40.第四章一話
解呪から数日が経過し、テオフィルは順調に回復していた。衰えてしまっている体力や筋力はすぐに戻るものではないけれど、そのうち元通りになるだろう。
ただ、解呪に成功したことについては邸内でも秘匿されており、知っているのはごく一部の者たちだけとなっている。そのほうが黒幕の油断を誘うことができ、ベルティーユが標的にされる確率も減るだろうというリュシアーゼルの判断だった。
せっかく元気になったのに部屋から出ることができずにいるテオフィルだけれど、不満がないどころかとても協力的な姿勢である。黒幕を確実に捕らえたいという思いはテオフィルも同じだからだろう。
「叔父上がベルティーユ様に一目惚れして、ベルティーユ様をないがしろにしていた第二王子殿下から救い出したと聞きました。本当ですか?」
テオフィルの朝食を運ぶオルガに付き添ってテオフィルの部屋を訪れたベルティーユは、部屋の主と向かい合ってソファーに座っていた。そして、その部屋の主から期待に満ちた眼差しを向けられている。
まだ呪いに蝕まれている体のテオフィルは部屋に引きこもっていて、接触できる人間も限られている。よって、聞いたというのは誰かから直接ではなく、この部屋に声が届く範囲で繰り広げられていた会話のことだろう。
オルガや医者がそのようなことを話すとは思えないので、わざわざ確かめなくとも、メイドが楽しんで話していたのだと想像がついた。王都だけでなく領地でも真実として語られている噂話は、リュシアーゼルもベルティーユも否定せずに静観していることも手伝い、ますます広まっているらしいのだ。
「さあ、どうでしょうか」
微笑を浮かべたベルティーユに、テオフィルは更に瞳を輝かせた。
「お二人だけの秘密ということですね!」
曖昧な対応をすると皆が勝手に納得してくれる。テオフィルも面白いほどに予想どおりの反応だった。
そんなテオフィルの前に紅茶を置いたオルガが声をかける。
「テオフィル様、早くお召し上がりにならないと昼食の時間までずれて、夕食も遅くなってしまいますよ」
「わかってるって」
テオフィルはジャムが塗られたバゲットを口に運んだ。
「叔父上やベルティーユ様と一緒に食事したいなぁ」
一口目の咀嚼を終えてごくりと飲み込んだテオフィルが、ぽつりと不満そうに零す。
解呪できていないことになっているテオフィルの部屋でベルティーユたちが食事をとるわけにもいかないし、テオフィルを食堂に呼ぶこともできないので、その希望が叶うのはしばらく先になりそうだ。
「リュシアーゼル様が犯人を捕まえてくださるまでの辛抱です」
「そうだね」
オルガの言葉にそう答えたテオフィルから再び視線を向けられて、ベルティーユは首を傾げる。すると、テオフィルはにぱっと笑みを浮かべた。
「僕だけじゃなくてベルティーユ様もお守りしないといけないからね、叔父上は」
ベルティーユが解呪の魔道具を発見したのは偶然だと伝えているのに、それでも命を救われたことには変わりないからか、大好きな叔父の婚約者だからか、テオフィルは妙にベルティーユに懐いている。テオフィルが呪いで苦しんでいる間に結ばれた婚約だったのでどう思われるか心配だったけれど、見事に杞憂に終わった。完全にベルティーユを受け入れている。
最初は遠慮がちな態度だったテオフィルは今ではすっかりベルティーユに興味津々で、こうして積極的にあれこれと話をする。信頼を寄せてくれているのが伝わってきて、ベルティーユはなんとも言えない気持ちになった。
(もうちょっと人を疑ったほうがいいと思います……)
もちろんベルティーユはテオフィルを含めユベール公爵家に危害を加えるようなことはしないけれど、出会って日が浅い相手への信頼度があまりにも高すぎて心配だ。呪われてしまった経験があるのだから人間不信になってもおかしくないくらいなのに、片鱗が微塵も感じられない。
ベルティーユがそんなことを考えていたところで、部屋にノックの音が響いた。ドアが開けられてリュシアーゼルが入室してくる。
「叔父上!」
テオフィルが嬉しそうにリュシアーゼルを呼ぶと、リュシアーゼルは目を細めた。
テオフィルの部屋付近には掃除の時間以外は使用人も寄りつかないので、リュシアーゼルやベルティーユが部屋に出入りをしても人目につくことはない。そのため、リュシアーゼルがテオフィルと過ごす時間を設けても問題ないのだ。
「テオ、元気そうだな」
「うん」
優しい眼差しのリュシアーゼルに頭を撫でられて、相変わらずテオフィルは表情を緩ませている。どれほどリュシアーゼルを慕っているかがよくわかる光景だ。
(……眩しい)
ベルティーユには経験のない――縁のない家族愛。羨ましいとか妬ましいとか、それらとは異なる感情が心に広がっていく。
「不自由をさせて悪い」
「いいよ、別に。早く悪い人捕まえてね」
「ああ」
そんな約束を改めて甥と交わしたリュシアーゼルは、ベルティーユにそっと手を差し出す。
「そろそろ部屋から離れないと不審に思われかねない」
「はい」
ベルティーユはオルガに付き添ってテオフィルの元を訪れ、部屋の外から声をかけて交流を図ろうとしている。リュシアーゼルはベルティーユを迎えにきている。そういう体で二人ともここにいるので、長居はできないのだ。
骨張った男らしい手を借りて、ベルティーユは立ち上がる。
「ではテオフィル様、失礼いたしますね」
「はい!」
「しっかり休むんだぞ」
「もう十分すぎるくらいだよ」
「そうか」
リュシアーゼルはふっと小さく笑みを零して、オルガを一瞥する。
「オルガ、頼むな」
「承知しております」
丁寧に頭を下げたオルガと笑顔のテオフィルに見送られて、ベルティーユとリュシアーゼルは部屋を出た。ドアを閉めたリュシアーゼルの表情はとても穏やかで、ベルティーユはそれを指摘する。
「リュシアーゼル様、お顔が緩んでしまっていますよ。落ち込んでいるふりをなさいませんと」
「……そうだな。つい」
いつもどおりテオフィルから拒絶されているのであれば、この空気感は相応しくない。わかっていても、まだ人目のないこの廊下では油断してしまうようだ。
「こうしてテオと顔を合わせる日々がもう一度くることを、ずっと心待ちにしていた。ベルティーユには本当に感謝している」
もうとっくに感謝は伝わっているのだけれど、リュシアーゼルはここ数日、何度もお礼を口にしている。
「では、お願いを聞いていただけますか?」
「もちろんだ」
どのような願いでも叶えてみせると、キリッとした顔つきが訴えてくる。以前もこんなことがありましたねとベルティーユは思った。
「参加したい催しがありまして、招待状を手に入れていただきたいのです」
「外出は避けたいと言っていなかったか?」
「変装をして参加するつもりです。催し自体、顔を隠せるものですし」
だからベルティーユも、以前と同じように悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「調査でお忙しいとは思うのですけれど、ぜひリュシアーゼル様にエスコートしていただきたいのです。いかがですか?」