第4章 [B面]『化け物』①
×××は気がついた。
自分があの人にはなれないということを。
そして、あの人にならなければ死ぬ運命であること。
これから一生、嘘を吐き続ける。
闇市で買われたあの日、運命は決まってしまった。
兄と別れてから一生分泣いた。
けれど、これだけは信じていた。
兄の顔を覚えていればいつか必ず会えるだろうと。
これだけが心の支えだった。
放り込まれた施設で、同い年くらいの人間と殺し合った。それは最後の1人になるまで続いた。
痛みと恐怖に蝕まれ、次第に薄れていく兄との記憶。
縋っていた記憶が消えてしまった時、あの人はこう言った。
「×××おめでとう! 今日からは君がルネドだ!」
あの人から飴がたくさん入った瓶を初めて貰った。
ずっと幼い頃から欲しかったもの、昔なら素直に喜べたのに。
それよりも、なにか裏があるだろうと手が震えた。
飴がカチカチと音を立てる。
あの人の顔色を窺った。
「本当は怖いのだろう? 今のお前は私が1番好きな目をしているね」
ニヤリと不気味な笑みを向けられた。
逃げることのできない恐怖。
必死に隠したところで無意味なのだ。
きっと全てを見透かされている。
あの人が島を発つ前に、残された言葉が頭から離れない。
「あの島に置き土産をしておいた。私から君たちにささやかな祝福だ」
◇◇◇
理玖がホテルを出た16時過ぎ。
後を追うように、浦辺とロミアもビーサイドホテルを出た。
影がかった肌寒いコンクリートの道を歩いていく。
この道を通るのは本日4回目。歩き慣れた道だ。
しかし、なんとも言えない緊張感があった。
「……」
浦辺はロミアの様子を窺った。
なんとなく気まずい。
隣にいるはずが、距離を感じるというか……。
実際、2人分くらい離れて歩いているから、余計に思うのかもしれない。
それもこれも、理玖に頼まれたから、こんなことになっているのだ。
本来ここにいるべき人間は不在。
きっと彼女は理玖とこの道を歩きたかったに違いない。
それなのに!
あの分からず屋ときたら!
自分の傷が癒える前に、人助けしようと思っている。
周りの人間に多大なる心配と迷惑をかけるのだと分かっていないらしい。
イライラする。
自分自身を大事にできない人間に、他人を助けることなんてできないのだ。
「……」
しばらく無言が続いた。
浦辺は俯いていた顔を上げて、ちらりとロミアの様子を窺う。
考えに考えた挙句、つまらない質問が浮かんだだけ。
他にショルダーバックから良いものはないかと探すも、お菓子くらいしかない。タスラの限定ピーチ味を掴む。
「あの、お返しに。これ……似たようなお菓子なんすけど、良かったら……」
「わー! え!? すごくレアじゃない、いいの?」
彼女の表情が和らいだ。
それが嬉しくて、バックからいくつか限定の味を渡す。
「はい! たくさんあるんで! もうひとつ!」
「嬉しいありがとう! 浦辺くんもタスラ好きなんだね?」
「も?」
「うん、理玖もそうなの。限定の味を見つけたら一目散に駆けて『これは!!』って……ふふっ」
「…………そー、なんすね」
彼女がタスラに向ける愛しい眼差しは、誰に向けたものか明白だ。
浦辺の心が少しもやっとした。
「ナジョーさんにあって、オレにないものってなんすか」
慌てて口を塞ぐ。
漏れた本音に、自分でも驚いたのだ。
「え? 2人はなにか競ってるの?」
「いや……そうじゃないっす! 違くて……!!」
頭が上手く回っていない。
それを否定したら、こんなの嫉妬してますと言ったようなものだ。
恥ずかしくて、顔が熱くなっていくのを感じる。
本音が……喉元まで出かかった。
彼女を困らせまいと飲み込む。
「やっぱ、そんな感じっす! ロミアさん喜ばせ選手権みたいな??」
「ふふっ! なにそれっ?」
明らかに苦し紛れの言い訳に近くても、彼女は朗らかに笑うだけだ。
いかに自分自身が醜い心を持っているのが痛いほど分かる。
隠さなければいけない。純粋無垢な彼女を穢してはいけない。分かっているはずだろう。
「ナジョーさんにしてもらって嬉しかったこととか……あるんすか?」
「沢山あるけど、万年筆を川で拾ってくれたことかな」
「万年筆? 特別なものなんすか?」
ロミアがポケットから年季の入った万年筆を取り出した。
「うん、おばあちゃんの形見なの。子供の頃はコレを魔法の杖みたいに振るとね、違う強い自分になれる気がしてたの……」
「へー! 魔法使いに憧れてたんすね!」
「あはは……恥ずかしいっ……理玖には内緒だよ?」
彼女は頬を赤らめて、暑そうに手で扇ぐ。
「その時の理玖すごかったんだー! 身長より深い川に飛び込んでね、びっくりしちゃった……家族以外にここまで本気になってくれる人初めてだったから。理玖のことを支えたり、応援したいって思ったんだよ!」
「へー、ナジョーさんは変わんないんすね」
「浦辺くんはどう?」
「え?」
浦辺は想定外の質問に驚きを隠せない。
「嬉しかったこととか、好きなものを教えてよ?」
彼女が満面の笑みでこちらに近寄ってきた。
浦辺は一歩下がって、生唾を飲んだ。
失い傷つき傷つける人生の中で、そんなものはひとつを除いて他にない。
「…………ロミアさん」
「なに?」
なんて言うつもりだ?
ダメだ、言うな。彼女を困らせるだけだ。
それでも見たい……でも怖い、怖いけど、やっぱり……あなたが好きですと、言ったらどんな反応をするだろう?
知りたい。
「が………………す…………き……っす」
浦辺は震えて消え入りそうな声で言う。
俯いた顔をゆっくり上げ、彼女の顔を恐る恐る見た。
「ひゃ!! ……えっ、えぇぇ!?」
彼女は声を裏返す。
両手で顔を覆っているが、真っ赤な顔が見えた。
戸惑い驚いた様子と見てとれる。
「なっ、なんで私なの?」
「……料理っす」
浦辺は照れくさく首を掻き、続ける。
「……初めてロミアさんのあったかい飯を食った時、すっごく感動したんすよ。幸せってのを教えてもらったんです。だから、オレ、ロミアさんのことが好きっす!」
初めてハンバーグ定食を食べたあの日感じた気持ちに嘘偽りはない。
沼底に沈むだけの人生に光が差した。やっと生きる意味を見つけたような……きっと幸せというものなのだろう。
「浦辺くん、ありがとう…………でもごめんね」
「そーすよね、困らせてすみません」
浦辺は胸を押さえる。
分かっていた……それでも胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
「ううん、本当の気持ちを伝えてくれて嬉しかったよ!!」
停車中の黒ワゴンを通り過ぎて、やっとダイハチ軒が見えてきた。
ロミアの歩幅が大きくなる。
浦辺もそれに合わせた。
「…………私も本当の気持ちを伝えれば良かったのかな」
「?」
「理玖に行かないでって言えば良かった」
歩道の亀裂がだんだんと大きくなっていく。
ダイハチ軒の柱にもヒビが、コンクリートのカケラも散らばっている。
店に着いた。とても遠く感じた。
店の中は暗い。
本当に大将はいるのだろうか?
「あ! お父さん!」
ロミアが笑顔になって、暗闇へ走り始めた。
「待って!! ロミアさん!」
浦辺は慌てて、ロミアの手を掴む。
どこか引っかかるのだ。
本能が近づくなと警告している。
「どうしたの?」
「なんかヘンっすよ!!」
浦辺は暗闇に目を凝らす。
店の奥にいる人物は、確かに大将だ。
しかし、一瞬ノイズが見えた。
まさか!?
「目が良いのじゃな!」
耳元で若い男の声がした。
浦辺は驚いて距離をとるが、
「きゃー!!」
背後からロミアの悲鳴。
単独行動に慣れすぎて、失念していた。
振り向けば、顔に刺青の入ったスーツの男。写真で見た顔だ。
なぜ、ここに桜崎時雨が!?
桜崎がロミアの首筋に刀を近づけた。
「……っ!!!」
焦りが、心音が、急かす。
自分の不注意で彼女を危険な目に合わせてしまった。
浦辺はジャケットに忍ばせていたナイフに手をかける。
「無駄な抵抗はやめた方が良い……人質の命に関わるからのう」
「……それは困るっすね!」
代わりにスマホをジャケットの袖に入れて手を挙げる。
「物分かりが良いのぅ?」
「よく言われるっす!!!」
ゆっくりと後ろで手を組み、スマホを持つ。
ここにくる途中、黒のワゴン車があった。
ナンバープレートがキアの乗っているモノと同じだった。
スマホのライトボタンを押す。
モールス信号の要領で、キアに向けてメッセージを送った。
命令は『彼女を安全な場所に送り届けろ』だ。
キアとは長い付き合いで、このくらい適当でも意味は伝わる。
「……浦辺くん、私のことはいいから逃げて!!!」
ロミアが叫ぶ。
青ざめた顔。こんなにも震えているのに健気だ。
浦辺は満面の笑みを彼女に向けた。
「オレは逃げないっすよ!」
「どうして!?」
「ロミアさんは大切な人っすから!」
偽物の大将が近づいてきた。
手にはピエロの面が。
それを付けると、チャイナ服の女に変わった。ルンフイだ。
「キシシッ!」
「お父さん……じゃないの!?」
「みたいっす」
浦辺を取り囲むように無数のルンフイがどこからともなく集まってくる。約50体はいるだろう。
「卑怯っすよ!」
浦辺はため息混じりにスマホとナイフを持ち替える。
早めに済ませたほうがいい。
理玖にも同じものを仕掛けている可能性があるからだ。
「お主にはまだここに居てもらおうかの!!」
桜崎の発言で確信を得た。
「キシシ!!!」
ルンフイの壁が行く手を阻む。
目障りだ、鬱陶しい。
何度も何度も何度も何度も……殺した。
ナイフでなぞるだけで簡単にバラバラになっていく。
どれが殺しちゃいけないんだっけ?
境目がなくなっていく……頭がおかしくなりそうだ。
ルネドになった日を思い出す。たくさん人を殺したあの感覚が戻ってくる。
肉をブチブチと裂ける感覚。ボトっと頭が地に落ちる鈍い音。
頬にかかった血を拭う。
不愉快だ。
そのはずなのに口角が上がっていく。
「あはははっ!!!」
もう何分経った?
腕が痛い、明日は筋肉痛だろう。
30体目……心臓を突き刺した。それは力なく倒れる。血の池に波紋。女の震える声。
ルンフイの群れに紛れて、次々死体に移り隠れながら、オオカミのように桜崎との距離を詰める。
無警戒な背中。確実に仕留められる距離まで迫り、桜崎の首を目掛けてナイフを投げた。
「ギィ……」
「あ、れ?」
浦辺は確実に刺さったのを確認する……が、桜崎はルンフイに姿が変わる。
ルンフイを羽交い締め、数歩だけ前に歩く。刺さったナイフを握りしめて、首を切り落とした。
血飛沫がロミアにかからないように用心しながら。
「ロミアさん、怪我して無いっすか?」
「うっ、うん…………大丈夫、だよ……」
ルンフイの群れの奥から、傷のついた仮面のルンフイが現れた。
「シカクヲモタザルモノヨ、ココガ、オマエノハカバダ!!」
「そーっすか」
浦辺は鼻で笑う。
カードを持っていないと、もうバレている。
なにも隠す必要がないのは楽だ。
「ロミアさん下がって!」
無限に増えるルンフイを相手にするのは骨が折れる。
本物の桜崎は理玖を殺しにでも行ったのか。
であれば、最悪なシナリオを想定した方がいいだろう。
南常門 理玖は必ずカードを奪われる。
山頂に辿り着き、社の中身を見るのはエネ・ミーバルだ。
彼はルネド初代の親友を殺した人物でもある。
今からホテルに向かっても後の祭りだろう……向かうならシエル山だ。彼はそこで願いを叶えようとするはず。
「ははっ!」
面白くなってきた。
鼓動が早まっているのを感じる。高揚が抑えきれない。
浦辺は切れ味の落ちたナイフを構えた。
「もうやめて!!!」
「っ!?」
ロミアに背後から抱き止められる。
なんて暖かいのだろう……ずっと欲しかったものだ。
けれど、彼女は泣いている。
どうしてだろう?
「……」
振り返れば他でもない、自分自身が築いた骸の山。
彼女にとっては、さぞ怖かったであろう。
この人を笑顔にできないどころか、悲しませてしまった。
「ロミアさん、怖がらせてすみません……」
浦辺は名残惜しく、ロミアと距離をとった。
気づいてしまったのだ……生きる世界が違うんだと。




