75.第六章十二話
皆が席につけば、まずは談笑の時間となった。レジェ家の者たちはベルティーユが本が好きだという話を入手していたそうで、珍しい書物をプレゼントに選んでくれたらしい。数十冊ほどあり重いので、ベルティーユの自室と図書室に分けて運ばせたとのことだ。
名ばかりではあるけれど家族になったお互いを知るための会話なども楽しんでいると、程なくして使用人たちが食事を運び込んできて、ベルティーユの誕生日を祝う晩餐会が始まった。
ユベール公爵家では誕生日は大々的なパーティーなどは開かず、内輪のみの晩餐会で祝うのが恒例なのだという。それが当主の誕生日であってもだそうだ。盛大なパーティーで己の人脈や資産など、権威を見せつけようとする貴族は珍しくないけれど、ユベール公爵家はその手のタイプとは相容れないだろう。
晩餐会はテオフィルとコレットが眠気に負けそうになった時間にはお開きとなり、今夜は公爵邸に泊まるというレジェ一家は改めてベルティーユに「おめでとう」と告げ、挨拶を終えて客室へと向かった。
テオフィルも自室に戻り、寝支度を始めているはずだ。
ベルティーユはまだ自室には戻っておらず、リュシアーゼルに連れられてバルコニーに出ていた。
夜は冷え込むので、ベルティーユは用意されたストールを身につけている。空に浮かぶ綺麗な星を眺めて、小さく息を吐いた。
(こんなに穏やかな気持ちでいられた誕生日は初めてね)
夜空なんて、何度も見たことのある景色だ。それなのにどこかいつもと違うように見えるのは、ベルティーユの心情の違いなのだろう。
「星空も好きか?」
「そうですね。綺麗ですから」
空を眺めたまま答えると、隣にいるリュシアーゼルは「そうか」と口にした。
婚約者と二人きりの、誕生日の夜のバルコニー。本来ならばロマンチックな状況なのだろうけれど、普通の婚約者とは異なる関係である以上、甘い空気にはならない。
「ベルティーユ」
呼ばれて視線を下げ、リュシアーゼルを視界に捉えた。彼は懐から取り出した箱をベルティーユに渡す。
「プレゼントだ」
「ありがとうございます」
今日は買い物をした。普段からリュシアーゼルには色んなものを与えてもらっている。だからといって断ったとしても聞き入れてくれないことはわかりきっているので、ベルティーユはお礼を言って素直に受け取った。
開けてみると、箱に入っていたのは宝石がついたネックレスだった。派手さはなく上品で、とてもシンプルなデザインだ。
公爵が婚約者の誕生日に贈る物としてはシンプルすぎるかもしれないけれど、ベルティーユの性格や好みを考えてのことだろう。
「ありがとうございます」
もう一度、お礼を告げる。
義務的ではなく、きっとリュシアーゼルが自ら選んでくれたであろう誕生日プレゼント。
(偶然だけれど)
あのペンダントの記憶を塗り替えるようなプレゼントだった。
星たちに照らされているとはいえ、バルコニーの明るさは十分ではないので、宝石の色は正確には判別できない。あとで確かめてみよう。
「朝食も、ありがとうございます。美味しかったです」
「……テオとこそこそ話していたのはそれか」
察しがいい。
「隠さなくてもよろしいのに」
「ほとんどテオがやった」
「ふふ」
やはりどうも恥ずかしいようで、そっぽを向いた様は年相応に見えた。ベルティーユが笑っていると不満そうな目をするのでますます笑いが止まらなくて、リュシアーゼルは諦めたようにため息を吐く。
「今日は、楽しかったか?」
「楽しかったですよ。気を遣ってはいません」
本日二度目となる質問に答えると、リュシアーゼルが笑みを零す。
「それならよかった」
そう言って、リュシアーゼルは庭園へと視線を向けた。真剣な表情が夜空に浮かぶ無数の光に淡く照らされている。
「今日祝うべきか、正直なところ最初は迷っていた」
それはきっと、母の命日でもあると知っていたための躊躇い。
「だが、貴女の話を聞いて、迷いがなくなった」
あの夜、ベルティーユが思わず吐露してしまった本音のことを言っているのだろう。
話しすぎてしまったベルティーユの失態。気にしないでほしいという願いも虚しく、契約以上のことをしようと彼に決断させることに繋がってしまった出来事。
「ラスペード侯爵家は本当に愚かだな。大切なはずの母君を裏切っている」
ベルティーユが瞬きをすると、リュシアーゼルはベルティーユと視線を絡めて続ける。
「自分の命よりも貴女を選ぶほど、母君は貴女を想っていたのだろう。それならば、自分の命日だからと貴女の誕生が祝福されないほうが母君は悲しむはずだ。だから、罪悪感を抱く必要はないと思う」
その言葉に、ベルティーユは目を丸くした。動揺したのだ。
「……私が母に、罪悪感を抱いていると?」
リュシアーゼルには、ベルティーユが罪悪感を抱いたように見えているらしい。理解ができない。
そんなものは、ベルティーユの中からとっくに消えたはずだ。理不尽な環境を作った元凶である母に対しては最早、憎む気持ちばかりが強くなっているというのに。
「母親だからと無条件に好意を持つことはないと言ったはずですけれど」
「貴女の育ってきた環境を考えれば、そういう思考がわずかに残っていても不思議じゃない」
更に、ベルティーユは目を見張る。
生まれたことをずっと責められ続けてきた。そういう家庭で育った。生家では、ベルティーユの存在は不幸の象徴だった。
自らの死期を悟り、ラスペード侯爵家のすべてが馬鹿馬鹿しくなって、ただひたすらあの環境に耐えてきた自分さえも愚かしいと感じて、吹っ切れたと思っていた。もうあの家の呪縛から解放されたはずだったのに、心とはそのように簡単なものではなかったようだ。
リュシアーゼルは見抜いていたのだ。
(私は……)
まだ心の奥底には、ラスペードが棲みついていた。それゆえに、誕生日を祝われて、母への罪悪感がほんのわずかに存在していた。
気づかされたベルティーユは瞳を揺らす。
そんなベルティーユを落ち着かせるように、リュシアーゼルは穏やかに目を細めている。温かい眼差しでベルティーユを見つめている。
「誕生日、おめでとう」
優しく告げられた祝福は、ベルティーユの胸の中にすとんと落ちた。
◇◇◇