84.第七章八話
「よりにもよってお嬢様のお誕生日に体調を崩して何もできなかったなんて、自分の体調管理の甘さに嫌気がさしてしまいます……!」
ユベール公爵邸の応接室では、マノンが深々と頭を下げて盛大に落ち込んでいた。ベルティーユからは見えないけれど、ソファーの後ろで控えているジャンヌが呆れた眼差しをマノンに向けていることはわかる。
ベルティーユの誕生日からすでに三日が過ぎている。レジェ家からの誕生日プレゼントである書物だけでなく、使用人一同からだという花束が部屋に飾られていたり、王都にいるジョルジュからは個別でしおりが贈られてきていたりと、本当にたくさんの人たちにお祝いしてもらった実感が続いていた。
そして、マノンは運の悪いことに風邪を引いてお祝いに駆けつけることができず、不甲斐ないと嘆いているのである。
「気にしないで。風邪が治って何よりだわ」
「うぅぅ、お嬢様……なんて慈悲深いお方なのですか! 一生ついていきます」
「大袈裟ね」
ふふ、とベルティーユが上品に笑い声を零していると、マノンはリボンがついた箱をカバンから取り出してテーブルに置いた。
「改めて、遅れてしまいましたがお誕生日おめでとうございます」
「わざわざプレゼントまで用意してくれたの?」
「命の恩人のお誕生日に何も用意しないなんて不義理はできません!」
かなり気合が入っている返答に、ベルティーユはまたも「大袈裟ね」と告げる。
「開けてもいい?」
「どうぞ!」
リボンを解き、箱の蓋を持ち上げて中を確認すると、そこにあったのはレースがついた淡い灰色のハンカチだった。
「可愛いハンカチね」
「ですよね! シンプルなのですが素材は肌触りが良いもので、レースが繊細で美しくて、これを見つけた瞬間ビビッと来たんです。あまり高価なものは贈るなとリュシアーゼル様や母に釘を刺されまして……これなら問題ありませんよね!」
命の恩人だからと過剰なほどベルティーユを慕っている彼女なら、とんでもないプレゼントを用意しようとする姿が容易く想像できる。高価なプレゼントではベルティーユはもらいづらいので、リュシアーゼルたちの忠告は正解だろう。
「ありがとう。大切に使わせてもらうわ」
ベルティーユが微笑んでお礼を告げると、マノンは嬉しそうに破顔する。
ハンカチの色合いからして、ベルティーユの瞳の色に合わせたのだろう。プレゼント選びとしては一般的な決め方だ。
一旦、箱の蓋は戻しておく。あとでジャンヌがハンカチを棚にしまってくれるはずだ。
中身がなくなったカップにジャンヌが紅茶を注ぐ。それを眺めながらベルティーユがネックレスの石を無意識に触っていると、気づいたマノンがネックレスを見つめる。
「もしかして、そのネックレスがリュシアーゼル様からのプレゼントですか?」
「ええ」
「上品なデザインでとてもお似合いです」
「ありがとう」
お礼をしたあとも、マノンの目はネックレスに釘づけだった。少しして「うーん」と不思議そうにする。
「どうかした?」
「いえ……素敵ですし、お嬢様が気に入っていらっしゃるならそれが一番ではありますが、てっきりリュシアーゼル様は紫の何かをプレゼントなさると思ってたので意外で。ご婚約なさってから初めてのお誕生日ですし」
自分の髪や瞳の色のドレス、アクセサリーを相手に贈るのは、愛情表現の一つ。恋人や夫婦においては当たり前に選択肢としてある。
ベルティーユとリュシアーゼルは利害の一致で婚約しているけれど、外部には想い合っている関係として見せている。そこを考慮すると、確かに今回のプレゼントは紫の石が使われたものを選ぶのが無難だった。
そうしなかったのはおそらく、ベルティーユを気遣ってのことだ。本当の恋人でもないのに紫のものばかりを贈っても、ベルティーユの負担になると考えたのかもしれない。
「私に似合う物を優先してくださったのだと思うわ。……とても、優しい方ね」
嫌な思い出となったペンダントを彷彿とさせるようなものではあるけれど、だからこそ、嫌な思い出を塗り替えるプレゼントでもあるのだ。
リュシアーゼルは、ベルティーユがかつてウスターシュからもらったペンダントのことなど知らない。装飾品はプレゼントとして定番なので、これはただの偶然でしかない。
『誰かと共に在る幸福を実感してもらえるように、力を尽くそう』
(……やめてほしいのに)
着実に、ベルティーユの生活に変化が起こり始めている。自由にのんびりとした余生を送ることが目標だったのに、このユベールが、リュシアーゼルが、ベルティーユの心に入り込み始めている。
こんな予定ではなかった。ベルティーユが求めていた『余生』の支障になりかねない。
「――マノン、そろそろもう一つの用事に入ったら?」
ベルティーユが思考を巡らせていると、ジャンヌの言葉で意識が現実に向く。
今日のマノンの訪問は、ベルティーユの誕生日を祝うためだけではない。もう一つ、仕事の話があるのだ。
「そうね、そうするわ」
マノンはカバンからいくつかの容器を取り出し、テーブルに並べた。
「ニフィ木を利用した化粧品の試作品ができたことは先日お手紙で報告させていただきましたが、実際にお持ちしました」
ユベール商会に開発をお願いしていた、ニフィ木の葉や樹液を利用した化粧水と保湿クリームである。それぞれ三種類だ。
「商会内の希望者で一定期間、使用感を確認しました。ご覧ください、私のお肌。ぷにぷにツルツルです!」
興奮した様子でマノンが手の甲を出すので、ベルティーユはじっと観察する。
「どれを使ったの?」
「私は十パーセントです」
「そうなのね。触ってもいい?」
「もちろんです!」
許可を得てマノンの手に触れると、本人の申告どおり、ぷにぷにでツルツルだった。
「敏感肌で肌荒れに悩んでた社員も、どんどんお肌の調子が良くなってるって喜んでました。お肌に優しくて保湿性が抜群です。今まで使ってきたものとは明らかに違います。これは絶対に売れますよ!」
「そう。よかったわ」
「このように、濃度十パーセントでもきちんと効果がありますから、これなら裕福ではない家庭でも購入できます」
ニフィ木の樹液と葉は高値で売れる。よって、その成分をふんだんに使用した一番効果が高い完全版は必然的に高値になり、富裕層向けの商品となる。
それ自体は決して問題ではないし、利益を出したいというベルティーユの狙いどおりだ。高級な特別感は富裕層の購買意欲を高める。
しかし、今回化粧品を作るにあたって必要な材料のうちの二つが、ここ何年も豊作で値崩れしていることがわかった。しかも、ユベール公爵領にも片方の材料の産地があり、影響を受けていたのだ。
そこでベルティーユは、値崩れした材料を大量に購入することで、可能な限り価値を元に戻そうと考えた。更に、価格を抑えた化粧品も作れるのではと思ったのだ。
そもそも数としては圧倒的に平民のほうが多いので、消費者が増えることが見込めるのなら試さない手はない。
ニフィ木の樹液と葉の分量は少量とし、他の材料の分量を調節することで成分をある程度補ったものが、濃度十パーセントと五十パーセント。だから化粧水と保湿クリームがそれぞれ三種類なのである。
「貴族向けでがっぽり儲けるだけではなく平民のことまで考えてくださるなんて、お嬢様はやっぱり慈悲深い女神様のようなお方ですね!」
「リュシアーゼル様の婚約者として、ユベールの領民の生活をあらゆる面から豊かにしたいと願っているもの」
「お嬢様……!」
感激した様子のマノンに、ベルティーユはにっこりと笑みを浮かべた。
◇◇◇