その3・森で出会った優しいおじさん達
魔女ソルフィアスの処刑と聖都の消滅から、十五年の月日が経った。
帝国は、聖都消滅の二年後に皇帝ガルハインが疫病で崩御すると、一年たたず東西に分裂し、それぞれが正当な帝国の後継だと主張して譲らず、周囲の国家をも巻き込んで五年の長きにわたって激しく交戦した。
最終的に、双方の主張は平行線となったものの、周辺国の仲介もあり、どうにか休戦にまで持ち込むことができたのである。
東バールゲルドの通称で呼ばれ、第一皇子ハーリウスを皇帝とするバールゲルド真帝国。
西バールゲルドの通称で呼ばれ、第一皇女セルミエルを女帝とする神聖バールゲルド帝国。
東には、不死の王を倒し生還した英雄の一人、女戦士パルトールが、西には、第二皇子レウルとその妻である、ソルフィアスの妹シルフィが与していた。
パルトールと同じく英雄の一人であった賢者グラッセオは、皇帝の死後、公式の場に現れることが少なくなっていき、いつしか政治の世界からその姿を消していた。
休戦条約に何らかの形で彼が関わっていたのではないか、との噂もあるが、真偽は不明だ。
一方、魔女と呼ばれ忌み嫌われたソルフィアスであったが、東西帝国の休戦の前後で、
『聖都はソルフィアスを冤罪で処刑したことへの神罰で滅んだ』
『ソルフィアス様は自らの命をもって疫病を鎮められた』
『王家や貴族、豪商や聖職者たちは、利益ではなく善意で動く聖女を目障りに思って消したのだ』
などという風評が急激に広まりだし、しかも信じられないことに、
『第一皇子ハーリウスは、聖女の婚約者であることを利用した第二皇子レウルが自分を追い落とすかもしれないと不安になり、第二皇子の後援者や協力関係にある者を陥れるために、聖女にいわれなき罪を被せた』
『聖女処刑の首謀者は第一皇女セルミエルであり、大神殿と懇意にしていた皇女はこれ以上聖女の人望が上がることで、大神殿の権威を凌ぎかねないことを恐れて、聖女をでっちあげで処刑した』
両国の首脳陣が互いに自分達のことを棚に上げ、平然としらばっくれて、醜い責任の擦り付け合いと処刑強行のネタ晴らしをやりだしたのである。
その結果どうなったのかというと、ソルフィアスの処刑は陰謀による冤罪であり彼女はまごう事なき黎明の聖女であった、と双方が声明を出したのだ。
これには自国民はおろか他国民や他種族、それどころか魔族すら呆れ果てて嫌悪し、どちらの言い分も自国民には表面上は賛同されはしたものの、誰もが腹の中で嘲笑していた。
割れた帝国に残った上澄みは恥を知らない汚泥だと。
太陽の日差しがようやく強くなり始めるこの時期、俺とソルティナは今日も今日とて友達がいない者同士でいつもの森へと足を運んでいた。
そんな俺達の後をついて歩くのは、一か月前に拾った幼いクレセントウルフ──ファングだ。
俺の家で飼うことも考慮してたが、ソルティナの両親は案外すんなりファングを飼うのを認めてくれたらしい。番犬にでもする気なのかもな。
「あれね、ここまでくると汚泥というか清々しいくらいのクソよね。クソの中のクソよ」
「気持ちはわかるがよしなさい。聖女の生まれ変わりがそんな汚い言葉を連発すんな」
笑いながら悪態をつくソルティナ。
扇動された馬鹿な民衆や、陰謀の首謀者どもにすり寄っていた知り合いを燃やした程度ではやはり恨みがおさまらないのだろうか。
「……私としても、ちょっとやり過ぎなくらい暴れた感はあるし、怒りとか憎しみとかはもうほとんどないのよね。でも大元の連中がのうのうと生きているのはムカつくわ」
大都市まるごと消し去るのはちょっとってレベルじゃねーぞ。
「第二の人生は普通に過ごすつもりだから率先して復讐に走ることはないけど、やれそうな機会が舞い込んできたら、その時は神が鉄槌を与えてくれたと判断して全力でやるけどね」
「俺まで巻き添えにしないでくれよ」
「何言ってるの、私たちはもう一蓮托生でしょう? お互いの全てを知り尽くした、家族や恋人よりも親密で特別な間柄じゃないの。私と一緒にどこまでも突き進みましょうよ」
俺にしなだれかかりながら、そんな道連れ発言をかましてくるソルティナ。
「虐殺をためらわない三十七歳にそんな口説かれ方されてもグエッ」
ガシッ、と首を万力みたいな力で掴まれた。
「……前世の年齢はカウントに足さない。わかる? 栗毛の賢い坊やならわかるわよね?」
「ハイ、わかります。ソルティナちゃんはとっても可愛い十三歳です」
「くふふ、よくわかってるじゃないの」
肯定に誉め言葉を足しておいたのですぐ離してくれた。チョロい。
しかし十三歳にお世辞言われて機嫌よくなる三十七歳って、それは大人としてどうなんだ。
「また熊に出会えるかと期待してたが、そうそう都合よく会えはしないか」
「この森かなり広いしねー。会えないのが普通ってものでしょ。それと、ちゃんと掴まってなさいよファング。落ちたら痛いわよ?」
そそり立つ岩壁と、目的地である暗い穴。
ソルティナはわずかなでっぱりやヒビに指を刺し入れたり、あるいは手の平を岩肌にペタリとくっつけて吸着させ、スイスイ上へと登っていく。
その横で俺は岩壁を上へと歩いていた。
「いつも思うんだが、なんでジャンプしないんだ? お前なら一足飛びで余裕だろ」
「あまり楽をすると怠け癖がついちゃうしね」
「そういうものか」
森の奥にある大きな岩山。その険しい岩壁を登った先にある天然の洞窟を俺たちは秘密基地にしていた。
さすがにまだファングはそこまで登れないので、ソルティナが背負っていたが。
「とーちゃく……っと。はい明かり」
ファングを降ろすと、ソルティナがランプの明かりをつけた。
これはロウソクや油を用いるのではなく、魔石に光属性の魔力を与えることで、その魔力が尽きるまで光り続けるというなかなかの貴重品だ。間違っても田舎町の子供二人が所有できる品物ではない。
ではなんでそんな貴重品がここにあるのかというと、話は二週間前にさかのぼる。
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「……坊ちゃん嬢ちゃん、こんな人気のない森の中でどこに行くんだい。子供だけじゃ危ないぞぉ……」
「こんな森より、おじさん達といいところに行かないか? 甘いお菓子もあるぜ?」
二人と一匹でいつもと変わらず森を散歩していると、どっからどう見てもまっとうじゃないおっさん二人組に絡まれた。良くてチンピラ、悪くて野盗という見た目だ。喋りからして、まあ人さらいだろう。
多分……いや間違いなく、最近町で噂になっていた奴らだな。素性のわからないガラの悪そうな二人組を森の中で見たという、なんとも疑わしい世間話。
本当だったとはな…………なんて運の悪い奴らだ。
こちらには人命を軽んじるのが得意な聖女さまがいるというのに。
「ついていってもいいけど、お菓子より、珍しい玩具とかないの? 私、そっちのほうが興味ある」
「お、俺もそのほうがいいかな。玩具欲しいなあ」
適当に合わせてみた。
「何かあったかな……ま、とりあえず一緒に来な。欲しいのがあったらくれてやってもいいぞ」
「わーい」
強引に連れ去る手間がはぶけたとばかりに二人組がにたりと笑うが、そんな事より俺は、いつものソルティナを知ってるだけに、無邪気にはしゃぐその姿が実に不気味に見えていた。
「ねえ、どこまで行くの?」
「そろそろさ……お、あれだ」
森の中を西に向かってしばらく歩いていると、少し開けた荒れ地に出た。
こんな場所あったんだな、今まで知らなかった。やっぱこの森広いわ。
「……馬車?」
汚い馬に牽かせたボロい荷馬車がそこにあった。
「そうだ、素敵な馬車だろ。大人しくさっさと乗りな。それとも痛めつけられてからのほうがいいか? 俺達としても商品に傷をつけたくねえから、聞き分け良くしてくれたら助かるんだがな」
「逃げようったって無理だぜ。そこの犬コロはともかくガキの足で大人から逃げ切れるわけがねえ。ましてや俺は『俊足』の属性持ちよ。試してみるか?」
ここまで来たらもう隠す必要もないと判断したのか、二人組が最初からバレバレだった本性をわかりやすく現してきた。本性を隠さなくてもよくなったのはこちらもなんだが。
「それはいいんだけど、あの中に玩具はあるの? それとも嘘?」
「へへへ、この状況でその態度とは大したタマだな、お嬢ちゃん。安心しな、俺達には正確な価値がわからんが便利な道具ならいくつかあるぜ」
それを聞いてソルティナの目が細まった。ヤる気だこいつ。
「そう。じゃあもうあなた達は用済みね。安心していいわ、残った物は私達が有効利用してあげるから。世のため人のためにね」
ソルティナはそう言うと、自分のそばにいた駆け足自慢のおっさんの腕を無造作に掴み、体勢を崩すとか重心移動とか無視した単純な腕力でそのままぶん投げて地面に叩きつけた。
鍛えに鍛え抜かれたクラス『聖女』の身体能力は転生後もこのように健在なのだ。
「ぐげへぇっ!?」
「ていていてい」
「げはあっ! や、やめべへえぇえ!? ごへええぇ!」
片手で軽く数回叩きつけると、もう充分と判断したのか飽きたのか、その両方かもしれないが、虫の息になった血だらけのおっさんの腕からソルティナはようやく手を離した。
「な、なんなんだてめえ、化け物か!?」
狙われなかったほうのおっさんが、大振りのナイフを突きつけながら怯えだした。
ガチの聖女だって言っても絶対信じないだろうな……本当なのに。
「化け物っていうなら、そっちのほうがやばいわよ」
その言葉を聞いて、おっさんは今度は俺のほうに震える刃先を向ける。
「やめとけよ。そんなものでどうにかならないって、自分でもわかってるだろ?」
俺は、一歩、また一歩と、ゆっくり近づいていく。
「う、うるせえ。来るな、こっちに来るんじゃねぇ! この化け物どもが! うっ、うう、うあああああぁぁーーーー!!」
恐怖のあまり逃げることも忘れたのか、ナイフを中腰に構え、叫びながら俺のほうに突進してきた。
「しゅっ」
一人生きてるからこっちはいいだろと思い、俺は突っ込んできたおっさんへ下から掬い上げるように右手を振る。
ズバシュウウッ!
「ぁう」
振った右手の五指から斬撃が放たれ、おっさんはいくつかの肉塊となった。
「……えぐっ。人のことさんざん殺人鬼みたいに言っといて、これはないわー」
「見せしめだから仕方ないだろ。それより…………おい、おっさん、生きてるか? こうなりたくなかったら全部吐けよ、いいな?」
俺が相方の頭部を見せると、血だらけのおっさんは「何でも言うから殺さないで」と泣きながらこっちの質問に答えてくれた。
便利な道具だと言っていたいくつかの品物は、ダンジョンで命からがら脱出してきた死にかけの冒険者と偶然出会い、つい殺害して強奪したもの。
俺たちを狙ったのは、別の町でトラブルを起こしてしまいこの森まで流れ着いて潜んでいたのだが、追跡が来ない場所に逃げようと思案していた時に見つけたので、行きがけの駄賃のつもりだった。
俺はともなくソルティナのほうはきれいな銀髪の美少女なので高く売れると思い、奴隷商をやってる知り合いに売り飛ばしてから、西に向かう予定だったと。
それ以上はこれといって聞くべき情報もないので、俺は怯えるおっさんと分割されたおっさんに息を吹きかけ、一緒に楽にしてやった。
大人しく喋ればバラバラにはしないと言ったが、崩さないとは言わなかったしな。
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「……あの時さ、少しはためらうかと思ったけど、あっさり殺人に手を染めたわね。普通はその場でへたりこんだり、泣いたり、震えが止まらなくなるものだけど」
「そうだな、俺も驚いてるよ。悪党とはいえ人の命を奪っておいて何の動揺もしてない自分にさ。どうやらお前の言う通り、俺のほうが化け物らしい」
嫌な事実を突きつけられたなあ。しかも自分自身で。
「くふふふっ」
「……何だよその笑い」
「私達って似た者同士だなと思って」
俺は顔をしかめるしかなかった。