序盤、
学校から帰るとランドセルを机に放り投げゲームの電源を入れ、テレビの前に腰を下ろす。タイトルが流れ効果音がなる。ここではない、俺だけの世界。俺は勇者である。広い世界を旅して、仲間と共に駆け回る。楽しい日々、もしこんな世界が本当にあったら。
俺はいつから夢をあきらめたんだろう。
社会人三年目、大学からの友人は働き始めて一年目にして会社を辞めた。今は売れないバンドを結成したとだけ連絡が入った。満員の電車に乗る。着慣れてしまったスーツに身を包み、目を一度閉じる。汚れた眼鏡を拭き、かけ直し、ため息をつく。ホームで降り、乗り換えのために町へと出る。街中の広告は明るい色使いで夢を見すぎたコンセプトが乗せられている。
「お兄さん…聞こえてるの?」
「?俺か」
黒髪に大きな瞳、セーラー服を着た清楚な少女がじっと見ていた。
「落とし物!ほら早くとって、電車乗り遅れちゃうから」
「ああ…ありがとう」
清楚な見た目に反しよくしゃべる。陽キャの類なのか。渡されたのは定期入れだった。落としていたらかなりまずかった。
「お兄さんはこれから会社?」
少女と話す非日常はほんの一瞬で、会社に行って働く、残業をして満員の電車に乗るのだろうな。残り物の味噌汁をすすり、適当に炒めたものを食べる。想像するだけでもつまらない日々だ。
「まぁそうかな」
「渋谷とか?」
「新宿だけど」
遅れるといっていたくせにガンガンに話しかけてくる。今どきの学生は敬語も知らないのか。
「いいな都会」
「空気は汚いし、川は濁っている緑なんてどうせ人工物だ」
「嫌いなの?」
「遊びに行くならいいけど、働きに行くとなると別だね」
「ふーん。なるほどお仕事頑張って。もう行かなきゃ」
「ありがとう。久しぶりに会社以外で話したよ」
少女は首を傾げてからニコリと微笑む。
その時だった。
大きな音。緊急アラートかと思ったがそんなものじゃない。これはまるで雄たけび。
「何今の」
「外からだ」
二人は聞こえてきた方向を見る。まるで絵巻物にでも出てくる龍のような長い体、シュっとした顔立ち。青い体は鱗を纏い、悠々と飛んでいる。
「わー、ドラゴンだ」
ドラゴンというと西洋の生き物をイメージする。バハムートも個人的にはこのイメージに含まれる。そのため、和や中の生き物は勝手に『龍』と呼んでいる。
「龍だな。にしても突然何なんだ」
「イベントとかじゃないよね」
「まず平日の朝にイベントなんてあるのか。あんな大規模なら事前にポスターなり広告があるだろう。それに、どうやってあんなものを上げるんだ、ドローンにしても動きがなめらかすぎるだろ。映像を映すにしては規模がでかすぎる。」
上に気をとられて見つめていたが後ろを振り返ると、得体の知れない生物に驚き悲鳴を上げる人、腰を抜かす人、慌てて電車に駆け込み逃げようとする日常ではありえない人々の姿があった。普通ではない。出勤ラッシュに千葉方面のホームに人があふれる。二人は目を合わせる。少女はにこりと笑って口にする。
「俺たちが行かないでどうする、敵に背を向けるな」
「なんだそれ」
「知らないの?今はやりのゲーム」
少女は近くにあったポスターを指さす。ファンタジー作品だろうか。男のエルフが剣を掲げている。The beginning of new worldとタイトルが書かれている。
「男のエルフか」
「女の子だけなわけないじゃん。最近多いんだよ。ほらエルフって細身でかっこいいイメージあるじゃん」
「残念だがPS2までしかゲームはしていない」
「いま5世代だよ」
「お前、2は神作品が多いんだ」
「でも画質悪くない?」
少女は龍に向かって歩く。引き留めようとしたが、触れただけでも犯罪の扱いにされる時代だ。少女の隣を歩く。
「なにーお兄さんも実は興味あるんじゃない?」
「馬鹿を言うな。今すぐ戻るんだ。ほら、学校に行くんだろ」
「こんな時に学校あるのかな」
少女はスマホを取り出しSNSのアプリを起動させる。最新の情報を確認すると、龍の写真がいくつもあった。
「『東京駅の真上にいるーでかーい』だって」
「もっと詳細を書いているやつはいないのか」
「『東京駅周辺、ビルに苔のような植物が生えている。ところどころ建物が倒され緊急避難』なんで避難しているのにこんなの書く余裕があるのだろう」
「それは思うが、今は情報が欲しい。」
確かに彼女の言うとおりだ。例として交通事故が起こった際、記者たちが目撃するのはブルーシートで隠された事故現場である。しかし、一般人のSNSから持ってきた画像には大体つぶれた車や血痕のついた地面の写真があげられる。なぜ緊急時にそんなものを撮る余裕があるのか。
「情報が欲しいって、やっぱり行くつもりじゃん」
「会社にな。社会人は簡単に休めないんだ。学校から連絡は?」
「都内じゃないからな……ねぇ、ここは千葉県だよね。東京に近いといっても千葉だよね」
「いまさらなんの確認だ」
「だってあの龍、千葉から見えているんだよ。」
あまりに大きいからわからなくなっていた。千葉県から東京駅の上空にいる龍がはっきりと見えているのだ。あんなに大きいと騒がれた東京スカイツリーよりもくっきり見える。
「国立競技場よりでかい?」
「普通は東京ドームとかじゃないのか?…一つの区と同じサイズかもしれない。」
「東京駅って何区?」
「千代田」
スマホのバイブ音が鳴る。画面を開くと通知が一斉に来ていた。『東西線は東京駅に出現した未確認生物による安全確認の影響で全線運転を見合わせています。』『中央総武各駅停車は東京駅に出現した未確認生物による安全確認の影響で全線運転を見合わせています。』『総武快速は東京駅に出現した未確認生物による安全確認の影響で全線運転を見合わせています。』普段利用する電車の運行情報が一斉に来る。サイトに入ろうとしたが、サーバーがパンクしかけているのか一向に読み込めない。白い画面を見つめていたが、再読み込みをしろと表示されたため使えないスマホをポケットにしまう。
「東京都に緊急避難勧告だって。」
「緊急避難勧告ってそんなにすぐに出せたんだな。」
「これはもう少し近くに行ってみてみたいな」
「避難勧告が出ている。すぐに関東一帯にもでるはずだ。それにあの龍が千葉県に移動した場合、後ろには海しかない。早く逃げるべきだ。」
少女は再びスマホを見る。嫌がってスマホを閉じるかと思い、画面をまじまじと覗いてやる。学校が休校になった。最善の行動をとれと記載されている。何をすればいいのかはアバウトすぎてわからないが、彼女がしようとしていることは確実に違う。
「ほら、帰るぞ」
「電車が止まってるのに?それに帰りたくない」
自分は男子校に通っていたため正直中学、高校の女子の実態は詳しく知らないが反抗期なのだろう。そのうえ、人と違う行動をするとかっこいいとか思っているのかもしれない。
「あんな家帰りたくないし、どうせいなくても何も言われないし。」
「わがまま女」
「違う、私の名前は花木蘭だよ」
「蘭なんて、性格は反対だな」
「ムーランって呼んで」
「なんでムーランなんだ」
「ほら映画であったでしょムーランって。漢字で書くと花木蘭だから」
「なるほどな。」
確かに蘭ではないが木蘭ではある。
「お兄さんの名前は」
「どうせ明日には知らない人だろ」
「じゃあ仮名でいいから。ムーランっていうのもあらはじでの名前だし」
「あらはじ?」
「The beginning of new worldってゲームのポスター見たでしょ?新たな世界の始まりだから通称あらはじ」
「ユーザーネームってやつか」
そういえばゲームタイトルにもよるが主人公の名前を付けないといけないゲームがいくつかあった。自分の名前が黒崎真だった。だから真って入れたことも黒とかにしたこともあった。主人公はまだしもパーティーとなると大体家族や友達の名前。ムーランなんて俺だったら一生使わないだろうな。
「わかった。トオルだ」
「徹さんなの」
「本名は真だ」
「全然違うじゃん」
違くはない。まこと。真実である。つまり、英語でtrue。トゥルー。→とおるである。
我ながらセンスのない名前である。
「じゃ、とおるさん、ゲームは好き?私の学校あんまりゲームしている人なかなかいないんだよね」
「さっき言った通り、ゲームはPS2までだ。」
「なんで最近はしてないの?結構昔のゲームのリメイク版とかでてきて楽しいよ」
「もう俺の年になると世界を旅することも、救うことも意味がないって気が付くんだよ。」
「あるよ、あいつ倒そうよ。PS4のCM知ってる?なんにでもなれるんだよ」
「それは画面上の話だろ。」
「ARだってVRだってMRだってある世の中なのに。」
ムーランはトオルを無視して進んでいく。知っている。なんにでもなれるって夢見ていた時期が自分にもある。木の棒が剣になったり、路地裏からモンスターが現れたり、ステータスを見ることだって。
「夢と一緒だ。楽しい夢から現実に引き戻された感覚。いつまでもゲームの世界を救っていたのは俺だけだった。周りの奴らは現実を見ていたのにな」
そういいながらムーランを追い越し、龍に向かって歩く。なぜだろう。あいつが現れて混乱が起こっているはずの東京に対し、俺は無敵な気がする。非日常が日常に起こるなら、俺も勇者になれる気がする。あの頃終わった中二病の実は眠っていただけなのかもしれない。
「行くの?」
「あれに会ってどうする」
「それは行ってから考える。だって考えるより行動したほうが主人公っぽいでしょ?」
「俺は冷静なタイプの主人公のほうが好きだ」
ムーランの隣を歩く。東京駅まで何分かかるのだろうか。スマホを取り出し、検索を始める。
「三時間半かかるぞ。」
「遠いな。でも電車動いてないもんね」
道路へ出る。長いこと話していたからか、車も人もおらず、信号機は無視しても引かれる心配はない。ここにいる変人と違い、一般市民はもう逃げたのだろう。二人はのらりくらりと進む。今が秋でよかった。もし夏や冬だったら死んでいたかもしれない。ムーランは自動販売機を見つけ、財布を取り出す。なぜか炭酸ジュースを買いぐいぐい飲む。
「ぷはー、早く東京に行かないと」
「都民はどこに避難するんだろうな。」
「確かにね。」
そういいつつ、携帯を出す気もない。彼女からすれば、周りの人なんてどうでもいいのだろう。今大切なのは、どこにあの龍がいるのかだ。
「川を超えるまでに時間かかるねー。飛んでいけないかな」
「それは不可能だ。」
少女は落ちているたばこの吸い殻を踏み潰す。きれいなローファーは親が用意しているのだろうか。階段を上る。道端に小さな白い箱を見つける。ケーキの入っていた箱の要だ。
「そんなもの持つな。汚い」
「いや、虫はついてない。ショートケーキ」
「後で買ってやるから。」
「高いケーキ買って」
「コンビニのでいいだろ」
「いや」
わがままな寄り道少女と一時間近く歩く。突然走り出しては立ち止まる。迷惑だが、悪気はないようだし自分も嫌な気はしない。大人になってから子供を冷静に見てみると不自然な行動が多いものだ。自分もそうだったのかもしれないと思うと少し恥ずかしい。
「ねえ、やっぱりケーキはいらないからゲームを一緒にしたいな」
「初心者向けのな」
「好きなジョブは?」
「小さい頃は当然勇者にあこがれる。」
「かっこいいもんね」
特に否定もなく、彼女は共感する。本当にゲームが好きなのだろう。勝手なイメージだが、今どきの若い子はゲームをしないと思っていたが案外自分が小さい時と変わらないらしい。
「最近のゲームって3Dが主流だよな」
「まあね、画像の進化と機材の進化。すごい情報量でも処理時間が早くなったからね」
「へえ」
「でも、ドットのゲームは今もあるし、考え方としてはゲームの幅が広がったって感じだよね」
「詳しいな」
「ゲーム好きだから。おいしいものは買ってもすぐに食べてなくなっちゃうけど、小さい頃にやったゲームはずっと覚えてて。」
「食べ物と比べるな。昔から好きなのか?」
「ううん、最近だよ。ゲームをしてたのは小さいころ。お父さんがやってるのを横で見てて。中学の時は友達に合わせないとで、好きじゃなかったけどアイドル追っかけたり、スイパラ行ったりして。さすがに疲れちゃったんだ。」
気ままに生きている人間なのかと思いきや、人の顔色を疑っていたとは。趣味が合わなければ俺ならすぐに縁を切っただろうが女の子だとそうはいかないものなのだろうか。
「でね、友達と遊ぶのキャンセルして久しぶりに暇つぶしにゲームしたら楽しくて。世界観も、ストーリーもバトルも。」