『わたくし』のモノは返していただきましょう
気分転換に、ちょっとダークな話が書きたくなったので。
ゆっくりと目を開いた時、目の前にいたのは、小さな女の子の顔だった。
緑の大きな瞳に、緩やかなウェーブの金髪に、その髪には真っ赤な大きなリボン。人によっては、お人形のようと表現するかもしれない。
「あ、おきた」
可愛らしい声が、薄暗い部屋の中に響く。
「ねぇ、これ、もらってもいい?」
そういう子供の手には、『わたくし』が結婚式に夫から贈られた指輪があった。
贈られた時は透明な大きな石だったのが、今では黒ずんだ赤に変わっている。
それは、『わたくし』の魔力と生命力を吸い上げ続けている物なのを、私は知っている。
そして、その魔力と生命力を、夫であったあの男が受け取っていることも。
子供は、もらってもいいかと私に許可を求めてたはずなのに、私が返事をする前に、彼女の親指に嵌められていた。
「いいわよね。わたしにピッタリだし」
女の子は部屋を軽やかな足取りで出ていく。
「……ええ。あんなもの、いらないわ」
久しぶりに出た声は、掠れて、無人の部屋では響きもしなかった。
私が目覚めたのは、正確には、夫との結婚式の指輪の交換の後だった。
私は、『わたくし』の中でずっと眠っていた、もう一つの人格。
何もなければ、目覚めることなどなかった。
婚約期間は、とても優しかった夫。
ただそれが、公爵家の跡取り娘の『わたくし』と結婚するためだったと思い知らされたのは、初夜。
新婚の夫婦のためにと、用意された別宅に向かった『わたくし』たちだったのに、使用人たちが別宅から離れた後、『わたくし』の知らない女性を抱きかかえ、夫婦の部屋へと招き入れているのを、見せつけられた。
信じていた夫に贈られた指輪は、『隷属の指輪』だった。
隷属の指輪によって『わたくし』の心は囚われ、私が代わりに表面に出ることになる。
表面といっても、身体は『わたくし』の支配下にあり、私はただ意識だけの存在でしかなく、私と『わたくし』は、共に夫のすることを見続けるしかなかった。
隷属の指輪をした『わたくし』は、夫婦の部屋の前で立たされたまま、ケダモノのような夜の営みを聞かされ続けた。
その日、『わたくし』の心は死んだ。
あれから5年。
結婚して1年は、隷属の指輪で私を連れまわしてみせた夫は、2年目には屋敷の離れに療養と称して、監禁した。
初夜もしていない私を妊娠したと嘯いて、私の子供だと、あの女の産んだ子供を、隠居した両親に抱かせまでしたようだ。
それを一々、夫の愛人は壊れた『わたくし』に自慢気に話しに来ていたのだ。せめてもの救いは、すでに『わたくし』の心は死んでいて、愛人の言葉が届かなかったことだけだ。
気が付けば、使用人も全て夫の手の者に入れ替わり、女は夫の第二夫人となって、本宅に居座っていた。
なぜ夫はいつまでも『わたくし』を殺さずにいるのか。
さすがに殺すことまでは出来なかったのか。
その理由はわからない。
でも、それは私が彼らを許す理由にはならない。
隷属の指輪によって休眠状態であった私は、骨と皮ばかり。金色の髪もすっかり白髪交じりになっている。
まだ20代前半なのに、すっかり老婆のようになっていた。
「……さぁ、『わたくし』のものを取り戻すわよ」
隷属の指輪のなくなった左の腕を、ゆっくりと持ち上げる。
しばらくすると、どこからともなく、青白い煙がわたしの指先へと流れてきた。
最初は1本の細い煙だったのが、2本、3本と増えていく。
『きゃぁあぁぁっ!』
遠くで女の叫び声が聞こえてきた。
『奥様っ!』
『どうなってる!?』
『いやぁぁぁぁっ!』
私の指先が徐々に太さを取り戻し、皺だらけだった腕にも肉が盛り上がっていく。
きっとあの女の身体に使われていた、私の魔力が切れたせいだろう。あの女がどれだけみすぼらしくなっているのか、考えるだけで笑える。
『お、かあさま? あ、あ、あぁぁぁ……!』
子供の甲高い声も聞こえる。きっと、あの子だろう。
『マリアンヌッ!』
そうか、あの子供は『マリアンヌ』というのか。
でも、もう二度と会うこともないだろう。だって。
『いや、いやぁぁぁ! なんで、マリアンヌがぁぁぁっ……あああああ!』
『なぜ、お前がこれをっ!』
耳障りな女の甲高い声に、夫の怒鳴り声も聞こえる。
こんな風に声を荒げたことはなかったわね、と過去を振り返りつつ、私は自分の身体へと目を向ける。
先ほどまでの老婆のような身体から、瑞々しい肌へと変わっていることに満足する。
気に入らないのは、ずっと着せられている、黄ばんでボロボロになっている夜着。
ベッドから身体を起こし、クローゼットの方へと目を向ける。
「クローゼットの中身は空っぽなのよね」
ずっと寝たきりの『わたくし』には必要ないと、両親から贈られていたドレス類が、全てあの女の元にいっていたのを、私は知っている。
「風の精霊よ。『わたくし』の物を取り戻して」
『リアーナ様の、望みのままに』
バタンッと閉め切られてきた窓やドアが勢いよく開く。
『な、何が起きてるっ!?』
夫の慌てた声が可笑しくて、クククッと笑いが零れる。
次々にクローゼットに入っていくドレス。美しく華奢なテーブルや椅子。数々のアクセサリー。その数に、呆れてしまう。どれだけの数を、私から奪ってきたのだろう。
最後の一滴まで、『わたくし』から奪っていたものを返してもらうわ。
『あ、あ、貴方っ!』
『タ、ターニャ……』
『きゃぁぁぁぁぁぁ!』
ずっと放置されてきた身体の汚れを落とすために、『クリーン』と呟く。一皮むけたように、美しくなった肌に笑みを浮かべる。
私は、クローゼットの中から、皺だらけの濃紺のシンプルで清楚なドレスを手に取る。きっと、あの女は自分に似合わないからと、しまい込んでいたのだろう。
確かに、卑しい娼婦のような身体の彼女には似合わないだろう。
精霊たちに皺をのばしてもらい、ドレスを身につけ、奪われていた祖母の形見だった真珠のネックレスを自分の首につける。靴はずっとしまってあった古い黒い靴。さすがに、飾りも何もない、自分の足に合わない靴までは持っていかなかったようだ。
私は姿見で自分の身体全体を確認する。
結婚式の時のあどけなさと甘さの残っていた姿も、今は氷の表情を浮かべている。
「こんな私にしたのは、貴方よ」
部屋のドアを風の精霊が開ける。
「ありがとう」
『リアーナ様の、望みを叶えるのが、私たちの役目』
公爵家の跡取り娘の『わたくし』を、この国唯一の精霊使いだった『わたくし』を、騙し、貶めた罪は、償ってもらう。
「さぁ、行きましょうか」
私は笑みを浮かべながら、部屋から一歩、踏み出した。
2024/07/22 [日間] 総合ランキング 2位
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