87.第七章十一話(リュシアーゼル)
王都に到着し、馬車で王宮の敷地に入る。
馬車が停まったので降りると、出迎えにはウスターシュがいた。
金髪碧眼、整った顔立ち、洗練された佇まい。まだ十六歳ながらまさに絵本などに出てくるような、絵に描いたような王子様だと相変わらず思う。
しかし、中身は子供だ。政略結婚に不満があるのは仕方ないにしても、それを相手にぶつけるような稚拙な一面を持つ少年。
交流はほとんどない。それでもリュシアーゼルは、ウスターシュのことを心の底から嫌いになった。
王族だから、貴族だから、無条件に尊敬できるなんてことはないのだ。人間性が受け入れられなければ、相応の印象を抱くことになる。
王族として不自由は多いだろう。公爵家の次男として生まれ、思わぬ形で公爵位を継承することになったリュシアーゼルも、その気持ちはよくわかる。それでも、ウスターシュがしたことは許されないことだし、リュシアーゼルには到底理解できない。
こんなにも憤っているのは、被害者が他でもないベルティーユだからだと自覚している。
内に渦巻く負の感情を押し隠して、リュシアーゼルはひとまず頭を下げる。
「リュシアーゼル・ブノワ・ユベールが第二王子殿下にご挨拶申し上げます」
「顔を上げてくれ。忙しい中、領地からの訪問に感謝する」
慣れた様子で挨拶を受けたウスターシュだったけれど、わずかに緊張しているのが見てとれた。
かなり短い、最低限の形式的な挨拶が終わったので、顔を上げたリュシアーゼルは纏う空気を変える。好意的な態度をとる気など、リュシアーゼルには微塵もなかった。
「直々にお出迎えとは、意外ですね」
「わざわざユベール公爵に出向いてもらったのだから当然のことだ。……応接室まで案内する」
ウスターシュの後ろに続き、王宮に立ち入る。
王宮には当然、貴族や使用人など他にも人がいる。社交には非常に消極的ゆえに王都の滞在はほとんどないリュシアーゼルの姿を、人々は物珍しそうに見てくる。
嫌な視線だ。こういうのが煩わしいから、リュシアーゼルは王宮も社交界も好まない。
ただ、今回の視線は普段向けられるものとは毛色が違う。リュシアーゼルとウスターシュは、ベルティーユの現婚約者と元婚約者という関係性になっている。しかも、ベルティーユとウスターシュは婚約破棄という形で終わり、色々あったことは周知の事実なのだから、注目されるのは必然と言えた。
応接室に着くと、従者の手で紅茶が用意された。従者はすぐに辞したので、リュシアーゼルとウスターシュ以外は室内に誰もいない状況となる。
「……ベルティーユ嬢は元気か?」
「ええ」
少々躊躇いがちなウスターシュからの確認は、最初の質問としては意外だった。リュシアーゼルは冷静に、淡々と返事をする。
本当ならベルティーユの近況をウスターシュの耳には入れたくないのだけれど、ある程度は伝えないとウスターシュは引き下がらないように思えるので仕方ない。
もう一つ、ベルティーユから伝言を預かっているというのも理由としてある。
「私が手紙を送っていることは、彼女は……」
「知っていますし、取り次ぐ必要はないと言われています。手紙は彼女の目に触れていません」
そう告げると、ウスターシュは酷く傷ついたように目を見開いた。
なぜ眼前の男がそのような顔をできるのか、やはり理解に苦しむ。感情が滲んで、リュシアーゼルの眼差しも声も鋭さを増した。
「私の婚約者に確認したいことがあるとのことですが、何度もお返事したとおり、彼女に会わせるつもりも、手紙等のやりとりを承諾するつもりもありません。先ほどの言葉からお察しかと思いますが、これは私の判断だけでなく、彼女の意志でもあります」
「っ……」
「初恋相手とやらに執心なさっているのでしょう。ベルティーユはもう殿下と関わることを望んでいません。これ以上、彼女の時間を徒に奪うことはおやめください」
リュシアーゼルからの言葉にウスターシュはぎゅっと拳を握り、顔を少し俯かせる。
「それが、――かもしれないんだ」
「……?」
呟くようなウスターシュの声が聞き取れず、リュシアーゼルは怪訝に眉を寄せる。すると、ウスターシュが顔を上げて、改めて口を開いた。
「私の初恋相手は、おそらくベルティーユ嬢だ」
そして、そうはっきりと紡いだのだ。
今度はリュシアーゼルが瞠目する。
「……何を仰ってるんです?」
ウスターシュは政略結婚に不満があったためにベルティーユを蔑ろにし、結果として婚約破棄となり、現在は初恋相手を捜しているということだったはずだ。それなのに、一体何を言っているのか。
リュシアーゼルが説明を求めると、ウスターシュはぽつりぽつりと語り始める。
「昔は王宮にいるのが息苦しくて、私はよく王宮を抜け出してお忍びで街を回っていた。そこで出会ったのが、使い古された服を着た、痩せ細った少女だった。彼女とは何度か会って、話をして……不思議と惹かれていた。それが恋愛感情だとちゃんと自覚したのは、会えなくなってからだったが」
ボロボロの服を着た、痩せ細った少女。リュシアーゼルが引っかかったのはそこだった。
「食べ物も服も十分でない家庭で育っていることは一目でわかったから、金銭的に余裕のない平民の子供だと思っていたんだ」
「……」
「私は、ベルティーユ嬢はラスペードで溺愛されて育った深窓の令嬢だと認識していた。事実、彼女は名門侯爵家の娘らしいドレスを身に纏い、教養も備わっていた。その姿があの少女と結びつかず、私は気づかなかった。……気づくことができなかった」
懺悔するように絞り出された声だ。リュシアーゼルも、組んだ手に力がこもる。
「……殿下が捜している女性は、金の髪に水色の瞳の女性だと耳にしましたが」
「ベルティーユ嬢の母方の家……ドルレアク公爵家の血筋は、灰色が混ざったような水色や青色の目をしていることが多い。成長すると灰色が抜けることも、――水色や青色が抜けることもあるそうだ」
リュシアーゼルの脳裏にドルレアク女公爵の水色の瞳が思い浮かぶ。
「幼い頃より髪色が暗くなることも珍しくない」
確かに、そのような人物はリュシアーゼルの身近にもいた。亡くなった義姉がそうだった。
『そろそろお気づきになる頃かと思いまして』
(――そういうことか)
先日のベルティーユの言葉や託された伝言の内容に合点がいった。
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