99.第八章十話
ベルティーユは息を呑んだ。
(どういうこと……?)
あの病は原因不明で治療の方法もない。進行を遅らせる気休め程度の薬なら開発されていたけれど、レアンドルはまさかそれのことを言っているのだろうか。
それに、王宮で倒れたとはなんだ。ベルティーユはあの日、王宮で命を落としたはずなのに、その後の記憶とはどう意味なのだろう。
困惑を見せるベルティーユに、レアンドルは考えるように目を伏せる。
「お前は王宮で倒れた日に自分が死んだと思っている。そう認識していいのか?」
「……違うようですね」
「ああ。お前が死んだのはその三日後だ」
なら、あの光景は――ラスペード侯爵邸の自室でベッドの傍らにいたレアンドルが病について話していたのは、その三日の間のどこかの出来事だったのだろう。
驚いたけれど、案外冷静にその事実を受け入れることができた。死を直感して結局は死んでいなかった、というのはすでに経験があるからだろうか。
「また誰かに憑依されていたなんてことはありませんよね」
「そのようなことはなかった」
「そうですか」
今のベルティーユが忘れているだけで、憑依されていたわけでも、それこそ本当に記憶喪失だったわけでもないらしい。
なぜ忘れているのだろう。そもそも、時間が戻っているこの状況が不思議なことなのだから、記憶があるほうがむしろおかしいのか。
「病のこと、お兄様は何を知っているのですか?」
「原因だ」
話の流れからもしかしたらとは思っていたけれど、予想が当たった。
「あの病は、現代の魔力持ち特有のものらしい」
「魔力持ち……?」
「言葉どおり、魔力を宿す者のことを指している。お前は魔力持ちだ」
レアンドルが断言する。
(私に魔力がある……?)
レアンドルは冗談を言うような人ではないけれど、魔力があるなんて話は到底信じることができなくて、ベルティーユは訝しい顔になった。なんとなく自分の手を見ても、魔力などわからない。
「自覚がないのは当然だ。魔力を感じることができるのは魔法使いだけだからな」
魔法使いではないのに魔力を持っているのは特に珍しいことではない。魔法に関する書物に記されていたけれど、魔力を持っていることと魔法使いとしての素質があることは別のようなのだ。魔力があれば必ず魔法使いとは限らないらしい。
魔力を視認したり感じたりすることができるのは魔法使いだけ。魔力を持っていても、魔法使いでなければ自身の魔力を感じることはできない。体内の血液の流れを感じることができないのと同じことである。
魔法使いがいなくなってしまった現代では、魔力持ちさえも生まれなくなったという見方が一般的だ。魔法使いが存在しなければ魔力を持っている人間の判別などしようがなく、魔力持ちが存在することを証明できないのだから。
ベルティーユには魔力がわからない。けれど、兄はベルティーユが魔力持ちだという。
「お兄様は魔法使いなのですか?」
「私もただの魔力持ちで、魔法使いではない。――魔法使いだったのは、私たちの母親だ」
何度驚けばいいのか、更なる衝撃を受けてベルティーユは目を見開いた。
レアンドルまで魔力持ちだということもそうだけれど、亡くなった母が魔法使いだったなんて驚かないはずがない。
「初めて、知りました」
「父上も知らないことだ」
母は父アルベリクにも自身が魔法使いであることを隠していたらしい。それなら、なぜレアンドルは知っているのだろう。
「魔法使いと言っても、母上の力はそれほど強くなかったそうだ。何日も祈って雨を降らせたり、晴天にしたり、街一つ分ほどの規模の天気に干渉することができたらしい」
充分にすごいことだと思うけれど、魔法を成功させるのに何日も要したのであれば、書物に出てくる魔法使いと比較すると確かに物足りないような力なのかもしれない。
「それでも、日照りが続いて不作が懸念される時期に雨が降れば神の恵みだと感激し、雨ばかりが続き水害が懸念される時期に晴天になると神の慈悲だと安堵する。そのような『偶然』が積み重なれば、『奇跡』と呼ぶ者もいる」
耳が痛い話だ。
ベルティーユは昔、数少ない外出で必ずウスターシュと会うことができた。その偶然が積み重なって、婚約者として再会して、運命だと勘違いした。仕組みとしては同じことだ。
「母上がラスペードに嫁ぎ、天候に悩む領内の土地を巡って熱心に祈った後に奇跡が幾度も起こったのだから、崇めて盲目になる者が現れるのは必然と言える」
身分に囚われず皆に寄り添う人だったから、とても優しいから。ただそれだけの理由で慕われていたわけではなかったという。
魔法使いだと露見したのではなくとも、神聖視はされていたのだ。
「母上が亡くなって領地に天災が重なったのも必然だった。お前なら気づいているだろう。魔法による干渉は、時に事態を悪化させることもある」
母が魔法で天気に干渉したために、天災が領地を襲った。そういう意味だと理解して、ベルティーユは手をぎゅっと握る。
先ほどから食事には手をつけていない。そんな余裕がないほどの情報量に、頭は追いつくので必死だ。
「お母様は、魔法使いであることをなぜ公表しなかったのですか」
魔法使いだと公表していたら、生まれたばかりのベルティーユが天災を呼び寄せたとすべてを押しつけられることはなかったかもしれない。
「現代の魔法使いの扱いに納得できなかったからだろうな」
「……結婚」
思いついたものをベルティーユがぽつりと呟くと、レアンドルは「そうだ」と肯定する。
「魔法使いが減ると、どの国も魔法使いの獲得に躍起になった歴史がある。昔から優秀な魔法使いを王族や王族に近しい者と結婚させ、身分で縛り、魔法使いとして国のために力を使うことを強要してきていたのが、魔法使いが貴重になった時代ではより顕著になった。だから魔法使いたちは力を隠して生きることを選んだ。母上もそうだったようだ」
現代に魔法使いは存在しない。それは、彼らが思うように生きるために選択した結果だった。
ミノリの顔を思い出す。
わけもわからずこの世界に転移してきた異世界人の彼女は、魔法使いだからこそ王宮で保護された。ベルティーユという障害はあったけれど、ウスターシュと両想いになったのはミノリにとって幸いだったのだろう。
「しかし、現代に魔法使いがほとんど存在していないのはおそらく事実だ。そうでなければ、魔力持ちの病に関する記録があまりにも少なすぎる」
「現代の魔力持ち特有の病だと言っていましたが、具体的にどういうことなのですか?」
昔の魔力持ちには縁がなかったのだろうということくらいしか想像ができない。
「魔法使いや魔力持ちが減ったために、時代が流れるにつれて現代の人間は魔力に対する耐性を持たずに生まれるようになった。そのような体質なのに魔力を持って生まれるのは突然変異だ。体内の魔力は耐性のない体に悪影響を与える。微量ならばさほど問題はないようだが、成長と共に魔力が増え、その魔力に耐えられなくなり体の機能が壊れていく。それがあの病の正体だ」