第1章 [B面]『面のない男』①
ステアリーンはかつて神の島と言われていた。
光り輝いて美しいのは神が住んでいるとされる山だけ。
観光客も知らないまま上辺だけの綺麗を観て帰っていく。
この島の緑の下には鬱屈した灰色の瓦礫と悲惨な戦禍が残されている。
それを知りもしないで何を見たというのだろう。
◇◇◇
4月5日。
東部スビアの南、セイト街。夜の21時。
ここはブル街より小さく、海に近い。
街のほとんどが倉庫で埋め尽くされているため、別名倉庫街と呼ばれる。
人気がなく静かで、犯罪者達のたまり場。密会や取引によく使われる。
4番倉庫前、街灯の下。
2人組の男が人を待っていた。
「おせーじゃんよ」
ピアスをした20代前半の男が待ちかねた様子で愚痴をこぼすと、隣にいた銀髪の20代後半男がなだめている。
「ツラナシさんはお忙しい方……仕方のないことです。生で一度お目にかかれるなんて、今日は命日に違いありません」
「はぁ? キモヲタ過ぎじゃんよ。てか、どんな相手かも分かんねーのに、よくそんなテンションでいられんな。顔も分かんねーのによ」
「……憧れですから」
「はぁ?」
心底理解できないようでピアス男は呆れてため息をつく。
すると、2人に近づいてくる足音が聞こえた。
「こんばんはっ!」
現れた人物は意外と若そうな声をしている。
噂通りの年齢不詳。
暗闇で顔までは見えない。
ピアス男は目を細める。銀髪男も。
街灯が光に足を踏み入れた人物を照らす。
ついにーー、顔を見た!
2人は目を見開く。
そこには見覚えのある……見覚えがあるどころではない。3日前の!
「おっ、お前は!!!」
「てめぇ!」
「……3日ぶりっすね、元気してました?」
3日前に殴った10代後半くらいの金髪の青年ではないか!
動揺した2人は口々に言う。
「なんでここにいんだ!」
「う、まさか! そんなはずありません!」
「なにがっすか? おかしなことはなにひとつない。見たままっすよ」
金髪の青年は淡々と満面の笑顔で告げた。ここに現れた意味を示すように。
「お前がツラナシさんのはずがない!」
銀髪の男が怯える目で青年を見て、汗をダラダラとたらす。
もし青年がツラナシだとすれば、自らの不敬な行いを詫びても許されないと過ぎったのだろう。
「いや、オレなんっすよ。あ! 威厳なさ過ぎて信じらんないっすよねー」
ツラナシはルネド幹部にして唯一、顔が知られていない。それは情報屋でスパイのような役割だからとされる。
姿を見た者はいない……きっと見てしまったら殺されてしまうのだろう。
「違う! お前な……わけが!」
「あぁ、オレにしたことの重大さに現実逃避したくなっちゃった? ダイジョーブ! オレはそんなことで怒んないっすから。むしろ感謝してるっす!」
「え?」
「あ?」
銀髪男は突然の感謝の言葉に戸惑い固まる。
少しして緊張が緩んだのか表情が柔らかくなった。助かるような気がして安堵したのだろう。
ピアス男も飲み込めない状態だ。
そのわずかな隙を青年は見逃さなかった。
後ろに隠していたバールをバットのように構え、ニカっと不気味に笑う。次いでピアス男の顔面をぶっ飛ばす。
倉庫の外壁に当たって、ゴロゴロと転がった地面には赤い液体が飛び散る。
ボールはピクリとも動かなくなった。
「いやー飛ぶっすね! でもやっぱ人間でホームランは無理っすわ!!!」
「は?」
ツラナシはただ純粋な野球をやっているように悔しがるものだから、銀髪男はわけも分からずに立ち尽くす。
「く……狂ってる」
隣に立っていたはずの仲間が消え、残された銀髪男はやっと状況を理解して足が震える。
ツラナシはまるで潤んだ目をした生まれたての子鹿のようないい反応だと愉悦する。
「あー……このことは他言無用にできます?」
「ハイ!」
ネズミは面白いほど即答する。
それがおかしくてツラナシは吹き出した。
「あはは! たとえハージのお気に入りでも……ダメ、かもっすね?」
ツラナシは殴った反動で手が痛いそぶりを見せ、バールをけだるそうに持ち上げる。
自分の番になったネズミは命の危険を察し逃げた。
その後をツラナシはジリジリと追いかける。
「あはっ! その先には回収車がっ……なーんて、運ぶ手間が省けて嬉しいっすね!」
アスファルトの上を鉄が引きずる音。
第九の鼻歌まじりにスキップする。もう追いついた。バールが届く範囲、ネズミを目掛けるーーが、おかしなことにバールが重い。振り返る。
「バーカ! 死んでねぇ、クソが!」
血まみれ息も絶え絶えのボールがツラナシの背後からバールを掴んでいた。
「グース!!!」
ネズミはボールの名前を呼んだ。希望に満ち溢れた表情に戻っていく。
ツラナシは冷たい目を向け、失望したような表情を浮かべる。死人は素直に黙っていればいいと言わんばかりに。
「……おめでとーっすね。でもなーんか、つまんねーな」
ツラナシのゾクリと内臓に響くような低い声に、ネズミは後ずさった。
ボールも狼狽えバールを掴む手が緩む、バールが完全に手から離れる。
ツラナシのバールはもう既にボールの顔面に届いていた。球体は原型をなくして歪に成り果てる。
骨が割れる音が聞こえる前にネズミは逃げていた。
「はーっ! また追いかけっこっすか……いやーもう飽きてんっすわ……」
ツラナシはため息をつく。
ただの作業となり、なんの面白みもない様子。追いつくのも簡単だ。ネズミの背骨めがけてバールを振る。耳障りな音が止むまで、頭を殴り続けた。
ぴたりと止んだときにはもう原型が分からなくなってしまった。骨が砕け、皮膚からむき出しになっている。
穴という穴から血が噴き出すその様は、まるで水風船が割れたみたいだ。
「っ!?」
ツラナシは残ったモノの汚さに顔を歪めた。
ポケットから飴を取り出し、包を開ける。
カランと逃げ出した飴。
それを目で追うと、黄色だった飴が赤く染まっていく。
もう食べられない。惜しいことをした。
この肉の塊達にも心残りのような……いや、ルネドらしくない。
「はーーっ!!!」
こうなったら片付けは終わり。
回収班に後処理を任せて、黒塗りのワゴン車を通り過ぎようとした。
「片付けも終わったし……甘いの食べたいっすねー」
「ちゃっかり、帰ろうとしないでください」
呼び止められて振り返る。
10代後半の女性。黒スーツに身を包み、肩より長い茶髪をなびかせ、メガネをくいっとあげる。
専属秘書キア・グレイスだ。
「あはは……やっぱダメっすか?」
「えぇ、隠れるならもっと上手く隠れてください」
渋々、車に乗り込む。
運転席で秘書のキアがファイルを開き、内容を確認した後車を走らせる。
「お疲れ様です。ツラナシ様、この後のご予定ですが……」
「あーそれっすか、適当にごまかしといて」
「出来ません。今日こそは会議に出席していただきます」
「いや、オレはでないっすよ」
「……あの魑魅魍魎に私だけ……すごく気まずいのです」
「オレもムリっす! キアにしか頼めないっすよーいつも完璧な仕事をしてくれるキアにしか任せられないっす。この通り! ね?」
ツラナシは仏にでも拝むように懸命に頼み込む。
目を潤ませてやれば、簡単に聞き入れてくる。チョロいものだ。
「……は……ぁ……」
キアはため息交じりに用意していたと思われる書類をファイルに入れ、近くの路地に車を停めた。時計を確認し路地の中へ入っていく。
ツラナシは車内で見送るだけ。
すぐさまパソコンを開いて幹部会議の監視カメラを確認すれば、すでに3人集まっていた。
「さて、」
キアはツラナシ専属秘書でルネド幹部の会議に代理で出席する。
おかげで顔バレを回避でき、もう1つの役割を演じることができる必要不可欠な人材だ。
「頃合いっすねー!」
自分の声を低く調整して、ビデオ通話アプリにルネドと表示されたアカウントで通話ボタンを押した。もちろん、自分の姿は映さずに。
ツラナシは監視カメラを覗く。
カメラの向こう側、ルネド会議。
時刻は21時56分。
暗い部屋に円卓。
3人のメンバーが座っていて、右から順に始末屋ハージ、流し屋ルギ、貿易ラヴイ・ナナ。
情報屋ツラナシはまだ来ていない。
彼らにだけスポットライトが当てられていた。
その中の一人、満身創痍30代の男ハージが待ちきれず、貧乏ゆすり。たまらず、後輩の愚痴をこぼした。
「まーた、ツラナシだけが来ねーな! 偉そうなクソ後輩だ!」
「フン! ほっんとそう! 私を待たせるなんて処刑ものだわ。まっ、顔出しできないほど薄汚いブス顔でしょう? 現れて私の目を腐らせても殺すわ」
ハージに続いて同意したのはピンクとブラックのフリルのゴスロリ服を着た少女ラヴイ。ピンクの瞳にカールした髪。左目に眼帯をつけている。
ハージを睨みつけ、攻撃的な言葉を続ける。
「それとハージ、アンタのしゃがれ声は不快だわ。まるで蚊の生まれ変わりね、さっさとくたばれば?」
ラヴイは足を組み、椅子に踏ん反り返る。
その態度にハージが眉をぴくりと反応させた。
「あ? 蚊だぁ? ……てめぇ、何様のつもりだ。自分ばっか棚に上げやがって、似合ってねーんだよ、クソブス。レタスみてぇな服着てんじゃねーぞ! 暑苦しい! そんでもって服の色で目がチカチカすんだよ!」
「プッ! クソジジィ化が進行してんじゃない? いい気味!」
「んだと? ゴラァ!!!」
「……」
ラヴイとハージの口喧嘩がヒートアップしていくなか、我関せずとパーカーのフードを目深に被ったルギは穏やかに目を閉じる。
そこへ、眉間にシワを寄せたキア・グレイスが静かに席に着く。
メンバーが揃ったところで円卓中央のモニターから声が聞こえてきた。
『諸君、お集まりいただき誠にありがとう……』
「前置きはいい、さっさと本題に移れ。聞きてぇことがあんだ! ルネド2代目!」
ハージが苛立ちを露わに声を上げる。
『おや、なにかね?』
「アンタは神のクソ野郎から通知された神の護衛人候補者についてどう思う?」
『ほう……奇遇だね。私もそれに関して話がしたかったのだ』
ツラナシはハージから投げかけられた質問にモニター越しに良い質問だと感心した。
神の護衛人とは、神と人の仲介役、人から神を守る役割でもある。
似たような役割は昔からいた……そいつは天使と呼ばれる。
ではなぜ天使がいるにも関わらず、人間の中から選考する必要があるのかというと、神人平和平等条約が関係している。
神人平和平等条約は、人と神が正しい距離感で平和を保つために結ばれた。
神は人との友好の証として、自らの強大な力を2冊の神書に封印し、かつての天使の役割を人に任せた。
それに応えた周辺国は神に独占しない。不可侵を約束し、人は平和の犠牲になった神を守ると約束した。
これにより、国同士の争いはなり争いを避けられたはずだった。
しかし、神の護衛人が殺された。
それがきっかけとなり、現在は別の問題が起き始め、複雑化してきている……神の護衛人候補者だ。
友好の証なんて可愛いものに収まるはずがない。それはおまけが関係している。
護衛人に選ばれた人間は『願いがなんでも1つ叶えられる』という神が余計なおまけを付けたことで、人間同士の争いが起きようとしていた。
どこの組織も黙っていないだろう。血が流れるのは避けようがない。
ルネドとしてはーーー、
『……我々はこの件には関わらない』
すかさず、ハージがテーブルを叩き立ち上がった。
「あ? んなわけにはいかないでしょうがよー2代目。俺達はこの島で起きることの全てを管理する責任があんだ。てめぇ、初代を裏切んのかよ!」
『落ち着きたまえ、君がなんと言おうが私は意見を変えるつもりはないのだよ。我々は傍観に徹するのみだ』
今回は条約内のこと、口出しも手出し無用だ。
ルネドは人と神の均衡を保つための組織に過ぎない。
条約に従い、背くものは神だろうが人だろうが全て消してきた。島に害す者も排除した。が、条約を変える権限はないし、直接神と交渉することもできない。
新たな神の護衛人が選ばれるまで見守ることくらい。
『……が、勿論。この護衛人選定を邪魔立てする者は排除することに変わりないだろうがね』
「おう! 面白くなってきやがった!」
『この件はツラナシに一任したいのだ、キア頼む』
「……はい」
「またアイツかっ!」
ハージはツラナシ代理秘書キアを睨みつける。
とばっちりを受けたキアはただ静かにファイルで顔を隠す。これが最大の抵抗だった。
ラヴイが退屈そうに毛先をいじり、続いて愚痴をこぼす。
「ツラナシばっか、ズルーい!!! 私もやりたいわ!」
『諸君はいい意味で顔が割れている、それが今回は不利になる』
「どうしてよっ!?」
『この件はセキュティノ教会が必ず接触してくるだろう。奴らと必要以上の揉め事は避けたいのだ』
セキュティノ教会は世界神を信仰していて、世界神から生まれた全ての神を保護管理し、世界の均衡を保とうとしている。
表向きは人も神も守ろうとする真逆の存在だが、裏では神に害をなす人間達を処刑する存在である。さらに悪魔退治もする人間離れした力を持つ者もいるらしい。
ルネドとしてはあまり戦いたくはない相手だ。
条約に基づき行動し敵対したこともあってか、敵意を向けられているわけだ。
「つまんない! 私も候補者狩りを楽しみたいわ!」
「テメェの血の気が多いせいじゃねーか!?」
口を尖らせるラヴイにハージがツッコんだ。
「は? アンタの方が野蛮だわ。まるで私が野蛮であるかのように言わないでもらえる?」
「事実を言っただけだぜ!」
「嘘を言わないで!!! 不愉快だわ!!」
ラヴイの眉間のしわが増えていく。
2人の言い争いはしばらく続いたが、締めに貶し合い言葉をお互いに投げ終わると静かになった。
ハージは思い出したようにモニターを睨みつける。
「おい、2代目。ずいぶんとツラナシに肩入れやがるな? アイツは一体何者だ。俺らに内緒でなにおっぱじめるつもりだ?」
ルネド2代目を信頼していない様子で、全てを疑うようなトゲのある口調がずっと続いている。
『深い意味はない。彼は君たちより使いやすいだけだとも……』
「納得いかねーぜ!? 腹割って言え! 2代目!」
ルネドは重い口を開く。
『この件は初代から直々の依頼である。ツラナシに任せると……これ以上は口止めされているのだよ』
「えー! 本当!? 本当に??」
「マジか、初代が関わってんのかよ!」
2人は初代の依頼と聞いて大人しくなる。
ルネドとしては彼らに任せている仕事が滞る方が問題だ。
『初代の頼み事をしくじるわけにはいくまい? 君なら分かってくれるだろう?』
「あぁ、もちろん」
ハージはおとなしく席に座った。
『では異論はないかね?』
「「異論なし!」」
皆が頷き同意した。
ラヴイが報告書のファイルを開いて手を上げる。
「はい、定例!! 娯楽先端技術機器類の不正な輸入を没収しておいたわ!」
娯楽先端技術機器類というのは、聖書に禁じられている娯楽であり、島を一度滅びに向かわせた先端技術。それらを悪として排している。
だからこの島には時代遅れのガラケーが未だ現役なのである。
「流しゼロ」
次いでルギが簡潔に報告を終える。
キアが挙手した。
「ルネドさまがおっしゃる通りでございます。情報屋としての追加の報告はありません」
「お開きねー! スマホとカメラが沢山手に入ったの、アンタらにあげるわ!」
「あ"?? 俺の報告がまだだろーが!」
するとそこへ連絡部隊の1人が走ってきた。
ただ事ではない青ざめた顔。ハージに駆け寄って耳打ちする。
「ハージさま、お伝えしたいことがございます!」
「なんだ? もう少しで会議終わんだぜ? あとにしろ!」
「緊急です、仲間が……!」
ハージは連絡部隊の声に耳を傾けると、2人の訃報が伝えられた。
動揺したのか、怒りが収まらない拳が震えている。
その様子を見てラヴイがあざ笑う。
「アハッ! ざまぁ!」
「テメェやりやがったな!」
ハージはテーブルを叩き、ラヴイに向けて椅子を蹴り飛ばす。
ラヴイは軽々避けた。
「品がないわ! 野猿!」
「くっ! 避けんなクソッタレ!!!」
「生き物として当然の権利じゃない? 野猿が弱いのがいけないのよ」
「あ"ぁ!? テメェみてぇな外道は奪った命を刻んどけ!」
「そうね……?」
少し考える間を置いて、困った表情を浮かべる。
「たぶんアンタの部下を殺したのは私はじゃないわ……でも目に見えない蚊のお仲間なら別ね。気づかないうちに潰しちゃったかも?」
ラヴイは鼻で笑った。
ハージはテーブルの上から見下ろす。しゃがんで胸ぐらを掴んだ。
「んだと……コラ! ガキだと見逃してやってたが、もう我慢の限界だ! うちの仲間が死んでんだぞ!」
「仲間? そんなのいくらでも替えがきくじゃない? 弱いヤツは死んで当然よ!」
再び加熱する2人の言い争いは珍しく終わりが見えない。
5分以上は続き、ルギも既にいなくなっている。続けて代理秘書キアも静かに退室した。
『本日の会議はこれにて終了とさせていただきます』
アナウンスが流れるも2人は止まらない。最後までこの言い争いを見届けた者はいなかった。
◇◇◇




