94.第八章五話
ボートを堪能してテオフィルたちのところに戻ると、テオフィルがリュシアーゼルに駆け寄って内緒話をするように口元を隠しながら見上げるので、リュシアーゼルはしゃがんで耳を向ける。
「ちゃんとベルティーユ様にアピールできた?」
(聞こえていますよ、テオフィル様)
コソコソしていてもその声は近くのベルティーユに届いており、少し抜けているのが子供らしい可愛さだ。リュシアーゼルは「全力を尽くして口説いた」なんてもっともらしく答えている。
ひとまず満足したようで、テオフィルは「食事にしよう!」と再び敷物の上に座った。ベルティーユとリュシアーゼルも続く。
「テオフィル様のお好きなお肉のサンドイッチがありますよ」
オルガがバスケットの中から取り出したサンドイッチを受け取ったテオフィルは、瞳を輝かせた。
「お嬢様は何になさいますか?」
「たまごサンドをお願い」
ゆで卵を潰してマヨネーズで味付けをしたものが挟まれているそのサンドイッチは、かつてユベール公爵家の者と結婚した異世界人が作って以来、ユベール公爵家に代々受け継がれている味だそうだ。
以前、図書室で本を読んでいたベルティーユに食べやすいようにと出されたことがある。それからお気に入りなのだ。
渡されたたまごサンドに頬を緩ませ、「リュシアーゼル様もお肉のですよね」とオルガからサンドイッチを受け取っているリュシアーゼルにちらりと視線を向ける。
タレに漬け込んだお肉を焼いて、それを野菜と共に挟んだサンドイッチ。リュシアーゼルとテオフィルのお気に入りだという。
護衛たちは立ったまま順番に食べるらしいので、他の全員にサンドイッチが行き届くと、テオフィルがまず一口食べる。美味しいというのが表情から伝わってきた。
リュシアーゼルは普段どおり黙々と食べており、特に感想はない。違和感を覚えている様子はないので問題ないと判断し、ベルティーユは一安心で自分のサンドイッチを食べた。
かなりお腹が空いていたのか、テオフィルの食べるスピードが早く、サンドイッチがどんどんなくなっていく。
「美味しいですか?」
「はい!」
「それはよかったです」
満面の笑みが返ってきたので、ベルティーユもにっこりと笑った。想像はしていたけれど、実際にこうして本人の口から聞くとより嬉しいものである。
「そちらはお嬢様が作られたそうですよ」
「えっ!?」
オルガから告げられたことにテオフィルは目を丸めてこちらを見る。リュシアーゼルや護衛たちからも驚きの眼差しが向けられた。
「ベルティーユ様が!?」
「はい。私の誕生日にはテオフィル様とリュシアーゼル様がフレンチトーストを作ってくださいましたから、そのお礼になればと思いまして、お二人のものを」
リュシアーゼルはサンドイッチに視線を落とし、「……気づかなかった」と呟いた。
「料理長の指導の賜物ですね」
ベルティーユは料理長に教えてもらいながら、肉をつけるタレ作りから自身の手でやったのだ。料理長が想定していたほど時間がかからずスムーズに進んだようで、『手際が良くお上手です』と褒められた。
慣れないことで少し大変な部分はあったけれど、思っていた以上に楽しかったし、達成感もあった。案外ハマるかもなんて思っていたけれど、本当にハマりそうだ。
「わかってたらもっとかみしめて食べたのに、あとちょっとしかない……!」
テオフィルはどうやらショックを受けているようで、手を震わせている。
「他にベルティーユ様が作ったのはどれですか!?」
バスケットの中には、一個では腹が満たされない男性陣用にまだサンドイッチが残っている。
「お二人が食べているお肉のサンドイッチしか作っていません」
「そんな……!」
まるでこの世の終わりかのような絶望に染まった顔をして、テオフィルはがっくりと項垂れた。予想とは違った反応にベルティーユは困ってしまう。
「えっと、また今度何か作りたいなと思っていますので、その際は前もってお伝えしますね」
「ほんとですか!? 約束ですよ!」
ものすごい圧を感じて「約束です」と答えると、表情を明るくさせたテオフィルはまだ手にあるサンドイッチを熱心に見つめる。
「ここからはしっかり味わって食べます。ありがとうございます、ベルティーユ様」
やけに真剣な眼差しに、やはり大袈裟だとベルティーユは思ったけれど、喜んでくれているのは間違いないようなのでいいかと結論づけた。
「とても美味しい。ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
リュシアーゼルからもお礼の言葉をもらい、ベルティーユの心は温かくなった。
帰りの馬車の中で、テオフィルはリュシアーゼルにもたれかかって眠っていた。ベルティーユ、オルガ、ジャンヌは二人の正面に座っており、オルガとジャンヌがテオフィルの姿に目元を細めている。ベルティーユもテオフィルの気持ちよさそうな寝顔に自然と表情が柔らかくなった。
「ピクニックはどうだった?」
「楽しかったですよ」
リュシアーゼルに訊かれて、正直に答えた。
初めての料理にボート。敷物にみんなで座って食事をしたり、読書をしたり、談笑をしたりして過ごす。邸の庭で過ごすのとも異なる新鮮な出来事だった。
「ボート、また乗ってみたいです」
「そうか」
リュシアーゼルが満足そうに口角を上げた。
(顔がいいわね)
ベルティーユはなんとなく、窓の外を見る。リュシアーゼルではなく別の何かに意識を向けようとしたのだろう。
『――』
すると、頭に何か、男性が話している光景が浮かぶと同時に痛みが走った。ベルティーユの表情が不自然に固まったので、リュシアーゼルが訝しげに眉を顰める。
「どうした?」
「いえ……」
なんでもないと続けようとしたけれど、先ほどよりもズキリと頭が痛くなった。
「ベルティーユ?」
「――ッ」
急激に痛みが増し、ベルティーユは頭を押さえて唇を噛み締める。頭が割れるように痛い。
「ベルティーユ!」
「お嬢様!!」
「……ん? なに?」
リュシアーゼルとジャンヌの声に続き、異変に気づいたテオフィルの声が聞こえてくる。せっかく眠っていたのに起こしてしまった。
「お嬢様、どうなさったのですか!? 頭が痛むのですか!?」
必死な声に返事をする気力もない。意識が遠くなっていく。
「ベルティーユ様? 叔父上、ベルティーユ様どうしたの?」
「急に頭が痛くなったようだ。――邸に急げ! シメオン、医者を呼びに行ってくれ!」
リュシアーゼルが御者とシメオンに命じている声を最後に、ベルティーユは意識を失った。
◇◇◇