第4章 [A面]『四面楚歌』③
理玖とスフィーナは904号室に戻った。
時計が16時半過ぎを指している。
理玖は眠気に勝てず、ベッドに横たわる。
すぐに起きられるように、服はそのままで。
ふと、浦辺から受け取った茶封筒を思い出す。
布団を被り、封筒を開くとカードが入っていた。
本物と見比べても見分けがつかないほど精巧に作られている。
これを渡してきたということは……彼は相棒なのだ、疑う余地はない。
本物のカードをジーンズの後ろポケットに入れて、偽物をジャケットのポケットにしまう。
理玖はまぶたの重みに抗えなくなってしまった。
夢を見た。
真っ暗で右も左も分からない。
肌が痛くなるくらい寒い場所。
隣で子供が泣いている。
「秋兎なくなよ!」
夏糸は泣いている弟の名前を呼んだ。
この頃、理玖の名前は夏糸だった。
歳は2桁に満たない頃。闇市でオークションにかけられる少し前のこと。
「にいちゃん、だってオレっ! ずっとこのままなのイヤだ!! むかしみたいに走ってあそびたいよ!」
「あぁ、そうだな」
突然、ニヒルな笑みを浮かべた男が現れた。
そいつは鉄格子越しに人差し指をくるくると回して、こう歌い始める。
「どちらにしようかな、天の神様の言う通り!!!」
指は秋兎で止まった。
ニヒルな男は隣にいた男に視線で合図する。
合図されて男は鍵を取り出し、扉を開けた。
鍵を開けた男が、秋兎の手を掴む。
「いやだ! やだ! やだ! 助けて、にいちゃん!」
大人たちに敵うわけがないのは、ここに連れてこられてから身にしみていた。
だから、震えが止まらず声も出ない……『弟の代わりに俺を連れて行け』とさえ言えないのだ。
「……っ!!!」
夏糸は秋兎に腕を掴まれ、爪が食い込んでいく。
痛みに顔を歪めた。
肉ごと引きちぎられそうなくらい強い力だ。
やっと震えが止まる。
弟の手を掴んで、綱引きのように引っ張った。
1秒でも長く近くにいたい一心で引く。
しかし、痛みに顔を歪める秋兎を見て力を緩めた。
「あっ……!」
するりと抜けたらそのまま。
再び伸ばした手は空を切る。
「返せ!!!」
鉄格子を叩いて必死に訴える。
秋兎はニヒルな男と闇に消えていく。
姿が見えなくなっても続けた。
手が腫れ、骨にじーんと痛みが響く。
「……守れなかった」
残ったのは後悔と自責の念だ。
腕の痛み、えぐれて血が滴っている……。
あんなにも自分に助けを求めてくれていたのに、助けられなかったーーー、
何時間経ったのだろうか。分からない。
泣き疲れて喉が渇いた。
それでも涙は絶えず流れていく。
「?」
騒がしい声が近づいてくる。
鉄格子の隙間から覗き込んで来た目は数多……ただひとりを除いては。
「ボウズ、どうして泣いてんだ?」
暖かく語りかけるような声に頭を上げる。
目の前にはマッチョのタンクトップ男。しゃがんで優しく微笑みかけてきた。
「話せば軽くなるかもしれねーぜ?」
その一瞬だけ、寒さを忘れられた。
ずっと望んできたものがやっと目の前に現れたような感覚。
だから固く結んでいた口は、溜め込んでいたものすべてを吐き出した。
「……弟を助けられなかった」
弟の目が、叫びが、頭から離れない。
暗闇が永遠の悪夢を見せ続けるみたいに、許してくれないのだ。
恨まれて当然だ、なにも出来なかったのだから。
それでも、この苦しみから逃れたいと思ってしまう。
早く忘れたいと願ってしまう。
そんな自分自身を殺してしまいたい。
「ほー?」
「なにも出来なかった! 俺が弱いから声すら出せなかった! 弟を守れるのは俺だけだったのに!」
後悔の感情を吐露した。
タンクトップの男が頷いて聞いてくれた。
サングラスを額に掛けて、ニカっと笑う。
「そうか、ボウズは最後まで弟の味方だったんだな!」
「み……かた?」
「自分に出来る精一杯を出し切ったんだろ?」
夏糸は考えもしなかった。驚きで言葉を失う。
自分自身の無力さばかりを責め続けていた。もっと他にできることがあったんじゃないかと思ったから。
でもあの瞬間、自分に出来ることはやり尽くしていた。
「よく耐えたな。ボウズは強い、俺ならチビって逃げ出しちまうぜ!」
「あはっ……はははっ!」
「いい顔だ!」
夏糸は自分の顔に触れる。
口角が上がっているのに気がついた。
いつぶりだろう?
「ボウズは自分を責める必要なんかねぇ! 誇れ!」
「うっ……うん」
頬を伝い落ちる涙を拭った。
自分の行動は間違っていなかったと肯定してもらえた気がして心が軽くなる。
あぁ、そうか、認めてもらいたかったんだ。
怖かった……ずっとひとりで、弟を守らないといけなくて、それが苦しくて。疲れていた。
「ボウズ、お前はヒーローだ!」
「ヒーロー?」
「おう!」
「俺を助けてくれた……おじさんもヒーロー?」
「実を言うとそうなんだ! ここだけの秘密だぜ!?」
タンクトップ男が白い歯と逞しい力こぶを見せてきた。
「ふっははっ! なんだそれ!」
冗談に笑いが止まらなかった。
頬が痛くて、息ができないくらい苦しい。
「ボウズ、俺んとこくるか?」
「本当に? いいのか!?」
「あぁ、大歓迎だぜ! 南常門ジンだ! よろしく!」
ジン先生に買われたことは幸運で嬉しかった……けれど、波みたいにあの日の記憶が押し寄せるのだ。
眠りにつく寸前に、弟のことを思い出しては目が覚めた。
まだ心は鉄格子の中に囚われ続けている。
叫びが痛みが……幻覚が頭の中でぐわんぐわんと再生される。
弟はいつから居なかった?
はっとする。当たり前にいた存在が消えるとこんなにも虚しい。
自分ばかりが幸せになっていいわけがないと、責め続ける日々。失った日が鮮明に蘇る。血の気が引いて、何度も弟を探してしまう。
指先から血が滲んでいるのも気づかず、床も壁も傷つけた。
「理玖!!!」
「はっ……はっ……はっ……!」
息が詰まったみたいに苦しい。
どうやって呼吸していたんだっけ?
「ゆっくり息を吸って吐いて。大丈夫だ、ボウズはもうひとりじゃない」
発作のように何度も繰り返す嗚咽。
ジン先生が背中をさすってくれた。
弟の声も顔も記憶が薄れても変わらない。
小さな波が足元に打ちつけるみたいに続いている。
「冷たい……」
黒い波が足元の砂を連れ去った。
夜空を見上げる。
無数の星。月がとても眩しく思えた。
『あそぼっ!』
理玖は袖を引かれて振り返った。
月明かりに照らされて声の主の姿が見える。
純白のワンピースにカールで白髪の少女。人形のように可愛らしい。緑の瞳が無邪気に笑う。
「えっ?」
理玖は拍子抜けしてしまった。
穏やかな波にも関わらず、身体のバランスを崩す。
いつも夢には決まって緑髪とむせ返るほど鮮やかな赤が出てくるのに。
『私にもね、カッコいいおにいちゃんがいるの! 3人であそぼ!』
少女はギュッと腕の中のテディベアを抱きしめて、こちらを見上げてくる。
「いいけど……君は……??」
『ユン!!』
ひらりとフリルが舞う。
彼女が手を引いて連れて来たのが同い年くらいの緑髪の少年。けれどユン後ろに隠れ、泣いていて話せないのだ。
今の自分は彼の名前を知っている。
「……エネ」
ジン先生はユンから話を聞いて深刻そうな顔をした。そして2人に『教会に行きなさい』と伝える。
2人を見送った理玖は『2人は大丈夫なのか?』とジン先生に訊ねた。
「心配すんな、ヒーローよりも強い神様がいるんだぜ!」
ジン先生に頭をわしゃわしゃと撫でられる。
そして自慢げにこう続けた。
「実はな、神様は俺のダチだ!」
「はぁ? 先生が神様と友達!? 嘘だろ!」
理玖はいつもの冗談に呆れたのを覚えている。
ガハハっと先生が豪快に笑った。
「本当だぜ!」
硝煙の香りが風にのって、理玖の鼻腔を刺激する。
自分の背丈より大きな波がこちらに向かってくるのだ。
この先にはもうーーー、
先生はいない。血にまみれた悪夢だ。
「……うぅ"……!」
……重い。なにかが自分の身体の上に乗っているような感覚だ。
それはとても柔らかく不快ではない。
ひんやりと首筋を冷たいモノでなぞられる。くすぐったさの後、熱が混じったような痛み。
理玖は異変に気づいた。
夢から覚めたはずなのに部屋が暗いのだ。
「……おい!」
自分の上に乗っているそれを掴む。
人間の腕の感触だ。
やや筋肉質で、女のように華奢である。
「あら、積極的ね……」
その女はスフィーナだ。
理玖は身体を起こして、彼女に鋭い視線を向ける。
「なにをするつもりさ?」
「決まっているわ、楽しいことしましょう?」
スフィーナの唇が触れ合う寸前まで近づいてきた。
甘く、品のある香り。
理玖は潤んだ瞳と柔らかな唇に生唾を飲み込んだ。
慌てて彼女の肩を抑えつける。
「待て、冗談も大概にしてくれ!」
彼女とは協力関係だ。キスをする関係ではない。
整理現象が起きそうなのは呆れてため息がでた。
目を瞑りたくなるほどに不本意だ。
「……あなたが眠っていて、とても退屈だったのよ」
スフィーナの手が理玖の頬を撫でる。
愛しさを込めた瞳を向けられた。
「……」
なにかおかしい……スフィーナに全く存在を感じないのだ。
目の前に存在して、触れられもするのに、まるで生きていないような。
それに中身も別人だ。
理玖は思い出す……自分の首が繋がっているか確かめた。
指先に血がついて、眉をひそめた。
「……君は何者さ?」
彼女は俯いて黙ったまま。
違和感の正体が分かった……息も心音もないということに!
彼女は人ではない!
「キシシシシ!!!」
「なっ!?」
歯車のような音。
わずかに光ったカード。真っ赤な唇が咥えている。
カードだけは奪われるわけにはいかない!
「すまない!!!」
理玖は彼女の腕を掴み、勢いよく馬乗りし返す……そのまま肩を捻って脱臼させた。
しかし、頬になにか鋭いものが掠る。
「ぐっ!」
驚いた隙にくるりと押し倒された。
腕がもう1、2本現れて、ナイフの刃が光る。
暗闇ではそれだけが頼りだ。
頭から真っ2つにしようと、刃が下される。
「キシシ!!!」
「くそっ!」
彼女の手を掴んで狙いを逸らすのが精一杯。なんて強さだ。人間じゃない。
ゆっくりと輪郭をなぞるように下へナイフが降りて、刃が耳に触れる。どくどくと燃えるような痛み。
半分くらいは失ってしまったのだろうか?
「やっと掴んだのさ! ここで死ぬわけにはいかないんだ!!!」
ジン先生の仇を取るまで死ぬつもりはない。
しかし、理玖の腕は震え始める。
眠ったことで回復した体力も、相殺するくらいにまだ撃たれた左肩が痛むのだ。
持久戦で勝ち目はない。
「キシッ!?」
部屋の電気がついた。
見つめ合う彼女はピエロの仮面をかぶっていて、長く赤い髪でチャイナ服の格好をしている。
足音が近づいてきた。
ピエロがドアに視線を向ける。
「間に合ったわ!」
スフィーナが息を切らしながら、部屋の中に入ってきた。
驚いた顔で耳元に当てていた携帯を下げて、拳を震わせる。
鬼の形相でこちらに向かってくるのだ。
恐ろしい。
「私の姿で売女の真似はやめて頂戴!!!」
「キキキ"ッ!?」
ピエロは天井に飛び張り付いた。
スフィーナはピエロを睨みつけ、手を振り下ろす。
「黒箱!!」
刹那。上から降って来た箱に、天井ごとピエロが押し潰される。
人間技ではない。
「ひゃーー!!!」
ハシュの裏返った声。
彼は耳を押さえながら、部屋の隅でうずくまっている。
「私はこんなにも不細工ではないわよ?」
「キシシ……」
ピエロが床に滑らせてカードを投げる。
スフィーナはその手を踏みつけるが間に合わない。
ドア下の隙間を出て外に消えた。
「面倒かけさせないで……」
理玖はジーンズの後ろポケットに触れた。
本物はある、ピエロが盗んだのは偽物のカードだ。
「スフィーナ!」
彼女は声に反応してこちらに視線を向けた。
首を振って理玖は追わなくて大丈夫だと伝える。
「あなた……なぜここに? 人造人間がいるのかしら?」
「ギギギィ……」
「人造人間?」
「えぇ、証拠は骨よ」
スフィーナがピエロの指をナイフで軽く切った。
すると、ピエロの指の骨が黒い。
初めて見た。明らかに普通の人間の骨ではないのだ。
この世界に人造人間が存在しているなんて……。
「彼はルンフイ。私が恐れていたマフィアのボス」
「……なるほど?」
寝起きの頭には情報量が多すぎだ。
スフィーナから犯罪組織云々は聞いていたが、人造人間の存在は聞いていない。
それに……彼とは?
どう見ても女性の骨格をしているが。
「いや待て、ワケが分からない」
一度は納得したものの、考えれば疑問ばかり。
理玖は背伸びをして時計を見る……22時半。
「おっと!?」
ハシュとぶつかった。
「すみませんすみませんすみませんっ!!!」
走り去るハシュの手にはカードがあった。
理玖は思わず、ジーンズの後ろポケットも探る……無い。
「……カードが奪われた!」
「追いかけましょう!」
部屋を飛び出すと、ピエロの集団がこちらの存在に気づいた。
「なっ!?」
「……分が悪いわね」
「あぁ」
理玖はため息をついた。
30近くもピエロが密集している。
ハシュはどこに行ったのか?
ピエロの奥でエレベーターが閉まるのが見えた。
「……どいてくれ」
ピエロを睨みつける。
逃すわけにはいかない。カードはあの男にたどり着くための切符なのだ。
「キシッ!」
ピエロがナイフを手に切り掛かってくる。
理玖はその手を払い、みぞおちに一発入れてやる。狼狽えるピエロ。
もう一発を考えたが気が引ける。
「……」
反対に早まる心臓、焦りが募る。心の奥底でドス黒いなにかが沸々と痺れを切らした。
今にも溢れ出してしまいそうだ。
早くハシュを追いかけないと。
その時、エレベーターが開く音がした。
「ホンマ、自分ら難儀やなぁ!!」
首を鳴らしながらサングラスの男が現れた。
着崩したアロハシャツ。白いズボンのポケットに手をつっこみ歩く。
「キシシシ!?」
ピエロの視線はサングラス男に注がれた。
だが男はたじろぐことなく、堂々と歩みを止めない。そして青いサングラスを下げた。
「アワザか!」
「コイツらは任せときや、俺が相手したるわ」
「本当に任せていいのかい?」
「早よー行きや!!」
アワザがニカっと笑い答える。
理玖はエレベーターを目指し走った。幾多ナイフの切り掛かってくるをかわす。スライディングして抜けた。
「すまない、アワザ!」
理玖はエレベーターに乗り込んだ。
後からスフィーナがピエロの頭を丸太ステップを渡るように飛んできた。
ドアが閉まる……9階から1階に降りる中。
ひとつ疑問が湧く。
「ハシュがどこに向かったのか、君は知っているかい?」
スフィーナが教会の人間なら知っているはずだ。
目的地が分かれば後はタクシーを呼んで向かうだけでいい。
しかし、彼女は口を開こうとしない。
壁にもたれ掛かり、少し考えた後こう言った。
「……カードを持たない貴方には教えられないわ。カードを全て揃えた人間にのみ場所が示されるのよ」
1階のロビーに着いた。
ホテルのエントランスに向かう。途中、上から落ちて来た棒を反射的に掴んだ。
重い、金属製の剣か?
「ここから先は何人たりとも出すなと言われておる」
窓際のソファーからひとり、男が立ち上がった。
若々しい声に反して、とても穏やかな口調だ。
まるでお年を召したような?
「年寄りの遊びに付き合ってくれぬか?」
顔に刺青のある20代くらいの黒髪の男が、ロビーのソファーに腰掛けている。
彼が立ち上がるとスーツを着ているのが見えた。
受け取った剣と似たようなモノを持つ。
「すまないが、先を急いでいる!」
刃が理玖の行手を阻む。美しい波紋が見える片刃だ。
これは剣ではなく刀ではないか!
そして刺青男は刀を指さしこう言った。
「刀を持つ者同士、眼が合えば、戦う定めじゃ」
「おいおい……これは君が投げてきたんだろう!」
理玖はたじろぐ。
反射とはいえ……掴んで後悔した。
戦いは避けられないようだ。
「まずい、どうする?」
このままではハシュの行方が分からず完全に手詰まりだ。
スフィーナに肩を叩かれ、振り返る。
「さっきのエレベーターでの話……」
「それがどうしたのさ?」
スフィーナが少し考え込んで顔を上げた。
「私が目撃した情報なら伝えられるわよ」
「助かる!!!」
スフィーナがエントランスに向かって走る。
それに刺青男は視線を向けた。
理玖は瞬時に刀を振りかざす。
彼はこちらを見ることなく、はじき返してきた。
「ほう?」
「こっちが相手さ!」
とは言ったものの……力を込めたはずの刀は容易に弾かれた。不意打ちにも関わらずだ。
「良い! あれはただの眼じゃからのぅ」
彼はニヤリと笑う。
まるでスフィーナの正体を知っているような口ぶりだ。
「察するにお主もいち早く、外に出たいようじゃの?」
「あぁ、勿論さ。まさか条件でもあるのかい?」
彼は『ご名答』と拍手した。そして続ける。
「ひとつ、ワシに傷をつける。ふたつ、ここを脱出する。簡単じゃろ?」
「あぁ」
随分と舐められたものだ。
理玖はもう一度、刀を振りかざす。
甲高い音。いとも容易く弾かれた。
「ゔっ!?」
「こんなものか!」
刺青男の素早い刀。無駄のない最小限の動きの応酬。押されて一歩下がる。
刀で受け止めきれない……一撃の重さが尋常じゃない。刀がぐらつき、手元に響く。
このまま受け続ければ、手が使い物にならなくなるだろう。
ならばと避けることにシフトするも、目端に捉えるのがやっと、これもすぐに限界が来た。
避けきれない攻撃を刀で受け止める。
背に左手を添えてなんとか堪えた。
重い、剣だったらこちらの手も切れていた!
「考え事か、余裕じゃのぅ?」
刀越しに鋭い眼光。
目前に飛び出してくる虎のような気迫。
理玖は身を震わせた。
「……はは」
まいったな、どうする?
予備動作もほぼ見えないミリ単位の機微を察しろというのか!?
勝ち目はない!
これは数秒で至れるほどの技ではない。
そもそも、同じ土俵に立ったら実力で負ける。
正攻法では勝機はない。
「ぐっ!?」
堪えるのも限界だ。手が震えてきた。
理玖は睨み合うのをやめて、刺青男と距離をとる。
「もう仕舞いかのぅ?」
考えろ! 驚くような方法を!
真っ先に浮かんだのはカウンター。
しかし、基礎のきの字も分かっていないのだ……達人に通用するとは思えない。
槍のように素早く突き刺すとか、リーチが長いものは扱い慣れていない。スピードでも劣る。
理玖は握りしめていた刀に視線を下げた。
こんな棒、利き手で持つ意味なんか…………、
そうか!!!
奴を出し抜く方法が見えた!
「ふぅ……」
ひと呼吸置いて、早まる心臓を落ち着かせた。
だが、悟られた時点で詰む。
感情を決して表に出さないように、細心の注意をはらう。
ベルト右側に下緒を軽く挟む。左手で刀を構えた。
「ほう?持ち替えたか」
「手に馴染まなくてね……」
ななめ右前に距離を詰め、左手で刀を構えた。中腰まで姿勢を低く。ギリギリまで右手を刀に添えて振り上げる!
力を込めるな、脱力しろ! 素早く動け!!!
「遅い!!!」
刺青男も振り下ろす。
理玖の左手から刀が吹き飛んだ。これでいい。右手はすでに鞘を掴んだ。鞘を相手の膝裏めがけて振る。
「ぬうっ!?」
わずかにバランスを崩した相手。その首根っこを掴み上げ、そのまま顔面を床に叩きつける!
鈍く潰れたような音。
理玖は構わず、エントランスに向かって全力で走る。
「うおぉぉぉ!!!」
背後から光の線。目端に捉えた。
転がり込んでエントランスは抜けるも、振り返ればすぐに切先。銃に手を伸ばすが間に合わない。切先は理玖の左手を貫通した。
刺青男の目には殺気が込められていた。
納得いかなかったのか?
しかし、剣術の縛りはなかったはずだ。
どんな方法であれ勝ちは勝ちだろう。
「…………」
理玖は怯むことなく手を鍔に押し進めた。
血が滴り、刺青男の手を真っ赤に染める。ぴたりと止まった。
我に帰った彼は刀を納めて襟を正した。
殺す意志はないようだ。
「そうかい……そりゃ良かった。条件は果たしたんだ約束は守ってもらおうか?」
刺青男は拍手して『済まぬ』と続ける。
「見事! お主名はなんと申す? ワシは桜崎時雨じゃ」
「南常門 理玖さ」
「ナジョウト、覚えておこう。鬼神の如し……一本取られたわい!」
桜崎が『魂も老いるのじゃな』と意味深に笑った。
「君には聞きたいことがあるのさ!」
「ほう、なんじゃ?」
「なぜエネ・ミーバルに協力する? 目的はなにさ?」
「そんなもの…………決まっておるわい」
桜崎は眉間にシワを寄せる。
当たり前のことを聞くなと苛立ち混じりに。
「ほう? お主は知らぬのか」
「どういう意味さ?」
首を傾げる理玖を、桜崎が鼻で笑った。
「お主が社にたどり着いた時、神の正体を知ることになろう」




