豊海、黄泉の国を行く
上級役人の計らいで、豊海は都一の駿馬を与えられた。初の乗馬に何度も苦労したが、慣れると旅路は快適だった。
黄泉の国への道はわからなかった。しかしキツネからもらったお守り袋が役に立った。正しい道へ行くと光り、誤るとドス黒くなる。常に光る方へと、豊海は馬を進ませた。
都を出てどれほどの月日が経っただろう。やがて遠くに黄泉の国の入り口が見えてきた。崖の壁面にぽっかりと口を開いている。一見普通の横穴だが、そばに寄ると、寒くないのに鳥肌が経立つ。死特有の腐臭が漂い、気分が悪くなってくる。
入り口の近くまで来ると、豊海は馬を停めた。できれば連れて行きたいが、未知の場で馬を守れる余裕はない。
改めて黄泉の国の入り口を見ると、緊張がこみ上げてくる。今にも吐いてしまいそうだ。しかしまだ見ぬ姫の美しさや国中に賞賛される姿を思い描いては、気を引き締める。再度身の回りの用意を整え、豊海は黄泉の国に足を踏み入れた。
黄泉の国の中は、真っ暗で何の光もない。目の前にかざした手さえ見えないほどに真っ暗だ。お守りが光るおかげで、なんとか前進できている。
中は一本道で、まっすぐ道が続いていた。緩やかな下り坂になっており、前進への障害はない。最初は物音一つしなかったが、次第に声が聞こえた。クスクス笑う声から、次第に呼びかける声へ。「こちらへ来い」「楽しいぞ」などと、声たちは豊海を惑わせようとする。豊海はその声に聞き覚えがあった。上級役人の娘にとりついた小鬼たちの声に非常に似ていた。声には耳を貸さずに、豊海はそのまま道を進んだ。
ずいぶん行くと、道が二股になっていた。光に沿って進むと、次第に道は複雑になってきた。もし考えなしに飛び込んでいたら、迷っていただろう。お守り袋のおかげで、豊海は迷わず進むことができた。
しばらく進むと、女のすすり泣く声が聞こえてきた。耳を澄ませても、同様に聞こえる。正真正銘、人間の声だ。きっと姫の声だろう。豊海は歩を速めた。
さらにしばらく進むと、三人の女が身を寄せ合って、すすり泣いていた。佇まいはまさに姫だとわかった。しかし、どれも姿形は同じ。まさか姫が三人いるとは思わなかった。「お前は姫か?」と尋ねると、全員がそうだと答えた。
豊海はほとほと困った。しかし鼻を澄ませると、左右の姫から不愉快な臭いがした。真ん中の姫からは、生命力が香しい匂いが漂っている。
「あなたが本物の姫ですね」
豊海は真ん中の姫の手を取った。姫の泣き濡れた顔が、嬉しそうに輝いた。
その瞬間。他の姫達の顔が、みるみる崩れた。どんどん醜くなり、亡者の顔になる。そして豊海を捉えようと、手を伸ばしてきた。
豊海は咄嗟に偽姫を切りつけるが、どこからともなく亡者がやってくる。後から後から出てきて、きりがない。
豊海は姫を抱きかかえると、入り口に向かって走った。その後を亡者が追う。
行きとは一転、帰りは上り坂。しかし上るほどに地上へ近づくので、道に迷うことはない。黄泉の国から出られれば、亡者たちはそれ以上追ってこれない。豊海と亡者たちの壮絶な追いかけっこが始まった。
豊海は走りに走り、走りまくった。しかし、いかに体力にあふれた若き豊海といえど、姫一人を担いでの全力疾走は、なかなか無理がある。今は距離があるのでなんとか逃げきれているが、いつ追いつかれてもおかしくない。
いつ迫るとも知れないギリギリの状況で、太郎はひたすら走った。振り向く余裕もない。ひたすら出口に向かって走った。自分の息遣いがひどくうるさい。心臓ははち切れんばかりだ。体中が限界を訴える。しかしここで諦めたら、すべてが無になる。一生光の下に戻れないだろう。まだ死にたくない。帰りたい。その一心で、豊海はひた走った。
ようやく光が見えた。出口だ。ようやく生きた心地が戻る。しかし亡者はもう寸前まで迫っている。光を見てほっとしたせいか、豊海の気が緩んだ。その時、亡者の指が豊海の背に触れる。
しまった。そう思った時には、もう遅い。
しかし亡者が触れた瞬間、バチンと鋭い音が鳴った。一瞬にして周囲は強い閃光に包まれた。後方から亡者たちの断末魔が聞こえる。しかし、豊海には何の影響もない。
「今だ!」
これ幸いとばかりに、豊海は最後の力を振り絞る。そして光の差す世界へと飛び出した。
亡者の追走は終わった。後方からは亡者のうらめしい声が聞こえる。豊海は馬に姫を乗せると、全速力でその場を離れた。




