69.第六章六話
約束のデートの日、朝食はフレンチトーストだった。バニラアイス、カットされたいちご、チョコソースに彩られている。
妙にそわそわしながらこちらを気にしているテオフィルの視線を感じながら、ベルティーユはナイフで食べやすい大きさにフレンチトーストを切った。口に運び、程よい甘さに頬を緩ませる。
「ベルティーユ様、おいしいですか?」
「はい。とても美味しいですよ」
感想を訊かれたので素直にそう答えると、テオフィルはリュシアーゼルと顔を見合わせてぱっと嬉しそうに笑った。給仕で食堂内にいる使用人たちの表情も温かい。
なんだか機嫌のいいテオフィルと室内の雰囲気に首を傾げ、ベルティーユはフレンチトーストを再び見下ろした。
少し不思議に思っていた。ユベール公爵家の優秀な料理人が作ったにしては、バゲットやいちごの厚みにムラがある。それでも美味しいことに変わりはないので、特に気にしてはいなかったのだけれど。
(もしかして……)
ウキウキで自身の食事に手をつけているテオフィルを見てから、テオフィルの隣――ベルティーユの正面に座っているリュシアーゼルに視線を移動させると、紫の双眸と目が合う。
リュシアーゼルはそっと、口の前に人差し指を持ってきた。そこでベルティーユは己の推測が正しかったと確信を得る。
以前、テオフィルから好きな食べ物を訊かれてフレンチトーストだと答えたことを思い出す。今日のベルティーユの朝食はテオフィルが自ら作ってくれたようだ。
テオフィルは本来、厨房に立ち入って料理をする必要のない身分の人間である。公爵家の後継者の手作り料理を食す機会などそうはない。ベルティーユを喜ばせるために、慣れない手つきで頑張ってくれたのだろう。
「こんなにも美味しい食事を作ってくれたシェフに、とびっきりの感謝を言わなければなりませんね」
ベルティーユが微笑むと、テオフィルは破顔した。
「僕から伝えておきます!」
食事を終えると、ベルティーユはリュシアーゼルにエスコートされて自室に向かっていた。デートの準備をするためだ。
実は自分がベルティーユの朝食を作ったのだと、テオフィルから告白されると思っていた。しかし、予想に反してテオフィルは食事後、「今日のデート、楽しんでくださいね!」と元気よく告げるだけで、あっさり食堂を後にしてしまった。そのため、直接お礼を言えていない。わざわざ隠したいと考えている理由はなんなのだろうかと疑問が残っている。
「テオフィル様は怪我などなさいませんでしたか?」
「料理長がずっとそばに張りついていたからな。刃物の扱いには皆が緊張したものだが、自分でやると言って聞かなかった」
それはよかったと、ベルティーユは胸を撫で下ろした。
「テオフィル様の手作りをいただけるなんて、とても光栄でした。――けれど、なぜ今日だったのでしょう」
「ずっと練習していて、ようやく上手くできたんだろう」
「何日もテオフィル様が眠そうにしていたのはそういうことだったのですね」
探りを入れたけれど、リュシアーゼルは教えてくれないようだ。ならばとベルティーユは続ける。
「最近は使用人たち……特に若い子たちの態度が少々ぎこちないように思います。隠し事が上手な者たちとの差が大きいのでしょうけれど、何かあるのですよね?」
「気づいていないふりで頼む」
ここは躱すのではなくあっさり認めて、リュシアーゼルはそんな要望を出してきた。
「まあ。やはりリュシアーゼル様もご存じなのですね。私だけ除け者にされているみたいで寂しいですわ」
「貴女が鈍感なだけだと思うがな」
つまり、気づける要素があるということだろう。しかしベルティーユには何も心当たりがない。
考えているうちに部屋の前に到着したので、ベルティーユはリュシアーゼルの腕から手を離す。
「また後で」
「はい」
リュシアーゼルの背中を見送って、小さく息を吐いた。
(自然に振る舞えているかしら)
誰かと共に在る幸福を実感してもらえるように全力を尽くす。そう宣戦布告をした割に、リュシアーゼルの態度は以前からそれほど変化がない。まだ手加減されている、というふうに感じられる。
このままならいいのにと思いながら、ベルティーユは自室に入った。デート用の衣装を用意して待っていたのはジャンヌだ。
「お食事はどうでしたか?」
「美味しかったわ」
ベルティーユの感想に相好を崩すジャンヌもまた、テオフィルが朝食を作ったことを承知していたのだろう。
「ねぇ、ジャンヌ。みんなが何を企んでいるのか、教えてくれないの?」
「本日は大切なデートの日です。そちらにお心を向けていただけると」
「デートと言っても、私とリュシアーゼル様の関係はあくまで契約上のものなのだから、本当のデートではないわ」
「頑なですね……」
残念そうに言われても、事実である。
まあ、今のリュシアーゼルはベルティーユをただの契約相手としては見ていないのだろうけれど、ベルティーユは今までの関係のままでいたい。それで十分だ。過剰な気遣いは不要で、ただ穏やかに暮らせるならそれでいい。
それが、一番いい。
「リュシアーゼル様、かっこいいですよ?」
「そうね」
「お顔は好みではないですか?」
「好み……」
考えたこともなかった。
記憶から抹消したい過去だけれど、今まで好きになった異性は元婚約者のウスターシュだけ。一目惚れしたわけではなくとも綺麗な顔だと常々思ってはいたし、他の男性を恋愛対象として見ようと思ったことは一度としてない。よって、自分の好みなど気にしたことがなかった。
見た目だけはまさに優しく完璧な王子様のウスターシュと、綺麗でありながらも男性らしい力強さと冷たさがあるリュシアーゼル。美形と一括りにできるとはいえ、顔立ちから受ける印象はだいぶ異なる。どちらのほうが好きかと問われると……。
(あら? 単純に見た目だけで判断すると、リュシアーゼル様のほうが好ましいのかしら)
そのことに気づいてしまったベルティーユは、「否定なさらないのですね」とにっこりしているジャンヌの眼差しに悠然と笑みを返す。
「どうかしらね。準備に取り掛かりましょう」
「ふふ。はい!」
誤魔化せている気はまったくしなかった。