【狙候された第二話】 <参>
「お友達同士でお弁当を囲んで談笑なんて、羨ましいです。お弁当もとても美味しそう。皆さんは仲がよろしいのですね」
「………………」
周囲の空気が変わる。表現出来ない違和感と、不自然な重圧。空気に粘性が加わったような、息苦しい感覚。動悸が速まり汗が噴き出し、身体の奥まで侵入されている錯覚さえ覚える。楽しい時間なんて、それこそ泡沫に過ぎなかった。
振り向いたそこにいたのは美貌の生徒会長・御門稜姫先輩。無論その表情や口調に威圧的なものは一切なく、あの生徒達を魅了した柔らかな微笑みと穏やかな声色で話しかけてきた。そして御門先輩の周囲は数人の男子生徒によって取り囲まれている。
「…………何の用?」
タマが御門先輩に問い掛ける。その声にはいつも僕らと話をする時のような快活さはない。警戒を色濃く映し出した響きだった。
「いえ、皆さんの食事の邪魔をしに来た訳ではないのですよ。お昼休みはいつもこうして校内を歩いて、なるべく多くの生徒さんと触れ合う時間にしているんです。これも生徒会長としての務めの一つなんですよ。たまたま通り掛かったら皆さんがとても楽しそうにお喋りしておられましたので、挨拶をと思い立った次第です」
年下と接しているのに御門先輩の口調は実に丁寧な敬語。恐らく誰に対してもそうなのだろう。気立ての良さが滲み出るような、誰からも好かれるであろう人間性が垣間見える。美人で気品があり、しかも性格もいいとなれば生徒会長として理想的な人物だ。生徒や教師からの支持もさぞかし高い事だろう。
しかし僕は……どうしても御門先輩に良い印象を抱けない。理性では分かる。確かに彼女は完成された凄い人なんだろう。御門先輩を受け付けられないのは感覚の方。理由なんて分からない。でもこうして御門先輩の姿を見て声を聞いているだけで心も身体も重くなり、云い様のない恐怖や不安に押し潰されそうになる。
「あら? そちらの方は先程の入学式で倒れられた方ですよね。その後、ご機嫌はいかがですか?」
「ッ………!!」
会話の矛先が僕に向かう。思わず身体を強張らせてしまい、ジリッと後ずさってしまった。御門先輩はただ心配してくれているだけだというのに。そんな僕に一歩、御門先輩が近寄った瞬間
「気安くジンに近付くなよ、生徒会長さん」
敵意を露わにして、カズとタマが僕を庇うように僕らの間に割り込んだ。
「おい貴様ら! 新入生の分際で何だその態度は!! 御門様に失礼だぞ!!」
御門先輩を取り囲む上級生と思しき数人の男子生徒の一人が声を荒げ、タマ達に詰め寄る。……『御門様』? お姫様でもあるまいに、幾ら生徒会長だからって随分な扱いだ。御門先輩同様、この人達にも相当な違和感を覚える。
「まあまあ、いいんですよ。驚かせてしまったようでご免なさい。ああ、この方達は生徒会執行部の皆さんです。私を常にサポートしてくれるんですよ」
こちらの緊張など気にも留めずに殺気立った男子生徒を宥める御門先輩。笑顔は絶やさず、声色も穏やかなまま。傍目から見る分には極めて性格の出来た良い人だ。……だからこそ矛盾があり、違和感がある。作り物のようであり、演技のようにも見えるのだ。
「そうだわ、せっかくですし、皆さんのお名前を教えて頂けないでしょうか? 私の名前はご存じかと思いますが、改めて。生徒会長の御門稜姫と申します。学校生活で何か困った事があれば、気軽に何でも話して下さい。これから宜しくお願いしますね」
御門先輩はペコリと礼儀正しく頭を下げる。
「……ふん、アンタなんかに名乗る名前は―――」
タマがそう言い掛けた刹那、
「初めまして、1年1組の八乙女です。こちらこそ、宜しくお願いします」
今まで押し黙って僕の後ろにいたモモさんが、タマ達よりも一歩前に進み出て挨拶した。
「ちょっ……アンタ……」
「生徒会長とは一度じっくりとお話してみたいと思っておりました。まさかこんなに早く会えるとは思ってなかったけど……鳴海くんを張っていて正解だったわね」
モモさんはニヤリと不敵に口元を歪める。
「八乙女さんですか。初めまして。私も多忙な身ゆえ、なかなか纏まった時間は取れないのですが、下級生の頼みを無碍には出来ません。近い内、何とか時間を調整いたしましょう」
「ええ、いつでも結構です。私も寮生ですから」
「そうですか。ではまた後ほど。……それと、そちらの皆さんはお名前を伺っても宜しいのでしょうか?」
モモさんから視線を外し、再び僕らに向き直る。
「僕は…………」
場の空気に飲まれ、うっかり口に出しそうになった瞬間―――
キーンコーンカーンコーン
昼休み終了を告げる予鈴が校内に鳴り響いた。
「……あら、もう時間ですか。今日はここまでにしましょう。1年生は午後はホームルームで終了ですが、授業じゃないからってサボらないで下さいね。さて、私達も教室へ戻りましょう。それではご機嫌よう、皆さん」
あっさりと踵を返し、執行部の人達を引き連れて御門先輩は校舎の方へ去って行く。途端に膝を付くかと思う程に弛緩し、疲れが押し寄せる。
「はあ………」
溜息を吐き出す。強張った表情筋も解され、噛みしめていた奥歯もようやく離れてくれた。
「アンタ……一体……」
「言ったでしょ、『仕事』の為だって。別に操られてるとかじゃないから安心なさい」
タマとモモさんはそこまでの短いやり取りで、僕が聞いている事を思い出したように二人共口を噤む。
「そ、それじゃあ教室に戻ろうか。ホームルームがあるみたいだし、僕まだまともに自分の席に座った事ないんだよねー。楽しみだなぁ、あははー……」
無理矢理明るい声を出す。空元気なのは丸分かりだが、僕まで暗くなってしまえば皆心配する。
「カズ、タマ、モモさん、早く行こう。あっ、お弁当も片付けないと」
「……おう、そうだな。……少し弁当余っちまったか。仕方ねーけど」
「あとでちょっと摘まませてよ。授業終わり辺りに丁度良くお腹減ると思うんだよね」
「ん、ありがとなジン」
カズと手分けして広げたお弁当を片付ける。正直今は何かを食べる気分じゃなくなってしまったけど、少ししか食べられなかった分、夕食までは持たないだろうし。
「ジン………」
タマが僕を見ている。何を考えてるのかは推し量れないけど、その眼差しには優しさが混じっている気がした。
「ん? どうしたのタマ? ……よし、片付いた。それじゃ行こうよ、皆」
僕はタマの反応を見ずに歩き出す。……これでいい。タマ達が何を考えて、何を僕に隠しているのかは知らない。でもそんな事でタマ達の事は嫌いにならないし、本当に僕に必要ならその内タマ達の方から話してくれるだろう。その時が来るまで、僕は僕らしく過ごしていればいい。僕が逆にタマ達の支えとなれるような気概でいればいい。それは恩返しでもあり、僕なりの友情表現だ。……僕にはこんな事しか出来ないのだから。
「ジンっ、えへへ~♪」
先行して歩いていた僕にタマが飛び付いて来た。
「うわっ! い、いきなりくっつかないでよタマ……!」
「いいじゃないっ、アタシとジンの仲でしょ~?」
「こらこらタマ、ジンはお前のもんだけじゃねーぞ?」
「全く……相変わらずのお天気さんねこの牛狐は。問題はむしろこれからだってのに……」
僕らは改めて教室に向かって歩き出す。考える事は多いし不安もあってまあ色々と大変だけど、僕には皆がいる。それだけで充分すぎる。
だから僕は下を向かずにいられるんだ―――