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夕凪と闇夜の咲く場所で  作者: 新夜詩希
2/16

【忘却されたプロローグ】

「―――ケン!!」




 件の邂逅より8年ほど遡った、ある春の日の人通りがない四辻。闇夜に舞う二つの影。交錯し互いを打ち倒さんと火花を散らす。一般人では視認する事すら叶わぬ速度。それもその筈、相対するは共に凡人のそれではない。まして、片方は『人の形すら成していない生物』なのだから。


「ハァ、ハァ、ハッ……!」


「どうした、動きが鈍っておるぞ? 『伝説の妖狐』ともあろうものが、随分と地に堕ちたものだな。これではそこいらの野狐と変わらぬではないか。達者なのは口先だけか?」


「う……るっさい……ッ!!」


 妖狐と呼ばれた生物は力の入らない四肢に猛りだけで活を入れる。全身を覆う見事なまでの白金の体毛は見るも無残に煤け、更に所々が血に染まっている。力の象徴であった立派な九つの尾は力なく垂れ下がり、本来の役割を為していない。

 そう、四足歩行で対する人間を睨みつけるこの生物は妖狐と呼ばれる狐の妖怪、しかも『金毛白面九尾の狐』という本来であれば一級クラスの妖怪なのだ。

 神社によく祭られている『稲荷神の使い』である事からも分かるように、永きを生きた狐は高い妖力と人語を解する知力を備え、神格化される。『九尾の狐』とはそれら妖狐の頂点に君臨する、言わば妖狐の王であった。


「分からんか? 最早この国はな、お主らのような異形が住んで良い土地など一区画さえありはしないのだ。お主とて3000年を生きた自尊があろう。素直に従えば苦しまぬように手打ちとしてやる。誇り高き九尾の狐ともあろうものが、無駄な足掻きは見苦しいぞ?」


 妖狐に対する男はあくまで尊大。自身の優位は揺るがないと確信している。それもその筈、この妖狐をここまで追い詰めたのは、他ならぬこの男なのだから。……否、それは正確ではない。伝説上の『殺生石』に変化した所を封印されて600余年、九尾の狐はつい3日前にその封印を打ち破って現世へ復活を果たした。しかしその際、妖力の大半を消耗しており、大量の補給を窮する状態にあった。そこへこの男が『妖怪狩り』として相対したのだ。

 この男はこの御守(みかみ)の地に根付いた退魔の系譜を受け継ぐ『陰陽師』。名を『八乙女(やおとめ) 隆栄(りゅうえい)』と言う。貌には深く刻み込まれた皺と見る者を圧倒する鋭い眼光。齢四十を数えながらも屈強な肉体と神通力を持ち、当代屈指を誇る退魔のスペシャリストである。


「ふん、冗談。あんたみたいな根性腐った陰陽師になんて祓われてたまるか。死に際くらいは心得てる。でもそれは今じゃない。あんたに祓われる事の方が遥かに屈辱なんだ……よっ!!」


「ぬっ……!?」


 妖狐は怒りを活力に変換し、バックステップで数間の間合いを取る。そして大きく息を吸うとありったけの妖力を裂帛の気合と共に―――




「―――コン!!」




 撃ち放った―――!


「むうっ!? まだこれほどの力を残しておるとは……っ!?」


 驚愕は隆栄。撃ち出されたのは剥き出しの妖力。何の加工も施さない純粋な魔弾の威力は大口径拳銃のそれを凌駕する。……否、妖狐の方には最早、妖力に加工を施す為の余力すら残されてはいなかった。故に無加工。されど威力は何ら変わりが無い、一般人では防ぐ事はおろか触れただけで死に至らしめる光の魔弾だった。

 ……しかし


「ふっ!!」


 それはあくまで一般人であればの話。相対するは退魔を生業とする稀代の陰陽師である。霊力により身体能力を向上させている陰陽師にとって同義ではない。隆栄は紙一重の差で魔弾を躱しきる。


「残念だったな、妖狐よ。その胆力には敬服するが、お主の今の妖力残量で私を打倒するなど到底不可の……むっ!?」


「!?」


 隆栄が魔弾を避けたその先。有り得ない光景に両者が目を疑う。……そう、撃ち放たれた魔弾の行先。そこに―――




 いるはずのない、一組の男女がいた―――




『―――――――』


 避ける事を知らないように、その男女は魔弾に飲み込まれる。スローモーションのような数刹那後、魔弾を全身で受けた男女は壁に激突し、どう考えても助かりはしない事を知らしめるように四肢が在らぬ方向に曲がっていた。


「くっ、何ゆえ一般人が……! 人払いの結界は磐石だったはず……!」


 隆栄は妖狐に目もくれず、最早助かる見込みはないと分かっていながら絶望的な気分で被害者に駆け寄る。陰陽師は人在らざるものと対峙した際、一般人を極力巻き込まない為に『人払いの結界』を張る事を義務付けられこれを遵守しなければならない。此度も例に漏れず、人払いは万全に済ませてあったはずなのだ。しかし結果はこれ。一般人を巻き込んでしまった呵責、それが目の前の妖狐の捕獲よりも一般人の救済を優先させた動機であった。


「………………くっ」


 動揺しているのは妖狐も同じ。確かに自身の妖力を高めたり活力補給の為に人間の精気を吸い、血肉を貪る事はあるが、このように予想外の殺生は一瞬の逡巡を生む。しかしそれでも尚、妖狐は自身が生き延びる為、隆栄が被害者達の方へ向かったのを見て僅かな罪悪感を抱えつつその場を逃げ出した―――






 *


「……は……ぁ……」


 何処をどう歩いたのか分からない。既に東の空が白み始めていた。足はとっくに棒のよう。普通の一般人ではアタシの姿は見えないと言っても、妖力が殆どカラの今のアタシではちょっとしたイレギュラーで見えてしまう可能性がある。それに、妖怪にとって朝日は毒だ。全てを忘れて眠りたい所ではあるけど……もう少しでも離れておかないと、またあの陰陽師に見つかってしまうかも知れない。そうなったら、幾ら何でも次は逃げ切れない。


「…………は………ぁぁ……」


 ……でももう流石に限界。朝日の中でこれ以上動き回ったら、陰陽師に捕まる前に動けなくなってしまう。アタシは白く大きな建物の横にある林、その深い茂みの中に身を横たえた。


「……はっ……はっ……ん」


 マズイなぁ……。これじゃ本気で消えかねない。3000年も生きたアタシが、こんな誰の目にも留まらずひっそりと消えるなんて。今までの悪行の報いかな。あんな暗い封印壇の中で死ぬよりはマシだけど、実質人間に殺されたようなもんだし。自慢の毛並みも尻尾も毛羽立ったり汚れたりでぐっちゃぐちゃ。最後に水浴びくらいしたかったなぁ……。


「………ぐすっ………ひっく……」


 なんて呑気な事を考えていたら、風に乗って幽かに泣き声らしきものが耳に届いた。何故だか分からない。本当に自分でも分からないけど、アタシは最後の力を振り絞りその泣き声を追って茂みを抜け出した。するとそこには……


「………うう………ひっく……」


 泣いている一人の男の子がいる。周囲には誰もいない。その男の子は、一本の木の袂で声を押し殺すように、自分の身を隠すようにたった一人で泣いていた。

 人間の歳はよく分からないが、随分と大人しそうな幼い顔立ちをしている。相応に背も小さく、まだ誰かに甘えていたい年頃なのだろうという事が見て取れた。


「…………?」


 男の子がアタシの気配を感じ取ったのか、涙にまみれた瞳をこちらに向ける。アタシは泣いていた彼に近づく。子供というのもあるだろうが、不思議と邪気は全く感じられない。


「キツネ……さん?」


 ……驚いた。この子、アタシの姿が完全に視えるんだ。人間には誰しも少なからず『霊力』というものが内在されている。その量には個人差があるが、平均よりも多少多いくらいではアタシの姿ははっきりとは視えないはずなのだ。つまり彼は相当量の霊力を備えているという事。確かにそう考えて見ればかなり強い霊力を感じる。よくここまで妖怪に目も付けられず成長出来たものだ。


「一体どうしたの? 何を一人で泣いているの?」


 アタシは腹を括って彼に問い掛ける。


「……おとーさんとおかーさんが……しんじゃったんだ……きのうのよる、こうつうじことかいってた。もう……あえないんだって」


 彼はキツネが喋っているという事実に驚く事もなく、素直に問い掛けに答える。そこまで頭が回っていないだけなのかも知れないけど。


「……そう、それは辛かったね」


 在り来りな言葉しか掛けられない自分に少し苛立つ。……アタシはこの子をどうしたいんだろう? 確かにこの霊力なら、食べてしまえばかなりの回復が出来る。自分の身体の事だけを考えるなら、それが最良。他の大人を呼ばれてしまう危険性も防げる。……でも、何故かそんな気分は欠片も起きない。消耗しすぎてアタシ自身もおかしくなってしまったんだろうか……?


「おとーさんとおかーさんは……4ちょうめのこうさてんでじこにあったんだって。おおがたトラックにはねられたんだって」


「御守4丁目の交差点……昨日の夜……ってまさか……!」


 もしかして……昨日アタシの攻撃が当たって死んだのって……この子の両親……? 頭を打つ衝撃。トラックに撥ねられたと言っているが、恐らくあの陰陽師がそのようにでっち上げたのだろう。妖怪や幽霊が実在する事など世間に公表されていない。故に霊障で死んだ人間は事故として処理される事が決まりになっているのだ。確かにまだ二つを結ぶ線は確定していないが、アタシにはそうだとしか思えなかった。


「でも………ぼくはなけないの。ないちゃだめなの。だってぼくはおにいちゃんだから。おにいちゃんだからないてちゃいけないの。しんをまもらなきゃいけないの。ないてたらまもれないの……」


 そう言いながらも、彼は堪えきれずに涙を零す。……まだこんなに小さいのに。両親の死と弟の面倒を一手に引き受けている。こんな小さい身体で、抱え切れない量の荷物を背負おうと必死にもがいている。それを背負って進もうとしている。全てを自分で守ろうとしている。そしてその荷物は……アタシが背負わせてしまったものなのだ。そのひたむきな姿がアタシには痛々しくも堪らなく輝いて見えた。


「立派だね……。でもね、おにいちゃんでもこんな時は泣いていいんだよ。泣いちゃいけない事なんてないんだよ。アタシが許すから、今は思いっきり泣きなさい。涙が枯れてもう零れなくなるまで、泣きなさい。アタシがその涙を受け止めてあげるから」


 そう言うとアタシは彼に寄り添って涙を舐め取る。ふわりと優しい味がした。彼の優しさと強い霊力が溶け合った甘い味。アタシはもっと味わいたくて、堪えても零れ出る彼の涙を舐め続ける。


「えへへ……キツネさん、やさしいね。……うん、キツネさんのいうとおり、すこしなくことにする。ごめんね」


 彼はくすぐったそうに幽かな笑みを零すと、アタシの躰を抱きしめる。


「……うう……ううあああ………うああああああああ……! おとーさぁぁぁん……! おかーさあぁぁぁぁぁん………! わああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 堰を切ったように泣きじゃくる。どれだけの悲しみを耐えてきたのか、アタシには察する事しか出来ない。アタシには彼が泣き止むまで傍にいてあげる事しか出来ない。

 ……だから、彼はアタシが守ろうと誓った。こんな化け物を『優しい』と言ってくれた彼を、アタシが守ると心の中で誓った。彼にはこれから、幾多の困難が待ち受けているだろう。その障害をアタシが全て取り去ってやろうと、彼のか細い腕の中で誓いを立てたのだった。それは決して罪悪感からだけの行動ではない。確かにそれが占める比重は大きいけれど、彼の両親を殺してしまった償いはしなくちゃいけないけれど、それ以上に彼を守りたいという源泉も分からない不思議な気持ちが湧き上がったのだ。


 ……これが彼との出会い。優しい人間と罪を犯した妖怪の、涙と血に濡れた最初の出会いだった。戸惑いはあれ、苦痛はあれ、この出会いがアタシを変えた。




 そして……これが今から8年前の、あらゆる運命の歯車が動き出した瞬間の出来事だった―――――





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