【狙候された第二話】 <四>
「ちょっと狐、話があるんだけど、いいかしら? って言うか拒否権ないからそのつもりで。屋上で待ってるわ」
『………………』
午後のホームルームが終わり、長かった入学初日も遂に下校時間となった。終了のチャイムが鳴り響くと同時にモモさんは席を立ち、窓際最後列で僕の隣の席に座っているタマに有無を言わさずそんな事を言い放って颯爽と教室を出て行った。タマと僕は勿論、僕の前の席で椅子ごとこちらに身体を向けていたカズまでもが絶句する。……それどころか、あまりの早業に教室中が静まり返っていたのだった……。
「あー、まあアタシも早いトコあいつとは話を付けておきたかったからねぇ。仕方がない……てゆーか好都合……かな。それじゃアタシはちょっとあの貧乳ちゃんとお話しして来るから。ジンはカズと先に帰ってて」
「えっ、待ってようか?」
「いや、少し長くなりそうだから。大丈夫、心配しないで。別に取っ組み合いになったりはしないと思うから」
「……だとよ。行こーぜ、ジン。今日は駅前のスーパーが特売なんだ。買い物手伝って貰わねーとな。こっちはこっちで早く行かねーとあのハリケーンババアに目ぼしい品全部持って行かれちまう」
「あ……うん、分かったよ」
僕とカズはタマの言い分に従って素直に席を立つ。
……因みにカズの言う『ハリケーンババア』とは、僕らがよく利用している駅前のスーパーに出没するお客さんの一人で、まあ所謂何処にでもいる『特売荒らし』『他人の迷惑を顧みない傍若無人なおばさん』の事である。その立ち振る舞いは横暴そのもの。列の割り込みや商品の横取りは勿論、細かい事でクレームを付けて値を下げさせようとしたり買った商品にわざと傷を付けて開封したのに返品したりとやりたい放題のおばさんなのだ。
利用者は勿論、店側もそのルール無用ぶりに辟易しており、このカズも何度もこのおばさんに辛酸を舐めさせられていたのだった。おばさんが買い物を終えた後はその名の通り、台風が通過したように店内を荒らされる為、いつしかそんな渾名が付いたのだとか。生活の為に必死になるのは良い事なんだろうけど……こんな大人にはなりたくないものですね。
「じゃあ、先に帰ってるね。くれぐれもモモさんとケンカしちゃダメだよ?」
「はいは~い、分かってるよ。それと今日は豚の生姜焼きが食べたいな~♪ ヨロシクね♪」
「おう、豚が安かったらな」
ヒラヒラと手を振るタマに見送られながら、カズと共に教室を後にする。他のクラスメイトも凍りついた時が動き出したように「さよならー」「じゃなー」「また明日ー」と口々に挨拶を交わし、思い思いに行動を始めた。
……タマとモモさんの話って何だろうな。多分今日の一連の事についてなんだろうけど……それはつまり僕が立ち入れない領域の話って事だ。気にならないと言えば嘘になる。でもタマ達が僕をその話題から遠ざけている以上、僕はそれに従うしかない。自分一人でどうこう出来る力がない僕は、少し悔しいけれどノータッチを決め込むしかないのだ。
ネガティブ思考に自ら蓋をして、『友達』に遅れないよう今日も歩いて行く―――
*
「来てあげたわよ、モモちゃん♪ 話って何?」
「ッ……! だからその呼び方は……!」
「いいじゃない、別に。……それにしても、こんなトコでアタシとアンタが話し込んでて大丈夫なの?」
「問題ないわ。結界式はこの屋上の一区画だけ一時的に無効化してあるし、人払いも済んでる。余程の大声でも出さない限り誰かに、ましてやあの蜘蛛に聞かれる事はないはずだわ」
「……へえ、流石は隆栄の娘だねぇ。その辺はお手の物って訳?」
「別にこの程度は陰陽道の初歩でしょ。八乙女じゃなくても出来るわよ」
「でも結界式を無効化したのって相手にはバレないの?」
「そりゃ流石にすぐバレるけどね、これは貴方との話し合いと同時に『何か企んでますよー』ってアピールする事で牽制する意味合いもある。まだ校内に生徒が残ってる時間帯で派手に暴れたりもしないでしょうし」
「成程ね、中の様子が分からない所で敵対勢力があからさまに何か話し合ってれば、そりゃ気になるし動きも慎重になるってもんか」
「そういう事よ。で、話なんだけど、早い内に立ち位置をハッキリさせておこうと思って」
「へえ、そりゃ同感だね。この際ハッキリさせようじゃない。……どっちが学年ナンバーワンの美少女なのかをっ!!」
「バカじゃないの。ねえバカじゃないの」
「大事な事なので2回言いましたーーー!?」
「そんなもんに何の価値があんのよ。そもそもそんなの周りが勝手に決める事であって私と貴方が話し合いで決める事じゃないでしょう?」
「……って事は自分がそれなりの美少女である自覚はある訳だね?」
「……どうでもいいでしょ。でも『校内ナンバーワン』じゃなくて『学年』って事は、あの蜘蛛には負けを認めてるって訳?」
「アレはね、『人間の理想を具現化した美しさ』なのよ。魅了の妖術の前提みたいなもので、パーツとしての美しさ云々は関係なく人々が理想とする美女像を体現しているの。要するに『概念武装』。つまり、『生物としての美』の観点から言えば、アレはアレを上回る妖呪式を用いない限り最強って事なのよ」
「ふうん、要するに負けは認めるのね?」
「……負け負けって煩いね……。あんなのよっぽど暇で『ソレ』目的でもない限りやる必要なんてないもん。アタシからしたら力の無駄遣い以外の何でもない。だから負けとかそういう話じゃない」
「成程、参考になったわ。今だけはお礼を言っておく」
「別に感謝される謂れはないけどね。……そろそろ本題に入らない? 話が横道に逸れまくってるけど……」
「そ、そうね……ってかアンタの所為じゃないの! ……コホン。私的に問題なのは、貴方達が今後どういうスタンスを取るのかって事なのよ」
「スタンス?」
「簡単に言えば、私……いえ、八乙女と敵対するのかどうか」
「……さあ、どうだろう。それはアンタの『仕事』内容次第でしょう? せめて概要だけでも教えてくれないと答えようがない」
「……確かにその通りね。守秘義務があるのだけど、仕方ないわ。私の仕事は『失踪事件の原因究明と根絶』よ。知ってるでしょ、7年前からこの学校で起こってる失踪事件。ついこの前、通算8人目の犠牲者が出たアレよ。どうも妖怪絡みみたいだからって、警察から八乙女に依頼が来たのよ。私はその潜入捜査中って訳」
「まあ大体予想通りだね。それはつまり、アタシの駆除やジンとの接触は業務に含まれていない?」
「端的に言えばそうね。鳴海くんは今まで貴方が隠してたお陰でノーマークだったけど、貴方の駆除は別にやっても構わないわよ? 元々お父様が仕留め損ねた妖怪だし、大昔まで遡れば殺生石に封印したのも私のご先祖様だし。今は何の悪さもしてないようだから基本的にはお咎め無しだけど。……ってか御守から低級妖怪が激減してるのって、貴方の仕業でしょう? お陰で商売上がったりなんだけど」
「それは実益を兼ねてるから。アタシの方も別に八乙女にリベンジする為に力を蓄えている訳じゃなくてあくまでジンとシンを守る為に喰ってるだけよ。八乙女も前はそれなりに恨んではいたけど、今はそこまでじゃないし。アンタ自身もそんなに悪いヤツじゃなさそうだしね」
「……シン?」
「シンってのはジンの弟よ。今は小学校に通ってる。こっちはアタシが細工したから妖怪に目を付けられる心配はないのだけど……って、話聞いてるの?」
「弟……小学生……ふふふ………」
「……何か目付きが尋常じゃないけど……お~い、モモちゃ~ん?」
「はっ!? こ、コホン。えっと……そ、そう、九尾の狐ともあろうものがそこまでして守るあのコって何なの? 8年前に死にかけた貴方がわざわざ非効率な方法で力を蓄えながら守る理由が分からないわ」
「さてね、ハッキリした事をアンタに言う義理はないけど……でもジンはアタシにとって、いなくてはいけない人間なの。それだけは教えといてあげる」
「……話に聞くよりも随分丸くなったものね。そう、なら貴方達は私の敵じゃないわ」
「でもあの主はジンに目を付けたでしょ? アンタに協力はしないけど、アイツからジンを守る必要はある」
「蜘蛛か……。アイツが元凶なのは明白なのだけど、如何せん前情報が少なすぎて色々と準備が足りないのよね。今の所分かっているのは、この学校は御守の地では八乙女の土地に次いで霊脈が強いって事と、主の正体が蜘蛛の妖怪って事と、そして学校を覆っている結界が『魅了』『吸収』『増強』『捕縛』『盗聴』『不可侵』『隠匿』を複合した類のものだって事くらいね。何とまあ分かりやすい蜘蛛の巣だわ」
「潜入調査って、事前に充分調べてからやるもんじゃないの?」
「普通ならそうなんだけどね、この御守高校は外部からの接触が極端に難しい。生徒や教師もディープに洗脳されてる人達は全て寮内に囲っていて外部者との面会も禁止されてるし、情報も殆ど漏れて来ない。失踪事件が起きているにも関わらずろくに捜査されないのはそういう事。校長やその他学校の首脳陣は軒並み蜘蛛の傀儡よ。結界からも分かる通り、その辺は余程徹底しているのでしょうね。だからこの仕事だけは文字通り飛び込み。生徒か教師になる方法じゃないと内部調査出来ないのよ。私が高校入学するタイミングで潜入を開始しないといけなかったから時間もなかったし」
「……敵の根城に身を置かなきゃいけない訳か。正に虎穴に入らずんば、ってヤツだね。そう言えば、前に入試とそれ以外でも一度この学校に来た時は結界なんてなかったんだけど、アレって何だったの?」
「入試からこっち、どうしても外部の人間が出入する機会が多くなるこの年度切り替えの時期は余計な警戒をされる可能性を低くする為に殆どの機能を無効化していたみたい。多分効いてたのは『隠匿』くらいだと思う。『隠匿』だけに特化させれば幾ら貴方や私でも感じ取れないでしょ。それは複合結界を再構築する為でもあったみたいね。……って、何しに学校に来たのよ?」
「まあ……担任に会ってアタシの髪の色を認めさせたりクラス分けに細工したりする為に、ちょっと」
「呆れた……。洗脳したって訳? 蜘蛛と違わないじゃない」
「別にいいでしょ、必要な事だもん。この国だと白金髪は受け入れられにくいんだから。……ん? そう言えば、相手が蜘蛛だって最初から知ってたの?」
「入学式の挨拶の時に見たのが初めてよ。その時、魂の形がそういう風に見えたから。貴方を狐だって見抜いたのも最初はそれ。後で貴方の状態や会話で九尾の狐だって推理したのよ。まさか伝説の妖狐がこの程度の妖力しか持たないなんて思わないもの」
「……アンタねぇ……」
「それよりさ、あの式神はどうやって編んだの? あんなオートマチックで完成度の高い式神は初めて見たわ。あれだけは素直に感心した」
「八乙女にも知られていない秘中の秘だから教えてあげない。つーかどうせ聞いたって人間には作れないよ。他の妖怪にも無理だけど」
「いいじゃない、教えなさいよ。……って、随分話し込んじゃったわね。話は大体済んだし、そろそろ潮時かしら」
「……随分と関係ない話題も多かったけど、それなりに有益な話だったよ。ひとまず、アタシらに危害を加えなければアンタ達とは敵対しない。それだけは約束する。アタシはジンさえ守れればそれでいい」
「オーケー、取り敢えずはそれでいいわ。私達も貴方の助力を得ようとは今の所思ってない」
「今の所……って事は、今後そういう可能性もあるって事?」
「それは相手次第ね。あっさりカタが付けばそれでよし。でもあまりにも苦戦するようなら、或いは……って感じかしら」
「そう、ならなるべくそうならないように頑張った方がいいんじゃない? 妖怪に救援を求めたとあっちゃあ八乙女の名折れでしょう?」
「勿論よ。しかもその相手が九尾の狐となれば尚更。それはまあ、最悪のケースね。……それと、最後に一ついい? 鳴海くんには真相を話さないの? 蜘蛛、完全に鳴海くんをロックオンしてるわよ。アレ相手に自覚のない鳴海くんを二人で守り切れるとは思わないんだけど。せめて妖怪の存在を話して自衛の意識だけでも持ってもらった方がいいんじゃない?」
「………ジンには……こんな血生臭い話をしたくない。あの子には普通に人間としての生活を全うして欲しいんだ。それを守る為に、アタシとカズがいる」
「でも一度蜘蛛の妖気に当てられて失神してるのよ? 鳴海くんだって色々考えて不安になってるだろうし、何も情報を与えないのも限界があると思うけど。狙われている以上、多少なりとも自衛意識を持って貰うのが得策……」
「五月蝿い!! この件に関してアンタに口出しされる謂れはない!!」
「いきなり大声出さないでよ。誰かに聞かれたらどうするの。……そっか、そっちがそういうつもりならそれで構わない。私も鳴海くんの事は取り敢えず一般生徒として対処するわ。それじゃ、私はこれで帰るわね。せいぜい気を付けなさい」
「……………アタシだって……分かってるよ。今の状態に限界がある事くらい。……でもジンには……ジンには嫌われたく……ないから……。両親を殺したのがアタシだなんて……知られたくないから………。今の平穏な生活を崩したくないから………。だからアタシが守るんだ。ジンも、シンも、この生活も。いつまでも続けられるように。……戦うしか……ないよね―――――」
【狙候された第二話】 了