豊海、化け猫を退治する
翌日、豊海は自作の弓矢と小刀を持って、中央通りへと出かけた。通りはいつも通りで、立派な身なりの人々が行き来していた。
通りは平和そのもので、弓矢を携える者は一人もいない。豊海は街中にいるのが気恥ずかしくなった。
「こんなことをして、何になるのだろう」
豊海が帰ろうとすると、一人の商人が血相を変えてやってきた。
「もし、そこの御方。平和な世に弓矢を持つ辺り、たいそう優れた武勇をお持ちと存じます。はなはだ失礼ではありますが、力を貸してはいただけないでしょうか?」
「一体どうしたのだ?」驚きのあまり、豊海は思わず尋ねてしまった。
「実は我が家に、化け物が出るのです。黄昏時にやってきては、我が家で一等素晴らしい衣を奪っていきます。都に住む猛者は脆弱で、てんで駄目でした。退治してはもらえないでしょうか」
豊海は迷った。相手はとんだ思い違いをしているし、化け物なんて見たことがない。自分にできるか不安だった。しかし、まさにキツネが言う通りの出来事である。何かあると思った豊海は、その頼みを受け入れた。
商人に連れられてやってきたのは、都一の衣問屋であった。店内にはきらびやかな着物が並び、まさに別世界。自分には縁のない場所だと思っていただけに、豊海は靴を脱いだだけで緊張してしまった。
さて化け物は、どこからともなくぬぅっと現れては、着物を加えて店外に去っていくという。店を閉める混乱時のため、奴の侵入に誰も気づけない。慌てて家人が追うが無駄。一歩店外に出ると、影すら見当たらないという。
豊海は悩んだ。引き受けたはいいものの、どうやって退治すればいいのか。いきなり現れるとあっては、捕まえられるのは着物を掴んだ一瞬だけ。その一瞬を逃さぬべく、豊海は売り場近くの柱に潜み、弓を構えて待っていた。
果たして夕暮れ時。家人が店を片付けていると、チリンチリンと小さな鈴の音が聞こえた。その音はどんどん近づいてくる。豊海にははっきりと聞こえるのに、家人は素知らぬ顔。その音が聞こえないようである。そこで豊海は、この鈴の音が災難の音と気づいた。
豊海は、目を澄ませた。見えぬものが見える目は、久しぶりに使う。使える確証はなかったが、うすぼんやりと茶色い輪郭が見えた。人の子ほどの大きさのある何かは、堂々と正面から入ってきた。そして着物にどんどん近づいてくる。
これが商人の言っていた化け物かと思った豊海は、力いっぱい矢を放った。途端に耳をつんざくような悲鳴。気づいてなかった家人もギョッとし、何事かと騒いだ。
茶色い輪郭はどんどん明確になり、次第に子供よりも大きな虎猫が現れた。耳まで割けた口には針のような歯が並び、引ん剝かれた目玉は真っ赤に血走っている。眉間には矢が深々と刺さり、掴めない前足で執拗に矢を叩き落そうとしていた。しかし前足が矢に当たるたびにもがき苦しみ、そのまま店外に逃げようとした。
豊海は驚いたのも束の間、ハッと正気に戻り、次の矢を射った。胸元に刺さり、またもや猫のおぞましい悲鳴が上がる。豊海に気づいた化け猫は、豊海めがけて飛びかかった。しかし豊海が一歩速い。三本目の矢が突き刺さった途端、化け猫はパタリと息絶えた。巨体がみるみる縮み、薄汚い茶虎猫へと変貌した。その姿を見て、商人はアッと息をのむ。後で聞いた話によると、店に入り、衣にいらずらした猫とのこと。追い出そうとし、誤って殺してしまったのだ。
豊海は化け猫の皮をはぎ、手早く肉をさばいた。肉を犬に食わせ、皮を寺に奉納した。寺で厚く葬られたせいか、これ以来、衣が盗まれる怪異は消えた。
商人はとても喜んだ。そして厚く豊海をもてなし、両手いっぱいに御礼の品を持たせた。豊海一人では持ちきれないので、店の使用人が街はずれの寺まで同行した。
御礼の品は様々だった。食べ物も衣も、貴族たちが用いる一級品ばかり。自分たちが使う分を抜いて、豊海は残りを寺に寄進することにした。
豊海が品々を眺めていると、キツネがやってきた。ことの経緯を聞くとたいそう喜んだ。
「この衣を頂いてもよろしいでしょうか」
キツネが選んだのは、一番地味な衣だった。
「構わないが、もっと華やかなものにしたらどうだ。それではまるで、男が着るようだ」
「私はこれが良いのです」
キツネが譲らないので、豊海はキレイな衣も一緒に渡した。それからのキツネは、ちくちくと針仕事に打ち込んだ。




