豊海、病を斬る
翌日。その日も豊海は考えていた。役人になるには、どうしたらいいだろう。誰か聞ける人がいればいいのだが。
気が付くと、隣でキツネが男物の衣を縫っていた。
豊海の視線に気づいたキツネが口を開いた。
「今日二つ目の頼みをされるでしょう。昨日と同じように弓を持ち、昨日と同じ場所に立っていなさい。刀もお忘れなく」
豊海は何が起こるかわからなかったが、キツネの言うとおり弓矢と刀を持ち、昨日商人に声をかけられた場所で待っていた。この日も街で弓矢を持っている人はいない。豊海は街並みに馴染んでいなかったが、昨日ほど恥ずかしくはなかった。むしろ化け猫騒動を聞きつけた人たちから、遠巻きに尊敬の眼差しを送られた。
少し経つと、昨日の商人がやってきた。
「これはこれは。昨日はありがとうございました」商人が頭を下げる。
「今日はどのようにお過ごしですか?」
「今日は特に何も決まっていないが」
豊海が答えると、商人は顔を輝かせた。
「もしよろしければ、お連れしたい場所がございます」
深く聞かず、豊海は商品の後に続いた。やってきたのは、大きな屋敷。商人の店よりさらに大きい。商人に尋ねると、都でも有数の上級役人の家だった。まさか役人の屋敷に入れると思っていなかった豊海は、思わずキョロキョロしてしまった。
上級役人である主人はいなかったが、その夫人が二人を迎えた。暗い顔をしていたが、急な来客にも関わらず、夫人は二人をもてなした。出された茶は高級なもので、豊海は人生初の芳醇な茶に感激した。
「この御方は、とても素晴らしいのですよ」商人は豪快に笑った。
「もののけ退治に長けておりましてな。昨日も我が家に出没する化け猫を退治してくださった」
「まあ、あの奇怪な事件を?」
「左様。きっとこの御方なら、お宅の災難も退けてくれますぞ」
それを聞くと、夫人の暗い顔がわずかながらに輝いた。
「それはありがたいことでございます。ぜひとも我が娘を助けくださいませ」
話によると、この家の一人娘が、原因不明の病にかかったらしい。かれこれ一年は床に臥せているという。何人もの医者が診察し、都一番の陰陽師が何度祈祷しても、症状はちっとも改善しない。むしろ体力がみるみる落ち、今ではその命も風前の灯。もはや一刻の猶予もないと医師に告げられたという。
「わかりました。やってみましょう」
話を聞いた豊海は、夫人の頼みを快諾した。病の治し方なんてわからない。しかし昨日もなんとかなった。キツネが言い出したのだから、今回もなんとかなるのだろう。豊海の答えに、夫人は泣いて頭を下げた。
お付きの侍女に連れられ、豊海は娘の部屋へと向かった。近づくごとに、確かに淀んだ空気が充満している。死特有の腐臭がする。豊海はいつでも斬れるように、刀を抜いた。
戸をそっと開けて中を覗くと、十歳ばかりの少女が苦しそうに寝ている。その少女の布団を取り囲むように、三匹の小鬼が車座になっていた。一度化け物を見たせいか、豊海の目には小鬼の姿がハッキリと見えた。
まるで宴会を楽しむかのごとく、小鬼たちは少女の苦しそうな顔を見て笑っていた。その下品な笑い声は、聞こえる者にとっては聞くに耐えない。母娘に聞こえないことが、せめてもの救いだった。
侍女を遠ざけると、豊海は弓矢をすぐ使えるように整え、廊下に置いた。そして刀一つで押し入った。
バンっと戸が開いた音で、あっけにとられる小鬼たち。その隙をつき、豊海は手近の小鬼を切り捨てた。断末魔が屋敷中に響く。小鬼たちの混乱に乗じて、豊海はもう一匹も斬り捨てた。
事態を察知した残りの一匹が、逃げようと廊下に飛び出した。身体は小さいが、小鬼は素早い。豊海が廊下に出た時には、中庭の真ん中を突っ切っていた。
豊海はすぐさま弓を持つと、小鬼めがけて撃ち抜いた。背後から心臓に刺さり、小鬼は一撃で絶命した。影が消えるように、亡骸はホロホロと消え去った。ただ中庭に矢が刺さっていた。
小鬼が消え去ると、土気色だった娘の頬に、ポッと朱がさした。侍女は思わず泣き出し、夫人を呼びに走った。息せき切ってやってきた夫人は、娘を強く抱きしめた。粥を食べさせると、起き上がれるまでに娘は回復した。その姿を見て、屋敷中が祭りのように喜んだ。
その日も太郎は、両手では抱えきれないほどの御礼の品をもらった。あまりに多いので、従者が車で運ばせたほどだ。車で帰った豊海を見て、住職が一番驚いた。
御礼の品は様々だった。食べ物や衣だけでなく、若武者に相応しい鎧や刀もあった。家の主人には小さいが、売れば相当な値になると、もらい受けたのだ。自分たちが使う分を抜いて、豊海は残りを商人に売ることにした。
豊海が品々を眺めていると、キツネがやってきた。ことの経緯を聞くとたいそう喜んだ。
「こちらを頂いてもよろしいでしょうか」
キツネが選んだのは、鎧などの武具一式だった。
「構わないが、もっとお前に似合うものにしたらどうだ。それではまるで、戦に行くようだぞ」
「私はこれが良いのです」
キツネが譲らないので、豊海は手鏡や櫛も一緒に渡した。それからのキツネはちくちくと何かしら手を加えていた。




