【隠匿されたプロローグ】
「ああ………御門様………!」
草木も眠る丑三つ時。魍魎が暗躍する魔を秘めた刻限。絶対的な闇に支配された、とある高校の学生寮の一室。濃密な甘い空気の澱む部屋では、一組の男女が抱き合っている。
「ふふふ……」
互いに制服姿。女生徒は妖艶な微笑みを零す。それは恋人が甘えるような可愛らしいものではない。その様は正に獲物を捕食する肉食虫のそれである。口元は愉悦に歪み、瞳は興奮で怪しい輝きを放っている。しかし男子生徒は自分が囚われているなど思いもしない。むしろその表情は歓喜と興奮に満ち、思考は完全に漂白されていた。
「んっ……はぁ……」
小鳥の啄みから蛇の絡まり合いへ。濃厚にして淫蕩な蜜月の交わりは際限なく熱を上げて加速していく。女生徒の方が完全に主導権を握り、男子生徒はされるがまま。正しく言えば男子生徒は自らを捕食される悦びに浸り、身を預けている。そこに疑問の介在する余地はなく、深い快楽の海に沈んで浮かび上がる事さえ忘れていた。
「……んっ……はふ……」
「……ぅ……くぁ……」
ぴちゃぴちゃと水の跳ねる淫靡な音が部屋に響く。女生徒の唇と舌は徐々に下へ。輪郭をなぞるように口から顎、喉仏を刺激しつつ制服をはだけさせた首へ到達。舌をくねらせ柔らかくも鋭角的な快感を引き寄せる。電撃を受けたような痺れをもたらし、男子生徒の思考を根こそぎ刈り取る。そして―――
「あ………!」
ぷちっ、という果実の皮を突き通したような幽かな音と衝撃を首筋で聞いた。同時に体内から生きる為に必要なものが急激な勢いで吸い出される。この女生徒は頚動脈から生き血を啜っているのだ。
「あ……あ……あ……ぁ……ぁ……」
強烈な快感で男子生徒は通常の思考が働かない。吸血時の心地良さは性行為のそれを凌駕する。己の最期が近い事さえ自覚出来ずに、男子生徒は絶頂を求めて溺れ続けていた。
「……ふふふ……妾の贄となれて幸せであろう?」
「し……幸せです……! 幸せすぎて頭が狂いそうです……! もっと、もっと吸って下さい御門様ぁぁぁ……!!」
「ふふふ……可愛い奴じゃ。良かろう、そちには至上の快楽を与えたもうぞ。安心して妾に全てを委ねるがよい……!」
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁ…………!!」
叫びは断末魔ではない。絶対的な歓喜と圧倒的な快楽が織り為す臨界点のハーモニー。男子生徒は恍惚の表情を浮かべ、遂に絶頂を迎える。しかしそれは同時に訪れる死出の旅立ちへの出立点。凄まじいまでの快楽の最中、男子生徒は終ぞ苦痛を感じる事なく短い人生の終焉を受け入れた。
女生徒は絶命を遂げた男子生徒が動かなくなった所で、首筋から口を離し血に塗れた唇を舌で舐め取る。
「ふう……なかなかの美味であったぞ。妾は満足じゃ。ふふふ……」
血の気が失せ、恍惚を張り付かせたままの男子生徒の顔を指で愛でると、着崩れていた制服を正して女生徒は部屋を後にする。寝静まった寮内は死せる魂の拠り所のように無音。窓から差し込む月明かりだけが唯一の光源である廊下を歩く女生徒のその表情は、人在らざるもののそれを成していたが、彼女の真の姿を知るものはいない。
支配者は月夜に踊り朝日に消え、一人の失踪者と引き換えて再び平和な一日が始まる―――――