act.7「安全運転で参ります」
「――ところで貴女、荷物はあれだけで良かったの?」
言われるがまま千景さんの車の助手席に乗り込んでいた俺は、運転席で意気揚々とハンドルを握る千景さんから、そう尋ねられていた。
多分あのオンボロアパートに置いていった品々のことを言っているのだろう。
あそこに置いていったものは千景さん側の方ですべて処分し、家も引き払ってくれることになっていた。
俺は結局、あの写真立てに入った謎の写真1枚を除いて、その全てをあそこに置いてきたのだった。
「ああ、別に良いんだ。別に、懐かしむものも無いし。それに――」
「――家族もいないから?」
……そっか。そういえば、俺のことは調べてるって言ってたっけ。
千景さんの言う通り、俺には家族が居ない。
両親はとっくに死んじまったし、兄弟とかの肉親もいない。ずっと1人で生きてきた。
だから別に、ある日突然性転換して、今までの生活を全部捨てることになっても、たいして困らないのだ。
「……ま、そーゆーことだ」
「ふーん」
俺の言葉に、千景さんは含みを持った相槌を打った後、こう言った。
「貴女もなかなか大変よね」
「……そりゃどうも」
まさか、同情されるとは思わなんだ。
「……そうだ。貴女に渡したいものがあったのよ」
千景さんは、ハンドルを握ったまま、アウターのポケットに手を突っ込む。
「渡したいもの?」
「そう、これよ」
千景さんの懐から出てきたそれは、手帳だった。
「なんだこれ?」
「生徒手帳よ」
「生徒手帳……? なんで……?」
俺が思わず尋ねると、千景さんは当たり前のように言った。
「貴女には、これからその学校に編入してもらうから」
……は?
なんで俺が学校に?
「魔法少女はもれなく怪異対策課が運営してる学校に入学して、そこで魔法の訓練を受けるの。……って、言ってなかったっけ?」
……全っ然、初耳なんですけど。
渡された生徒手帳には、『翠桜華女学院』と印字されていた。
この学校って確か……最初に千景さんと会った時、間違ったとか言って引っ込めた名刺に書いてあった……。
……ということは、千景さんが学院長なのか?
俺は、生徒手帳を1ページめくった。
そこには、女の子の写真が印刷されていた。
……ってこれ、俺じゃん。
この前、訳も分からず撮られた写真がそのまま使われていた。
お陰で顔が微妙に引き攣っている。
この為の写真だったのか……。
「魔法少女の正装――その制服がそのまま学校の制服にもなるから。編入初日までに汚したら殺すわよ?」
いや、こえーよ。
……でも、どうりで魔法少女らしくない格好な訳だ。
学校の制服みたい――ではなく、マジで学校の制服だったということか。
そしてそのめちゃくちゃ写りの悪い写真の下には名前が書いてあって――。
芹澤悠里――。
――どうやらそれが、俺の新しい名前らしかった。
◇◇◇
「――……ところでこれって、どこに向かってるんだ?」
車はいつのまにか山道に入り、急カーブの斜面を乱暴な運転で駆け抜けていた。
千景さんと合流するや否や車に乗せられた俺は、未だにどこに行くのかすら聞かされていなかった。
「ああ、ごめん。言ってなかったわね」
そう言って千景さんは、横目で俺を一瞥した。
「――貴女にはこれから、怪異と戦ってもらうわ」
……え?
うええぇっ!?
「いやいやいや!! 俺、まだ魔法の使い方もロクに分かってないんだぞ? いきなり戦ったって何もできないって!!」
「まぁ、確かに……普通は訓練を積んでから実践に挑むものなんだけどね」
「じゃあなんで!!」
「悪いけど、ウチの課には優秀な人材をそのまま遊ばせておく余裕はないの。貴女みたいな、高い魔力の素養をもつ人間なら尚更ね。だから、実践経験を積んで早めに成長してもらうことにしたの」
いや、言ってることめちゃくちゃじゃねーか!
いくら魔力が大きいからって、使いこなせなくちゃ意味ねーだろ! 何もできずに怪異に踏み潰されるのが関の山だって!
「不満顔のところ申し訳ないけど、そろそろ着くわよ――怪異の出現ポイントにね」
そう言うのと同時に、千景さんは大きくハンドルを切った。
その反動で身体が引っ張られる。
「うおっ……!? ……ぶふぉぁっ!!」
反動で大きくよろけた俺は、そのまま車の窓ガラスに顔を押し付けられるような格好になってしまう。
「……何遊んでんのよ。この車結構高いんだからね? 汚したら殺すわよ?」
くぉのアマぁ……。
最初に会った時からずっと運転荒いんだよ!!
「……!!」
だが、そんな感じで窓ガラスに張り付きながら、窓越しから俺が見たもの。それは――山肌の隙間から顔を出し蠢めく、巨大な黒い影だった。
「――あれが……怪異」
それは、以前見た怪異の姿とは全く違っていた。
鳥のような大きな翼が生えていて、縦横無尽に空を飛び回っている。
だがその禍々しさは、一般的な鳥類とは似ても似つかない。
目が顔面の中央に一つだけ配置されており、それがぎょろりと周囲を睨み回していた。
そして何より、遠目から見てもハッキリと輪郭がわかるほどの巨体……。
……ちょっと待って。あれホントに倒せんの?
千景さんもその姿に気付いたのだろう。口元を僅かに綻ばせる。
「――お出ましのようね。さぁ、飛ばすわよ」
え?
これ以上飛ばすんですか?
「歯を食いしばりなさい。じゃないと、舌を噛んでも知らないわよ?」
いやちょ、ちょっと待っ――。
――ギュウウウウンッ!!
唸りを上げるエンジン音と共に、俺の記憶は一旦そこで途絶えたのだった。
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