豊海、すべてを知る
逃げたのはいいが、どうすればいいのだろう。下手な人物を頼れば、すぐに宮廷に引き戻される。こんな時、頼れる人は一人しかいなかった。
キツネに会えば、なんとかなる気がした。きっと何か教えてくれる。今までのように、豊海を導いてくれるだろう。豊海は街はずれの寺に向かった。
寺にやってきた豊海を見て、住職はひどく驚いた。当然である、明日結婚を挙げるはずの次期大王がやってきたのだから。
そんな住職はさておいて、豊海はキツネの部屋へと向かった。しかしキツネの姿がない。こんな夜に出かけるはずもない。豊海は寺の隅々まで探したが、キツネの姿はどこにもなかった。
最後に豊海が使っていた部屋を訪れると、キツネに与えた鎧や弓などが、そのまま置いてあった。いや、以前そのままではない。戦いによる傷や痛みは残っているが、磨き上げられ、以前よりキレイなほどだ。このまますぐに戦場へ行けそうなほど、入念に手入れされていた。
鎧を見た豊海は、ふと違和感覚えた。以前は全体を覆うように黒い蔦の模様が入っていたが、今は全く消えている。代わりに、以前はなかった鋭い切り傷が五本、背中側にくっきりと刻まれていた。
まるで人の指の痕のようだ。そう思い、豊海はハッとした。
これは亡者に背中を捕らえられた時の傷だろう。豊海にはちょっとした衝撃であったが、傷は深い。辛うじて衣一枚が繋がっている状況で、鎧を突き破られてもおかしくない傷だった。
豊海は今になって恐怖に襲われた。あの時は逃げることに必死で、全く考えていなかった。だが本当は、とんでもなく恐ろしい事態が我が身に降りかかっていたのだ。しばらくの間、豊海は震えが止まらなかった。
そういえば、キツネはこの鎧は特別だと言っていた。普通の鎧で行こうとして、止められたのを覚えている。きっとこの鎧に刻まれていた模様が、亡者から守ってくれたのだろう。あの時キツネの忠告を聞いてよかった。模様を刻み込んでくれたことに深く感謝した。そしてとめどない愛おしさがこみ上げてきた。
思えば困った時には、いつもキツネがいた。そして言われるがままに行動することで、豊海は大きく成長した。そして自身が望む以上の出世を得た。今の太郎があるのは、全てキツネのおかげである。豊海は今になってキツネの有難さに気づいた。思いつく限りの礼を述べて、キツネを抱きしめたくなった。
しかし、肝心の本人がいない。キツネはどこに消えたのか?
豊海は身につけていた豪華な着物を脱ぎ捨て、部屋にあった装備に着替えた。そして部屋を飛び出した。住職を捕まえると、キツネの居所を吐かせた。
住職は気まずそうな顔で、終始目を逸らしている。
「それが、私にもわかりません」
「わからないとはどういうことだ」
「今朝、気付いたらすでに姿がなかったのです。荷物も全て消えていました」
「しかし、俺の部屋にはこれがあったぞ」豊海は鎧の胸をドンと叩いた。
「はあ。それは昨日、伝言を受けたからです。いつかあなた様が必要とするかもしれないので、残しておいてほしいと。それであなた様の部屋だけは、そのままにしておいたのです」
つくづく頭の回る女だ。きっとキツネには全てわかっていたのだろう。だったらここで待てばよいのに、なぜ消えたのか。豊海はキツネの聡明さに感心しつつも、同時に腹が立ってしょうがなかった。
寺を飛び出す豊海。すぐさま都の外へと向かった。しかし、ふと足を止めた。キツネを追おうにも、どこにいるかわからない。今は南の街道にいるが、他の道から出たかもしれない。都から外に繋がる街道は、複数走っている。西か東か。はたまた北か南か。大街道だけでも四本あり、細い道を含めれば選択肢は無限に増える。
豊海が考えあぐねていると、懐かしい声が聞こえた。追手かと身構えた豊海だが、それは化け猫騒動の商人だった。馬とたくさんの荷物を引き連れ、今都へと戻ってきたらしい。
豊海の顔を見るなり、商人はこれまでの活躍を褒めちぎった。しかし今はそれどころではない。
豊海は強引に商人の話を遮ると、女を見なかったかと尋ねた。どんな女が問われたが、豊海は答えに困った。あんなに一緒にいたのに、どう答えていいかわからない。綺麗な女であることは間違いないが、年の頃もよくわからない。あんなに一緒にいたのに、豊海はキツネについて何一つ知らないことに気づいた。
すると商人は、今日の昼間ですがねと前置きをした上でこう言った。
「南から戻っている最中だったのですが、大陸風の女に会いましたよ。あまりに雅な出で立ちだったので、一人旅するのも珍しいと思っていましてね。でも、もし山賊の回し者だったら厄介ですからね。声もかけずに、さっさと行ってきましたよ」
それは聞いて豊海は、すぐにキツネだと悟った。昼間に会ったということは、もうだいぶ先に進んでいる。今からなら、走ってもたどり着くのに数日かかるだろう。
豊海は商人に馬を買いたいと伝えた。栗毛のいい馬だとかようやく買ったのにと商人はごねたが、金を握らせると、笑顔で手綱を引き渡した。




