38.第三章十三話(リュシアーゼル)
まだまだ子供だけれど、もっと小さな頃から人の感情の機微に敏感で頭も回ったテオフィルは、呪いが周囲の者に、特にリュシアーゼルにまで何かしらの影響を与える可能性を恐れて、リュシアーゼルを徹底的に拒絶した。
そのことに大きなショックを受けたリュシアーゼルは、しかし一番つらいのはテオフィルなのだと、早く呪いを解かなければと、更に焦燥感に駆られた。そんな時に幼なじみが行方不明になり、王都に出向いた。そこでベルティーユが現れたのだ。
他に糸口がなかったので自身の直感を信じて彼女に賭けてみて、まさかヴォリュス山に来ることになるとは想像していなかった。
視察という名目で魔道具を探すためにヴォリュス山を調査するという話をした時、人を同行させるならくれぐれも口が堅く信頼できる者を、とベルティーユに念押しされていた。魔道具のありかを知っていた事実を広められたくない、知っていたのがなぜかを詮索されたくないからだと予想していたけれど、それだけではなかったようだとこの場に到着して悟った。ここにある他の財宝を横取りされたくないといった理由もあったのだろう。手癖の悪い者にくすねられる可能性を少しでも潰したいのは当然である。
財宝にどれほどの価値があるのかも気にはなるけれど、もっと重要なことが存在していた。
リュシアーゼルの手の中には今、渇望していたものがあるのだ。
「……これが」
大きくはないサイズの二枚の鏡。ひっくり返して裏の装飾を確認すると、中心に魔石らしき石が埋め込まれていた。石はそれぞれ赤と青で、この空間を閉ざしていた扉を想起させる。
二枚の鏡が解呪の魔道具だと、ベルティーユはそう言った。触れてもよくわからないけれど、じわじわと実感が湧きつつある。
やっと、テオフィルを呪いから解放できる。苦痛を取り除くことができる。
込み上げてくる感情は安堵だ。リュシアーゼルは大切に、鏡のフレームをそっと撫でた。
自ら見つけ出したわけではない。ベルティーユに導かれただけではあるけれど、これに関しては大事なのは過程より結果だ。テオフィルが助かるならなんだっていい。
「ありがとう、ベルティーユ」
「お礼は甥御様……テオフィル様の呪いが無事に解呪できてからでよろしいかと思いますわ」
ここまできて、この魔道具やベルティーユの情報が偽物だと疑う気持ちは微塵もないのに、ベルティーユはそんなことを言う。謙遜とは少々異なる遠慮だ。
「……それは?」
ベルティーユが持っている書物に気づき、リュシアーゼルはそう訊ねた。
「その魔道具を開発した魔法使いの日記です。古代文字で書かれています」
「この魔道具は古代の頃のものだと?」
「いえ。この国にジュストルネという名がついて以降でしょうね。詳しく調べればどなたの物かわかるかもしれません」
解呪の魔道具を作れるほどの魔法使いなら、確かに歴史上に名が残っているはずだ。
「何度も使えるようなものではありませんし、国にも報告しなければいけませんからね。さっさと使用してしまいましょう」
魔道具発見時には報告義務が付きまとう。報告して国に魔道具を差し出せば、使用するまでにかなりの時間を要することになる。その前に使ってしまえばいいと、ベルティーユはあっさり違法行為を推奨した。
リュシアーゼルとて元よりそのつもりではあったけれど、ベルティーユがあまりにも当然のような態度なので、さすがに驚きを隠せなかった。
「使い方はその日記に書いてあるのか?」
「そのようです」
ベルティーユはページをめくりながら答えて、そっと笑みを零す。
「効果は確かなようですよ」
財宝はすべてを一度に運び出すことが人数的に難しかったため、ひとまず一定量のものを持ち帰ることにした。魔道具の鏡はリュシアーゼルがしっかり懐にしまっている。
護衛たちには、魔道具は偶然発見したものとして通すように言いつけた。彼らは長くユベール公爵家に仕えており、呪いの一件で徹底的に身辺調査を行って問題なかった者たちだ。信用できるからこそ同行させたので心配はないだろう。
急ぎ邸に戻って、リュシアーゼルはそのままテオフィルの部屋の前に来た。ベルティーユもオルガもそばにいる。
オルガに鍵を開けてもらい、リュシアーゼルは久々のテオフィルの部屋に緊張しながら足を踏み入れた。
カーテンが閉じられて明かりも灯っていない暗い部屋の中。カーテンの隙間から覗く光で仄かに照らされているベッドの上で、少年がこちら側に背を向ける形で丸まって横になっている。
その姿を目にして、リュシアーゼルは唇を震わせた。
「……テオ」
歩みを止めて呼びかけると、ぴくりと少年――テオフィルが反応する。恐る恐る体を起こしながら振り返ったテオフィルは大きく目を見開いた。
「叔父上、なんで……」
動揺しているテオフィルの腕の黒斑は濃くなっており、首にまで薄らとした黒斑が広がっている。上半身の片側全体に黒斑ができているとオルガが言っていた。
前に顔を合わせた時よりも明らかに憔悴しているのもよくわかる。どれほど苦痛を味わい、恐怖していたか、想像するだけでリュシアーゼルの胸も苦しくなる。
「テオ、」
「来ないでください!」
リュシアーゼルが一歩前に足を出した瞬間、拒絶の言葉を必死な様子で叫ばれて、リュシアーゼルは息を呑んだ。しかしすぐに気を取り直す。
「解呪の魔道具を見つけた」
「え…… 」
「いや、見つけてくれたのは私ではなくベルティーユ……婚約者なのだが、とにかく魔道具がある。呪いを解けるんだ」
テオフィルは瞳を揺らしていた。突然のことで、まだ理解が追いついていないのだろう。
ベッドわきまで歩みを進めたリュシアーゼルは、ベッドの端に腰掛ける。そして、優しく声をかけた。
「手を出してくれ」
そうお願いすると、テオフィルはおずおずと腕輪が付けられているほうの手を上げた。くっきりしている黒斑に思わず眉を寄せて、リュシアーゼルは鏡を取り出す。
事前にベルティーユから言われていたとおり、リュシアーゼルは二枚の鏡で、腕輪を挟むように左右に持ち上げた。すると、鏡の裏の魔石が発光し、次いで鏡の面が白く光を放つ。
眩しさのあまり、テオフィルはもう片方の手で光を遮った。リュシアーゼルは険しく目を細める。
鏡から放たれる光に包まれた腕輪の魔石に、ピシッとヒビが入った。そのヒビが大きくなり――石だけでなく腕輪本体もバキッと割れて、ベッドの上に落ちる。次第に鏡の光も落ち着き、魔石も鏡も役割を終えたように完全に光が消えた。
腕輪が外れたことで、黒斑も消えていった。テオフィルは信じられないような表情で自身の手首を見つめている。
解呪が成功したのは明白だ。リュシアーゼルはほっと息を吐いた。
「叔父上……」
声を震わせたテオフィルの目から、涙が零れ落ちる。鏡をベッドに置いたリュシアーゼルは、テオフィルを包み込むように抱き寄せた。
「私が不甲斐ないばかりに、お前につらい思いをさせてしまった。約束したのに、解呪に時間もかかってしまった。本当にすまない……」
「叔父上っ……ぅ、あああ……!」
安心したために大きな声を上げて泣くテオフィルを、リュシアーゼルはぎゅっと強く抱きしめるのだった。
◇◇◇