしいかしら?」
「願ったり、叶ったりです。どうか、お願いします」
そう頼めば女医さんは、看護師さんと頷き合った。
「では、まずはこちらがユウ=ナルミさんが発見された時、所持されていたお荷物になります。どうぞお確かめ下さい」
そう言った看護師さんは、宙空から幾つかのビニール袋らしき物を取り出した。
その中にあるのは、血塗れのボロ布や無惨に潰れた革鞄、そして壊れた機械類であった。
「は?」
血塗れのボロ布には覚えがある。
それはいつも着ているスーツであった。鞄もいつも持ってたものだ。そして、壊れた機械にも覚えがある。
それは先月に買い替えたばかりのスマホであった。だが、優の驚きはそれらにではない。もっと信じられないものを見た。
「ど、どこから……」
仮称ビニール袋に入ったそれらを、ニコニコと差し出してくる女性看護師に問い掛けると、彼女はキョトンとしている。
「あ。ご、ごめんなさい。ショックですよね。こんなに血だらけでボロボロのままじゃ。でも、安心して下さい。所有者確認が取れれば、お洗濯もお修繕も出来ますから!」
優を元気付ける様に声を出す看護師だが、問題はそれじゃない。
スマホは痛いしショックだが、服も鞄も安物で、もういっそ、捨てた方が良いくらいである。
もしや、とんでもない大怪我をしていたのではないか? との疑いを持つも、五体満足は確認している。だから、それらにショックを受けた訳でもなかった。
「……空中から、これを?」
問題なのは、手渡されたビニール袋(仮)の出所だ。
何も無い場所から、彼女はこれらを取り出した。何も無い空間に忽然と、物品のみが現れたのである。
「? 『収納』ですよ。患者さんにはすぐにお返し出来る様に、お荷物をいつでも持ち歩くのは、私達緊急救命の看護師としての嗜みです」
実に誇らしげに言うのだが、何の説明にもなっていない。
そこで、はたと違和感の正体に気付いた。この看護師の女性も欧州風美人であり、その癖に、日本語が流暢だ。だが、言葉と口の動きがまったく同期していない。意識してしまえば、それは途轍もない違和感で。
「これは、確定かしらね」
女医さんの声。優しい声だが、どこか哀れみがある様だった。
「ユウさん。落ち着いて聞いて下さい。着ていた物から判る様に、アナタは瀕死の重症でした。それはまるで、大型の車両に轢かれたか、『怪物』に襲われたかでもした様な。アナタが発見されたのは、大異界、霊峰エトナ火山低層です」
言葉は伝わる。幾つかの単語の意味は判らぬ迄も、瀕死であった事も想像がついた。そしてやはり、唇の動きと言葉が一致していない。
「それと、先程はお気持ちを頂きますと申しましたが、本当にアナタの生命を繋ぎ止め、救ってくれたのは、冒険者の女の子達ですよ。私が行ったのは肉体の損傷を修復し、癒しただけです。彼女達がいなかったら、きっと間に合わなかった事でしょう」
全身に震えが走った。ガタガタと、歯の根が合わない。そう。あの朝、出勤の為に家を出た。そしていつもの様に駅へと向かった。寝不足から体調は良くなくて、フラフラと駅のホームから落ちて、そして——。
「わ、私は死んだのか?」
「いいえ。確りと生きておりますよ。ここは天国でも黄泉路でもありません。ここは、ビタロサ王国がシシリア州立、カターニア総合病院。新たに産まれし生命を寿ぎ、また消えゆく生命を救う、医療の砦にございます」
誇らしげな女医だった。声は優しく、気遣いにも溢れている。だが、優には己が身を抱き、嗚咽する事しか出来ない。戻った記憶と、今更ながらの恐怖に。
「大丈夫です。もう、怖くはありません」
そんな優を抱きしめるのも女医だった。子供をあやす様にして、優しく背中を叩かれた。
「少し、おやすみなさって」
「どこにもいかない?」
「ええ。アナタが落ち着くまではね」
「ありがとう……」
柔らかな女医の胸に抱かれて、優は微睡の中へと沈んでゆく。まるで母の胎内にある様な、穏やかな心持ちで。
「眠っちゃいましたね」
「仕方ないでしょう。肉体の修復が済んだばかりです。生命力の消耗は多大ですし、あの大怪我では、余程に怖い思いをされたのでしょうしね」
残念そうにする看護師を嗜めるクラウディアだ。彼女の胸元では患者である女性が眠っている。
「でも、転移者かもしれないんでしょう? お話聴かないで、大丈夫なんですか?」
「あまり、人を色眼鏡で見るものではありませんよ。ユウさんは理性的で落ち着きがありました。言語だって、通じていたでしょう? 共有語を話せない転移者の方は少なくありません。ですが、私達には『交信』があります。理解し合おう、心通わそうという想いが共にあれば、通じ合えるのです」
「ロマンチストですよね。クラウディア先生は。いつか悪い男に騙されそうで、心配になります」
看護師の言葉に、思わず頬を膨らますクラウディアだった。患者を抱いているので、それくらいでしか、不満を表明出来ないでいる。
「で、どうなのですか? ユウさんは、やっぱり転移者なのですか?」
看護師の疑問に女医は、恐らくは。との肯定で返した。
術式への反応に状況や所持品。それに自己紹介のときにもあった、ニホンという国名やカイシャインという立場は転移者の特徴として、比較的多いものである。実の所、大陸において転移者達は、歓迎されざる客人であった。
転移者は、世界を超えるという超常現象に拠って、強大な異能を授かるのだとされている。
だが、彼等は力を持つ事の意味も、その振るう目的も知らないままに力を得る。
その力に振り回されて、暴虐を働く者がいた。元の世界から切り離された不安からなのか、精神的にも不安定になり易い。
対話を望むのも難しく、結果としては、益よりも害の方が多かった。
「王都近郊に現れたという転移者達は殺人鬼だったみたいですし、あんまり油断しちゃ駄目ですからね」
だから、優しい看護師の彼女は不安を覚えるのだろう。
だが、それでも。クラウディアにとっては、転移者である以前に患者であった。
それに、彼等への憐れみだってあるのだ。彼等は異世界に辿り着いた寄る辺のない『みなしご』だ。異物であるとはいえ、その境遇には同情を禁じえなかった。
あまり読まれなかったけど、リベンジ改稿です。
物語形式上、短編として続ける事も出来ます。ただ、筆力や構成よ問題で、普通の人の物語って、盛り上がりには欠けちゃちますね。