79.第七章三話
フードの下から覗く碧眼に見つめられ、ベルティーユははっとして頭を下げる。
「ありがとうございました」
助けてもらった。見て見ぬふりをする人ばかりだったのに、ローブの彼は助けてくれた。自分よりも年上の三人を相手にするのに、一人で出てきてくれたのだ。それは誰にでもできることではないだろう。
「当然のことをしただけだ」
「いえ、ごめいわくをおかけしました。お連れさまにも……」
「ああ、連れは嘘だ。だから警官も来ない」
「え」
顔を上げたベルティーユがぱちりと瞬きをすると、ローブの彼は少年たちが去っていった方向に視線を向ける。
「引き下がってくれて助かった。護身術は身につけているから、ただのごろつきなら撃退くらい可能ではあるがな」
それはおそらく、驕りではないのだろう。撃退できるという確信があったから彼は一人でも助けてくれたのだ。確信がなければ、それこそ警官を呼びにいっていたのかもしれない。
「一応、念のために訊いておくが、そのケープは盗んだものではないよな?」
「もらいものです」
「それならいいんだ」
最初から盗品ではないと考えていたようで、あっさりと確認は終わる。
「君も一人なのか?」
「はい」
「そうか……」
少し難しい顔をして、彼はベルティーユ――正確にはベルティーユの服を観察した。つられてベルティーユも彼の服装を改めて確認する。
ローブもそうだけれど、彼が身につけているものはデザインはシンプルでも質がいいように見える。ベルティーユのケープよりずっと上質で、綺麗な格好をしていた街中の人たちが着ていたものと近しい素材なのではないだろうか。
「この王都は国内では比較的治安はいいが、先ほどのような危ない輩はそれなりにいる。子供は標的になりやすいから気をつけたほうがいい」
「はい。ありがとうございます」
気遣われている。家族でさえ、使用人たちさえ忌み嫌うベルティーユを、彼は心配してくれている。それはとても不思議な感覚だった。
「普段から一人で外に出ているのか?」
「今日が初めてです」
(家はちゃんとあるんだな)
ベルティーユの返事に少しだけほっとした様子を見せた彼は、ポケットから革製の何かを出すと、それを開けて中から取り出したものをベルティーユに渡す。
「これで何か買うといい」
ベルティーユの小さな手のひらに置かれたのは丸くて平たい金属だ。実物を見るのは初めてだけれど、すぐにそれがなんなのかわかった。
(お金だわ)
食べ物や服などを買うために必要なものだ。働くことでもらえるもののはずだ。
「食事も服も、余裕がないのだろう」
「どうして……」
戸惑うベルティーユが呟くと、彼はどこか悔しさを滲ませたような真剣な顔になる。
「生活が苦しい人たちがいるのは政策が不足しているという証拠だ。一時的であっても、目の前の者に手を差し伸べる責任がある。……ただの自己満足かもしれないが」
その言動から、彼は貴族の家の子供なのだろうと推測することができた。
外のことを詳しく教えてくれる人はベルティーユの周りにはいないけれど、国というものの仕組みはなんとなく本で知っている。
土地があり、そこに暮らす人々がいて、ルールを決める人たちがいる。王族や貴族、選挙で選ばれた人たちが話し合い、ルールを決めるのだ。
誰もが安全に、安心して暮らせる国。そんな姿が求められていて、政策はそれを実現するためのもの。
「……だったら、私はもらうべきではないと思います」
ベルティーユがそう言うと、彼は瞠目した。予想外の返事に驚いているらしい。
これは強がりだとか、遠慮だとか、そのような考えによる答えではない。
ベルティーユは彼と同じく貴族の子供だ。貧乏なのではなく裕福な家の生まれで、本来ならば生活に苦労することはない。
服がボロボロなのもやせ細っているのも、貧困のせいではなく愛されていないから。ベルティーユが疫病神で、悪魔だから。母親の命を奪って生まれてしまったから。邸の者たちはそう言っていた。家族からもそう突きつけられた。
だから、彼が想像している『政策の不足』のせいではない。
「他の人、困ってる人にあげてください」
今度は彼のほうが戸惑っている。
(この人はきっと、やさしい人)
初対面のベルティーユをこんなにも気にかけてくれる優しい人だ。
「遠慮はしなくても」
「――美味かったな、あれ!」
突如、他の声が響いて、ベルティーユたちは思わず路地の入り口を見る。
(うそ、おにいさま……!)
路地に入ってきたのは二人の少年で、一人は間違いなくトリスタンだった。まさかこんなところで遭遇することになるとは。
見られてはまずいと頭を下げて、ベルティーユは慌てて目の前の彼にお金を返す。
「本当に、ありがとうございました」
そう告げてフードを引っ張りながら、顔を見られないようにトリスタンたちの横を走り抜ける。
「おい!」
後ろからの声を気にすることなく、ベルティーユはそのまま侯爵邸へと戻った。覚えられるようにわかりやすい道を通ることを意識していたため、帰り道は幸いにも間違わずに済んだ。
無事、誰にも見つかることなく自室に到達したベルティーユは息を整え、ケープを元の場所に戻してからベッドに倒れ込む。
外の世界は期待とは違った。冷たいけれど、活気にあふれた場所なのも確かだった。優しい人もいた。この邸では絶対に見ることのできなかった景色があった。最後にトリスタンが現れて、びっくりしたまま戻ってきて、まだ心臓がバクバクしている。
(あの人の目、きれいだった)
頭に浮かんだのはローブの彼だ。フードで影が落ちていても綺麗な碧眼だった。髪の色は金だった。まるで絵本に出てくる王子様のような――。
(あ!)
ガバッと、ベルティーユは起き上がる。
ベルティーユは彼の瞳の色がわかった。そうなると、あちらもベルティーユの瞳の色が判別できたかもしれないと、血の気が引いていく。
しかし、それから数日経過してもベルティーユが外に出たことに誰も気づく気配はなく、ひとまず杞憂に終わった。