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死に戻り令嬢の余生  作者: 和執ユラ
第七章 叶わないもの
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77.第七章一話


 初めて別邸を抜け出し、『家族』に会って拒絶された六歳のあの日。別邸に戻されたベルティーユは使用人たちから酷く叱責を受け、罰として鞭で叩かれ、熱を出して何日も寝込むことになった。本邸には二度と近づくな、この邸から抜け出すな、自分たちの給料が下がる、やはり疫病神だ――様々な言葉をぶつけられた。

 それからベルティーユは別邸の外に足を踏み出すことはなかった。家族に会いたいけれど、拒絶された恐怖や悲しみで会いたくない気持ちもあった。また罰を受けるかもしれないという恐怖もあった。

 絵本とは異なる家族の姿を、そう簡単に受け入れることはできなかった。


 八歳になったベルティーユの世界は、相変わらずこの別邸の中だけのままだった。


「さっさと終わらせてくださいよ。あとで確認しに来ますからね」


 ベルティーユにそう言いつけて、メイドは部屋から出ていく。その足取りは軽く、浮かれているのがよくわかった。

 メイドの姿が見えなくなってから、ベルティーユは別の部屋に用具を取りに向かう。

 命令されたのは掃除だ。バケツに水を汲んで、雑巾を濡らして、絞って、窓を拭いたり床を拭いたり、部屋を回っていく。


 メイドたちはベルティーユが別邸を出ないように見張ることも仕事の一つらしい。ベルティーユが本邸に立ち入った日からしばらくは厳しく監視されていたけれど、雑な勤務態度に戻るのは早かった。

 以前は部屋に残ってベルティーユの掃除にあれこれ文句をつけていたメイドは、最近は命令だけしてすぐにいなくなる。どうやら恋人ができたらしい。相手もラスペード侯爵家で働いている使用人で、お互いに隙を見て仕事をサボっては敷地内で逢瀬を楽しんでいるようだ。恋人ができた時、メイドは自慢げにペラペラとベルティーユに語っていた。

 彼女がいないほうが精神的には楽だし、恋人との関係が良好で機嫌がいいおかげか、食事が抜かれることも減った。このままでいてほしい。


 いくつかの部屋の掃除が終わり自室の窓拭きをしていたベルティーユは、ふと窓の外に動くものを目に留めた。


(あれは……おにいさま?)


 キョロキョロと周りを確認しており挙動不審な人影は、あの日にベルティーユを睨みつけていた兄トリスタンだ。カジミールは一緒ではなく、一人である。

 草木の影に素早く隠れるように移動しているトリスタンは、アイアンゲートの近くでそっとそちらを窺っている。

 塀で囲われている敷地の出入り口の一つで主に使用人たちが使っていた場所らしいそこは、もう何年も使われていないと聞く。別の出入り口があるのと、ベルティーユが住む別邸に近いため庭の草木の手入れがあまりされていないこともあり、必然的に人が寄りつかないのだろう。

 

 何をしているのかと眺めていると、トリスタンはアイアンゲートの横にぴったりとはりつき、外を観察していた。少しするとポケットから何かを取り出し、ゲートを閉じている南京錠を外し、ゲートを開ける。


(あ)


 敷地内、ゲートのすぐそばの茂みに何かを隠して外に出たトリスタンは、相変わらずキョロキョロと周囲を確認している。閉じたゲートの隙間から腕を突っ込むと、手早く南京錠をかけ直してから外へと姿を消した。


(お出かけ……?)


 使用人たちが話していたことを思い出す。トリスタンはよく姿を眩ませることがあると。敷地内を捜してもなかなか見つからず、数時間後にはひょいっと現れるのだと。


 三時間ほどするとトリスタンは戻ってきて、しゃがんでゲートの隙間から手を伸ばし、茂みから何かを取った。それで南京錠を開けて敷地内に入り、ゲートに南京錠をかけ、ご機嫌な様子で本邸のほうへと駆けていく。

 どうやら茂みに隠していたのは鍵だったようだ。


(外でなにしてるんだろう)


 それからも何度か、出かけていくトリスタンの姿を見かけることがあった。決まっていつも一人で、戻ってくるのは日が沈む前だった。

 トリスタンは恐らく、邸の者たちには内緒で外で遊んでいる。楽しそうに出かけていって、楽しそうに帰ってくる。


(どんなところなんだろう)


 外にはきっと、絵本に出てきたような街がある。人がたくさんいて、賑やかで、食べ物や洋服を売っているお店もあって、活気に溢れているはずだ。この別邸よりずっと、明るくて楽しい場所なのだと思う。

 けれど、実際は違うかもしれない。

 家族も絵本とは違った。それなら、外の世界だって違っていてもおかしくはない。


(でも、みんな楽しそうだった)


 トリスタンも、外のことを話す使用人たちも、楽しそうな姿がベルティーユの目に焼きついている。使用人たちはあのお店のケーキが美味しかっただとか、あのお店に可愛い服があっただとか、本当に楽しそうに話していた。


『二度とこの建物から出ないでくださいね』


 使用人に言われた言葉を思い出して、ベルティーユはスカートをぎゅっと握る。

 トリスタンがベルティーユを一緒に連れていってくれることはないだろう。そもそも、この邸から出たらまた折檻されるのは目に見えている。


 それでも、わずかに期待してしまう。

 外はどんなところなのか。もしかしたら何か食べ物が手に入るかもしれない。服も、もっとちゃんとしたものがあるかもしれない。優しい人がいるかもしれない。

 ベルティーユを拒絶しない人が、いるかもしれない。


(少しくらい……)


 トリスタンが出かけている間。鍵は茂みにあるので、同じように外に出ることはできるはずだ。トリスタンが帰ってくる前にベルティーユが戻ればいいだけ。

 使用人がこの邸からいなくなる時間帯も把握している。見つからなければ――と考えたところで思い出した。

 ベルティーユの瞳の色は少し珍しいらしい。水色がかった灰色で、光の加減によっては水色にも灰色にも見える。

 珍しい色を持つ者は目立ってしまうらしく、絵本に出てきた不思議な色の瞳の少年はいじめられていた。

 この目の色の少女がいたと、もし外で話題になってしまったら。それが使用人の耳に入ってしまったら。ベルティーユが抜け出したことが知られてしまう。


(そういえば……)


 ベルティーユは棚の上に無造作に置かれているものを見た。

 比較的綺麗な布のそれは、メイドの一人からもらったケープというものである。『サイズが合わなくなって妹が着られなくなったのであげます。優しいでしょう?』と、クスクス笑ってメイドが置いていったものだ。

 ベルティーユには大きいそれはフードがついていて、着用すれば目元をある程度隠すことができる。外で万が一トリスタンに会っても、俯いて顔を隠せばきっとバレない。


 外への興味と期待。そして、――一番大きかったのはたぶん、この苦しい場所から一時的でもいいから逃げ出したいという心の奥底にある願望。

 ベルティーユは一度だけ、外の世界を見てみようと決めた。


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