67.第六章四話
ドルレアク公爵家のクーデター計画が発覚し、伯母夫妻や関係者が次々と捕まり、魔道具も押収されて数日。一連の出来事は終息の方向へと無事に進んでいる。ベルティーユへの疑いもほぼ晴れたと聞いた。
時間が戻る前と同じように、クーデターについては世間に公表しないことで調整されるそうだ。徹底的に関係各所の情報統制がなされている。
ただ、クーデターには少なくはない数の貴族が加担しており、彼らが一斉に表舞台から消えるとなると、嗅ぎつけた記者や国民たちから何かがあったと邪推されて当然だろう。大変なのは目に見えている。
そのあたりは以前も軍や警察、王家が苦労したらしいけれど、ベルティーユにはどうでもいいことだ。
もう二度と、伯母たちがベルティーユの前に現れることはない。それさえ決まっていればいい。
「――申し訳ございませんでした」
そして現在、シメオンがベルティーユの眼前で深く頭を下げて謝罪していた。
この謝罪はベルティーユを疑ったことに対するものだ。思い詰めているような必死さがあり、ベルティーユは鷹揚に言葉をかける。
「シメオン卿が私を疑うのは当然の状況だったのだから、そんなに気にしなくていいのよ」
「しかし……」
気にするなと言っても簡単に切り替えることはできないらしい。
シメオンがこんなにも申し訳なく思っているのは、ベルティーユが完全に今回の事件に関わっていなかったことが証明されたから。加えて、伯母がベルティーユに対して狂気的な憎悪を向けていたこと、生贄として殺害を企てていたことを知ったからである。
要するに、黒幕たちの標的の一人であったベルティーユを彼らの一味だと考えていた己を、シメオンは許せないのだ。強い同情によってシメオンの悔恨は形成されている。
「私の協力が中途半端だったことが貴方の疑念を増幅させたから、疑われたのは自業自得だったわ」
「それでも、貴女にご不快な思いをさせました」
「別にそんなことはなかったのだけれど……強情ねぇ」
自分に非があるという姿勢を崩さないシメオンはやはり生真面目である。
「とりあえず、謝罪はいただいたからこの件はもうおしまいでいいでしょう?」
「そういうわけには」
「貴方が納得できないから、私も困らないといけないの?」
首を傾げてベルティーユがそう訊けば、シメオンははっとしてから「……いえ」と口にする。
「寛大な御心に感謝いたします」
「大袈裟ね」
ずっと家族や婚約者からの嫌悪に晒される生活を送ってきたベルティーユにとって、シメオンの理由ある疑念は悪意とは異なる。それほど気にならない程度の、可愛いものだった。
「そういえば、結局シメオン卿に『奥様』と呼んでもらう機会はなかったわね」
ベルティーユが「残念だわ」とからかうように告げると、和ませようとしている意図を察したようで、シメオンの表情がわずかに柔らかくなる。
「貴女はまだリュシアーゼル様の奥様ではありませんが、その日が来たらそう呼ばせていただきます」
「……躊躇ってくれてもよかったのに」
どうせいなくなるのだから。
結婚して一年ほどすれば、ベルティーユとリュシアーゼルは離婚する。そういう契約だけれど、シメオンはベルティーユたちの関係が契約で結ばれているものだということを知らない。
事実を知れば、やはり何か企みがあるのではと、ベルティーユを信用しすぎるのは危険だと、線を引いてくれるのだろうか。
ベルティーユが思わず呟いた言葉は聞き取れなかったようで、「今なんと?」とシメオンが訊ねる。
「楽しみだわって言ったの」
ベルティーユは改めて、穏やかに笑った。
図書室に移動したベルティーユは本棚に並んでいる小説の背表紙を眺めながら、何を読もうかと悩んでいた。
(増えてる……)
この図書室にはもう何度も足を踏み入れている。以前はなかった新品の本、特に小説がどんどん増えていることにベルティーユは気づいていた。
おそらくリュシアーゼルの指示で、ベルティーユが好きそうなものを購入しているのだろう。リュシアーゼルはとことんベルティーユを甘やかす気でいる。リュシアーゼルだけでなく、この邸の者たちに共通していることだ。
内心でため息を吐いたところで、図書室の扉が開く音が耳に届いた。そちらに視線を向けると、テオフィルが一人で図書室に入ってきていた。ベルティーユを見つけたテオフィルはこちらに軽く駆けてくる。
「テオフィル様、私に何か?」
「はい。確認したいことがあります」
「なんでしょう」
テオフィルがやけに真剣な顔つきになったので、ベルティーユはしゃがんで目線を合わせた。そのほうが話しやすいだろうと考えたのだ。
「好きなものはなんですか?」
「……好きなものですか?」
「はい」
もっと何か真面目な質問でもされるのかと思っていたベルティーユは、ありふれた内容の質問に目を瞬かせる。いや、テオフィルはとても真面目なのだけれど。
「えっと、そうですね。本が好きです」
「小説が好きなんですよね」
「最近はよく読みますね。推理ものとか……」
「宝石やドレスはどうですか?」
「綺麗なものは嫌いではないです」
「好きな食べ物は?」
「フレンチトーストですね。この前夕食で出たテリーヌも美味しかったです」
「お肉はどうですか?」
「もちろん好きですよ」
「あとは……」
次々と出される質問にきちんと答えていくと、満足したらしいテオフィルがにぱっと笑顔になる。
「わかりました! ありがとうございます!」
ご機嫌な様子でテオフィルが図書室から出ていくのを見送る。
(……なんだったのかしら)
ベルティーユは首を傾げて、不思議に思ったまま本棚に視線を戻す。――と。
「っ」
突然、酷い頭痛に襲われた。
棚に片手をつき、もう片方の手で頭を押さえる。立っていられなくなり、しゃがみ込んで堪えること十秒ほど。次第に激痛が落ち着き始め、鈍い痛みを感じながら、ベルティーユは見開いた目で床を見つめた。
(……なに、今の)
明らかに、普通の頭痛ではなかった。