豊海、宮廷で暮らす
宮廷に戻った豊海は、皇族の居住地を見ているだけで一日が終わってしまった。それでもまだすべてを見きれていない。宮廷とは、なんて広いのだろう。あっけにとられる豊海だったが、すぐに慣れるだろうと思い直した。
翌日になり、いよいよ明日は結婚式である。王位を継ぐのはまだ先だが、豊海は朝から大王につき従い、仕事ぶりを見学した。
大王は毎日は忙しかった。しかもやってくるのは、非常に重要な仕事ばかりである。
代官たちの報告を聞き、それに対して指示を下す。即断即決。果たして大王は考えているのだろうかと疑問に思った。
豊海は不安になった。身体を動かすことは得意だが、考えるのは苦手だ。それが一国のこととなると、責任重大である。この仕事を、自分にこなせるのだろうか。豊海はその疑問を飲み込み、大王の仕事を見ていた。
方々の話を聞いているうちに、豊海はふと自分の故郷を思い出した。普段は遊んでいるように見えたが、代官は納めている地域を隅々まで観察し、報告にまとめているのか。それだけでも、立派な仕事である。
大王ではなく、代官でもよいのではないか。豊海の胸中に、そんな思いが膨らんだ。思えば、自分は国全体を支配したいわけではない。出世したかったのも、貧乏が嫌だっただけ。自分の村が豊かになるなら、それで十分だと思えてきた。
こんなに忙しくしてまで、国のことを考える必要はない。もう少し狭い地域で、もう少し経験を積めばいいのではないか。そして両親を看取った後で、なれるなら大王になったらよいと思った。豊海には最高の計画だった。
「どうだった?」
報告が途絶えると、大王は娘婿に尋ねた。そこで豊海は、さも今思いついたかのように尋ねてみた。
「義父様、代官という仕事は、どれぐらいの地位なのでしょうか。私のいた村にもおりましたが、このように報告に参上していたのでしょうか」
「代官など、下級もいいところだ。今日来た者の下にいるのが、代官である。代官など、私には生涯会えぬ存在だ。全国にいすぎて、名前など覚えていられぬ」
「それほどまでに低い身分なのですね。ところで思ったのですが、田舎出身の私が急に大王の後を継いだとして、無事仕事ができるのか不安です。私自身が代官となり、役人としての作法を一から学びたいものです」
それを聞くと、にこやかな王様の顔から笑みが消えた。
「息子よ、ふざけてもそんなことを言うものではない。お前は旅立つ前、すでに宮廷付の役人であった。代官などよりも、はるかに格上だ。在籍一日だとしても、それは変わらない。それに仕事はすぐに覚えられる。いくら謙遜しているとはいえ、自分をそう貶めるな。でなければ、とんだ大馬鹿ものに姫をやったことになる。なに、お前のような豪胆な男は、すぐに大王としての素質が目覚めるであろう。何も気にせず、ゆったりと構えているが良い」
そう言い、大王はにこりと笑った。その笑みに、今までの優しさは感じられなかった。
しかし、村に帰る希望をやすやすとは捨てられない。他にも希望があるのではないかと、豊海は再度尋ねた。
「私の考えが足りず、大変失礼いたしました。しかし大王には、何よりも広い知識が必要でしょう。全国行脚が必要なのではないでしょうか」
せめて村に一時帰省したいと思い、豊海は提案した。しかし大王はさも愉快そうに笑った。
「それなら心配無用。わざわざ行かずとも、役人たちが報告に来る。だから私は一歩も宮廷から出たことがない。それでも仕事は回っているし、重大な決断が下せているぞ」
「しかし、それは少々飽きませんか? たまには都の外も見たいとは思いませんか?」
「微塵も思ったことがないな。むしろ野蛮な土地へ行くなど、到底考えられない。想像しただけで、身の毛もよだつ。なに、今まで田舎で不便な暮らしをしてきたお前にとっては考えられないだろうが、暮らしているうちに納得できる。宮廷にいれば、この世のすべてが味わえる。ゆくゆくはお前も、宮廷暮らしのの素晴らしさを実感できるはずだ」
豊海は愕然とした。大王とは、決定的に考えが合わない。自分の村について話そうかと思ったが、この人には何を言っても無駄だろう。むしろこれ以上同じ話をして、大王の機嫌を損ねるとまずい。自分だけでなく、下手をしたら村を壊滅するかもしれない。目の前にいる男には、その力があった。




