その1・火刑の聖女
その日。
後に『世界の過ち』と呼ばれることになる、運命の日。
かつて、黎明の聖女と称えられた、ノーティン家の長女、ソルフィアス・ノーティンは、彼女を疎ましく思った者達の共謀により火刑に処されることとなった。
……なんて他人事のように語ってるけど、その聖女というのが私だ。
この大陸において最大の国威を誇るバールゲルド帝国、その中でも帝都に次いで発展している聖都の中心である大神殿前の広場に設置された石の柱に、私は鎖で何重にもくくりつけられている。
衣服は、かろうじてボロ切れよりはましかな、という程度のものだ。下着すらない。大き目の雑巾で体を覆っているようなものだ。
それにしても、まだ二十四歳なのに火あぶりとはね。私ってかわいそう。
だけど、そんな私に対して憐れみを持っている者は、この場に私本人だけ。
「……ここに、堕ちた聖女……いや、民衆を惑わし、数々の犯罪に手を染め、悪しき疫病をばらまいた張本人、おぞましき魔女ソルフィアスを浄化の炎にて処刑する!!」
『おおおおおおおおおおお!!!!』
待ちに待った熱望の時が訪れることへの喜びが、広場を揺るがす。
自分たちを長年騙し苦しめていた魔女の処刑を一目見ようと押し寄せていた民衆が、大歓声をあげた。中には感極まって泣いている者までいる有様だ。安い涙ね。
だが、私のために泣いている者は一人もいない。
数回しか顔合わせしたことがない貴族や、利害の一致から付き合いのあった知人、そして昔からの友人までもが処刑に賛同して、私が焼かれるのを今か今かと待っている。
全員が、今まで見たこともない醜悪な笑い方をしていた。
これが彼らの本性だったのだろうか。
……おや?
妹の姿が見えない。
私を陥れた主要人物の一人であり、有罪となって断罪塔に収監されることになった私から次期家長の座と、婚約者であった第二皇子のレウル様を奪ったシルティの姿がない。
てっきり、あの性格からして、私の最期を肴にワインでも飲む腹積もりだと思っていたのだが。
生まれつき臆病で優柔不断なレウル様が、こんな品性のないお祭り騒ぎに来ることはありえないにしても、まさかあの子がいないとはね。腹でも下したのかしら。
他にも、四年前、私と共に不死の王を倒した生き残りであり、私が痛み止めの薬と偽って依存性の高い麻薬を売りさばいていたと、ありもしない話をでっちあげた、女戦士パルトール。
同じく生き残りで、魔物に襲われて被害を出した村に私が赴き、表向きは慰問だが、裏では健康な村人を奴隷として買い取っていたと裁判で糾弾してきた、賢者グラッセオ。
反対者を投獄し、あるいは帝都から力づくで追放してまで、私を強引に処刑にまで持ち込んだ、第一皇子ハーリウス様。
聖都の事実上の権力中枢であり、帝国の主教である光神教の聖地たる大神殿を取り込んで、私から聖女の地位を剥奪して魔女認定までやらせた、第一皇女セルミエル様。
恥知らずな裏切り者二人と、権力闘争に余念がない帝位継承者たちもまた、広場に居合わせていなかった。
ところで、本性を現したのは彼らだけではない。
幽閉されていた塔からこの広場に引っ立てられる間に、私はこれまで救ってきた人々と再会した。
どうかおばあちゃんの足を治してあげて、と頼んできた女の子。
野獣に襲われ、なんとか退治したが腕に大怪我を負った兵隊さん。
悪霊の呪いを受けて、目が見えなくなったおじさん冒険者。
川に落ち、引き上げられたものの息が止まっていた宿屋の看板娘さん。
「このインチキ聖女! これでもくらえー!」
しかめ面の老婆と共に、私に石をぶつけてくる子。
「俺たちをずっと騙しやがって! 邪悪な魔女め! ……なんだその目は! 文句があるならかかってこいよ!」
私に槍の穂先を向け、歯を剥いて獣じみた威嚇をする兵隊。
「俺が呪われたのも、どうせ最初からお前の仕込みだったんだろ! なんて腐れ売女だ!」
怒りに燃える瞳でこちらを睨みながら叫び、腐った卵を投げてくる冒険者。
「病気をばらまくなんて、恥を知りなさいよ恥を! なにが聖女よ!」
顔を歪め、息を切らせながらわめく看板娘。
あれだけ感謝の言葉を私に述べていた者達が、邪悪な本心をむき出しにして、街道にぎゅうぎゅうに詰め込まれているように立ち並んで集まっていた。
「はぁ……」
今の立場と状況にふさわしくない溜め息が出る。心底呆れた。
なぜ私は、こんな恩知らずな連中のために、かけがえの無い仲間を失いながら、あの不死の王を激闘の果てに滅ぼしたのか。
こんなことなら、もっと被害や犠牲者が出てからやればよかった。
……それはそうと、いや、よりにもよって疫病をばらまいたって……無茶苦茶すぎない?
お偉方が深く考えずに、太古の魔物の屍なんかを核にした結界で帝都を繁栄させようとしたから、地脈を通じて呪いが国中に広まったんでしょうに。
まあ、そうはいっても、そんな難しい理論を彼らが理解できるわけもないか。あの魔女が全て悪かったんだで思考停止したほうが納得しやすいものね。
だけど、あの小賢しいグラッセオなら余裕でそれくらいわかるはずなのに、いったい彼はこの先どうするつもりなのだろう。私を処刑したところで何の解決にもならないのに……
しかも、ついでとばかりに他人の罪や冤罪を山のように被せられ、私は百以上の濡れ衣を重ね着させられていた。これだけ着込まされていたら火をつけられても余裕で助かりそうな気もする。
「魔女ソルフィアスよ。寛大な慈悲をもって、最期に懺悔の機会を与えよう」
私のことを、奇跡の乙女だとか神のもたらした救いの手だとか、さんざん褒めたたえていたデブの大神官が、笑ってしまうほどの手のひら返しで誠意のあるお詫びを要求してきた。
なので蹴った。
「お断りします」
「…………………………は?」
「ですから、お断りしますと言ってるんですよ。いいからさっさと私を燃やしなさい。これ以上あなたの臭い息を嗅がされるのは実に耐え難いわ」
言ってやった言ってやった。
肉や甘いものばかり食ってる怠け者特有の口臭に、私は以前からウンザリしてたのだが、これが最後なのだから我慢することもない。
「こ、こ、このクソ魔女が……!!」
脂ぎった顔を真っ赤にして、今にも頭の血管がまとめて切れそうなくらい大神官が激怒した。
「すべて燃やしてしまえ! この期に及んで謝罪の一つも言わぬ雌悪魔を骨の一欠けも残さず焼き尽くすのだ!」
「そうだそうだ!」
「臭い大神官の言うとおりだ!」
「俺たちを苦しめ続けた魔女を決して許すな!」
「死しても地獄の火に永遠に焼かれ続けろ!」
老若男女の筋違いな恨みつらみを浴びながら、私は四方八方から神官たちの放つ聖なる炎をその身に受け、なすすべなく燃えつき……
……なかった。
「な、なんだと……!?」
大神官が無傷の私を見て、眼窩から飛び出そうなくらい目を見開いた。
いつまでたっても燃え尽きるどころかヤケドひとつ負わない私に、見物客たちや今回の処刑の関係者がどよめき始める。
これでも聖女の中の聖女(不死の王のお墨付き)なので、そこらの神官程度の扱える神聖魔法でダメージなんて受けるわけがない。私を舐めすぎだ。
それとも、どうせ治癒魔法しか能がない小娘だと侮っていたのかな。
「ええい、何をしている! やせ我慢しているだけだ! もっと炎を浴びせろ!」
唾をまきちらしてわめく大神官の命令に、神官たちが動揺しつつも追加の炎を私に放つが、さっきと同様に私は当然ノーダメ。長い銀髪の一本も灰にならない。
いよいよ焦りと怯えが隠せなくなってきた人々を尻目に、私は今後について思案していた。
……したいんだけど、神官たちが三度目の正直とばかりにまた私に炎を打ち込んできたので、流石に鬱陶しくなってきた。
「あー、もういいや。あなた達、悪く思わないでね。私って魔女なんだから、このくらいしても問題ないでしょ?」
同じことの繰り返しに飽きがきていた私は、最高ランクの防御魔法を縛られたまま用いた。
「水晶鏡壁」
私を囲むように白く輝く魔法の壁が発生し、神官たちの炎を余すところなく反射した。
しかも、この魔法壁は魔法攻撃をただ弾き返すのではなく、その威力を何倍にも高めてお返しする凶悪な性能まである。
その結果どうなるかというと、
「うわあああああ! 燃えるっ私が燃えるうううぅ!神よこれはどういううううぅぅぅ!?」
「なんで貴様が焼かれずに俺たちがあああああぁぁぁ! うがぁぁぁぁぁああ!!」
困惑しながら自分たちの放った火に焼かれる神官たちだけでなく、
「ぎゃあああ!! 熱い、熱いよおばあちゃん! どこいくのおばあちゃん! あたしをおいてかないでぇ! いやだ助けてぇ!」
「うあああっうっ腕がぁ! 誰か脱がせてくれぇ! 籠手が熱いぃぃ!! 腕が焼け落ちるぅぅぅうううう!!」
「っがあぁ、顔がっ、あっ、ううぅ何も見えねぇ! 目が、俺の目があああぁーーーー!!」
「み、水ぅ、誰か水をかけてぇ!! 誰かお願い! 死にたくないぃぃ! 水ぅぅぅううううう!!」
私の最期を見物しようと集まっていた連中にも炎が降り注いだ。
慌てて逃げ出す老婆に見捨てられ、背中についた火に苦しむ者。
両腕の武装が燃える石炭のように熱を持ち、必死にもがく者。
焼けただれた顔面を押さえ、何も見えずのたうち回る者。
熱風に全身を舐められ、金切り声をあげる者。
なんか……えらいことになってるな。
「ぶぎゃああああ! あぎぎぎぎおおおおおおお~~~~~~!!」
あ、大神官が火だるまになってのたうち回ってる。ウケる。
パメラちゃんが獄炎の魔法でオークキング燃やした時も、こんな感じだったな。
もし不死の王との戦いで命を落としてなかったら、今頃は二十歳になって、彼氏の一人くらい見つけてただろうになぁ……つらいなぁ…………
……私?
私はみんなの聖女だから、一人に縛られるわけにはいかないのよね。まあ今は好みの男性どころか石柱に縛られてるんだけど。
そういうことにしなさい。いいわね?
ん、第二皇子?
ああ、そんなのもいたわね。
やんごとなき血筋と美形である以外に何の取り柄のなかった、凡庸で気弱な男。嫌いではなかったけれど、さほど好きでもなかった。
だから妹に奪われたと知っても、あっさり乗り換えられたという嫉妬ではなく、これからあの子の尻に敷かれるかわいそうな人という哀れみが強かった。
くふふふっ、レウル様、どうかお幸せにね。
「きゃあああぁぁ! な、なんで私がぁ!? ああぁ髪が焼けるぅう! 下劣な魔女のくせに私にこんなことぉぉぉ!!」
「誰かなんとかしろぉぉ! 誇り高きウェスター家の俺が死ぬだろうがぁぁぁ!! 熱っあづっああづううううううううぅぅぅ!!」
「友人だと思ってたのによくもぉぉぉぉぉーーーーーー!! うがああああぁ! たっ、助けろよっ、聖女なんだろうがぁぁぁぁああ!!」
慈悲深い私が第二王子の未来を案じている間にも、見晴らしのいい場所では知り合い枠の方々がいい感じに燃えてた。
なんだろう、人としてどうかと思うけど、この火炎地獄を見てると凄いスカッとする。
待ちに待った熱望の時とは、彼らではなく私にとってそうだったみたいだ。
どのくらいスカッとしたかというと、お風呂上がりの冷たいエールに匹敵するくらい。そういえば幽閉されてからずっと飲んでないし、熱いお風呂にも入ってないな。
それで、これからどうしようか。
逃げるのもたやすいけど、もうこの国に……いや、この世に私の心残りも居場所もない。
だったらいっそ──
「──なんかもう何もかもどうでもよくなって、最大威力で自爆魔法使っちゃったのよ」
目の前にいる幼馴染の告白を最後まで聞いて、俺はもう、ずーっと開いた口が塞がらなくなっていた。
「…………………………………………ないじゃん」
「え?」
「処刑されてないじゃん、お前」
「…………歴史的にはそうなってるから問題ナシ!」