豊海、逃げる
その日ずっと、豊海は沈んでいた。縁側に座り、地平線に沈む太陽を見ている。豊海の気持ちは、まるでこの太陽のようだ。朝には高らかだったのに、今では消えてしまいそうだ。
あんなに望んでいた出世なのに、なぜこんなに喜べないのだろう。太郎は今までの頑張りが全て無駄に思えた。
そんな夫の様子を察してか、姫が可愛らしくそばに寄ってきた。どうしたのですかと言い上目遣いに見る様は、それだけで心が癒される。しかし今の豊海は悲しみの中にいるため、姫の可愛らしさによる癒しも、一瞬で消え失せてしまった。
「故郷について考えておりました」
豊海は村での暮らしやこれまでについて、姫に話そうと思った。妻となる女性には、すべてを知ってほしかったからだ。
「私の村はひどく貧乏です。それが嫌で、私は村を出ました」
まだこれだけしか言ってない。なのに姫は、太郎の言葉を遮った。
「ご安心ください。これからは不便な思いなど、二度としなくていいのです。この国の頂点に君臨する大王として、あなたは立派な暮らしをしなければなりません。この国の誰よりも裕福に暮らせますよ」
これで解決とばかりに満足し、姫はさっさと行ってしまった。
取り残された豊海は、言いようのない虚しさに襲われた。さっきまでは最愛の妻だったのに、今では可愛いだけの愚かな女に思えない。優しくされれば誰にでもなつく、犬ころのようだ。きっと救ったのが偏屈な男でも、姫は喜んで結婚しただろう。
俺はあんなアホな女を嫁にし、これから好きでもない国のために仕えなければならないのか。
そう思うと、これからの未来から希望が消えた。明日からの日々が責め苦にしか思えない。
いったい何がいけないのだろう。ちっともわからない。しかし何かを間違えたのだ。原因などわからないが、なんとかしなければ。何もしなければ、未来の責め苦が確定してしまう。
このままではいけない。太郎の心は限界だった。
豊海は身一つで宮廷から抜け出した。ちょうど夕方と夜の境目だったので、豊海に気付く者は誰一人いなかった。




