100.第八章十一話
体内の魔力こそが体を蝕む害となる。毒をその身に宿しているようなものだということだ。
(それは、治療法なんてあるはずないわ)
目に見えないものをどうやって改善するというのか。治療のためにあれこれ試したとしても、魔法使いがいなければ改善したのかどうかすら確認のしようがない。
「そのような記載は見たことがありませんね」
ベルティーユは魔法関連の書物をそれなりに読んできたけれど、現代の魔力持ちの病という記述は今まで出会った書物にはなかった。
「魔法関連の書物の中には魔力持ちにしか視認できないよう加工されたインクで記述されているものもあり、魔力持ちが減った現代での研究には限界がある。魔法のことについて調べるのが趣味だった母上はそのような書物も積極的に読み漁り、それらから得た情報により、現代の非魔法使いの体に魔力が毒であるという推測にたどり着いた」
レアンドルは年季が入っている手帳らしきものを、こちらに差し出すようにテーブルに置いた。
「私が託された母上の日記だ。今話した内容が書かれている」
兄は七歳の時――母が亡くなる少し前に、万が一のことがあったらとこの日記の置き場所を教えられていたのだという。この日記を読んで、母が魔法使いであること、自分やベルティーユが魔力持ちであることを知ったのだと。
「……増えた魔力に耐えられなくなって体の機能が壊れていくのであれば、私とお兄様の違いは魔力量ということですか?」
二十五歳でも体調に変化がなかったレアンドルと、十七歳で命を落としたベルティーユ。その差は原因である魔力の多寡なのだろう。
「そうだな。母上が私が魔力持ちだと気づいたのは私が六歳の頃だったらしい。それほど私の魔力は少量だったが、私が魔力持ちであると知り衝撃を受けていたようだ」
魔力が害になると知っていたから、いつか息子が魔力で苦しんで命を落とすことになるのだと想像したのだろう。
「お前を妊娠していると気づいたのはその二週間ほど後だった。そして、妊娠五ヶ月ほどの時にお前も魔力持ちであることに気づいたと日記に書かれている。お前の場合は、胎児の頃から母体にまで影響を与えるほどの魔力を持っていた」
「……」
「魔法使いはさすがに体質も例外で、母上には魔力に対する耐性があった。だが、体の中に自分のものではない魔力がある状態は魔法使いであってもかなり危険だ。自分の魔力と異質の魔力は体の中で反発し合う。そのため、魔力持ちの妊娠中は体調が悪化し、魔力制御も難しくなる」
心がざわざわする。ベルティーユは冷静であろうと努めた。
「母上には、お前が魔法使いであるかを判断する術がなかった。魔法使いでなかった場合、魔力量から考えてお前の命はそう長くない。出産にあたって己の命も危ういことを悟った母上は、お前に力を譲渡しようとした」
「……可能なのですか?」
「成功する自信はなかっただろうな。だが、お前を救うために確実に魔法使いにしようとしたのだ」
ベルティーユは魔法使いではない。母の計画は失敗に終わったのだ。そして母は命を落とした。
(トリスタンお兄様。貴方たちが正しかった)
殺意も自覚もなかった。違うと否定してきた。
けれど、母を殺したのは確かにベルティーユだった。
母を死に追いやったベルティーユの魔力。その魔力によってベルティーユも死を迎えた。まるで罰のように。
「――何を考えているのかは想像がつくが」
無意識に俯いて手を震わせていたベルティーユは、レアンドルの声に顔を上げる。
「母上が亡くなったのはお前のせいではない。出産に命の危険はつきものだ。母上はお前が無事に生まれることを誰よりも望んでいたのだから、責任を感じる必要はない」
まるで本心かのような表情と声だ。気遣いが感じられて、今更何を言っているのだと、ベルティーユは握りしめた手に力を込める。
「過去に、そう言ってくれたことはありませんでしたよね」
「……ベルティーユ」
「お兄様も同じように思っているからでしょう? 私のせいでお母様が死んだから、私と関わりたくなかったのでしょう?」
唯一すべてを知っていて、ベルティーユと同じく魔力持ちのレアンドル。母はもしかすると、二人が協力して病に打ち勝つことを望んでいたのかもしれない。
しかし、そうはならなかった。ベルティーユは魔法使いの力を受け継ぐことができず、レアンドルも真実を明かさなかった。
「私が死ねばよかったと、思っているのでしょう」
ベルティーユの言葉に、レアンドルは少し間を置いて口を開く。
「父上を始め、カジミールやトリスタン、使用人、領民たちも、母上の死を受け入れることができなかった。母上を大切に思っていたからこそ、失った悲しみに耐えられず、お前を憎悪することで心を保っていた」
「……」
「お前も私も、早くに命を落とす可能性が高い。……それなら、カジミールたちにとって大切な存在にならないほうがいいと思った」
愛する者の死は人の心を壊す。母の時と同じにはしたくないと、レアンドルは思ったのだろう。
『お前たちが疎ましかったわけではない』
距離を取っていたのは、レアンドルなりの優しさゆえの行動だった。遺される者たちのその後を考え、一時の幸福よりも死後のことを優先しただけだったのだ。
「レアンドルお兄様にとって、カジミールお兄様たちはとても大切な家族なのですね」
彼らの傷が軽くて済むように。そんな願いで、レアンドルは周りとの関わりを最低限にしてきたらしい。
「――でも、私にとっては違います」
鋭く、レアンドルを見据える。
「知っていて自ら選択するのと、何も知らずに強制されるのではまったく違います」
ベルティーユの中で、ラスペードの者たちは大切な存在ではない。彼らが悲しもうがベルティーユの心は痛まない。レアンドルの望みどおり、ベルティーユと彼らの間に愛情なんてものは欠片ほどもないのだから。
レアンドルのように彼らのことが大切であれば、ベルティーユもレアンドルに賛同していたかもしれない。けれど、現実は違う。
「あの人たちのために苦痛でしかない生活を送ってきたのだと、改めて痛感しただけでしたね」
日記に再び視線を留める。
(やっぱり貴女は、自分の命を優先するべきだったのですよ)
ベルティーユのことは諦めて、レアンドルを救う道を自分で必死に探せばよかったのだ。カジミールやトリスタン、父との時間を優先するべきだった。
「お前がラスペードを憎むのは当然だ。――だが、ユベールはそうではないだろう」
引っかかる言い方をするレアンドルに、ベルティーユは眉を顰める。
「テオフィル・ブノワ・ユベール。ユベール公爵の甥のほうが、おそらくお前よりも時間がない」