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春風、あの地平線を越えて  作者: 野良猫 心
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第一章 A~lone 2

父を弔ってから数ヵ月後、楓は父に仕えていた老爺に連れられ大きな屋敷の門の前で佇んでいた。屋敷の主人は筑前黒田藩の藩士

立花重根(たちばな しげもと)だった。

「お嬢様はとても幸運にございますね。立花様が是非にと…。(みなと)様が自害なされて親戚の方々は皆、口を閉ざされてしまいました。各々方も問題事を御家に持ち込みたくはなかったのでしょう」

老爺は小言のように言葉を並べた。そしてハッとした様子で直ぐに頭を下げる。

「いえ、お嬢様が厄介ごとということでは決してございません」

申し訳無さそうに頭を下げる老爺(ろうや)の肩を楓は優しく撫でた。

「いいんですよ。爺、貴方はとても良く仕えてくださいましたから、生前に父はいつも貴方に頼りっきりでしたし、勿論……私も、ね。爺、今までありがとう」

「お嬢様、ご多幸を願っております」

「爺もお達者で……」

楓は老爺との別れを済ませ、門下を潜った。

屋敷の敷地内に植えられた桜の木が腕のように枝を広げては手を拱いている。微風に煽られた枝から薄紅色の花びらがひらひらと舞い落ちてきた。楓がその花びらを拾い上げ息を吹き掛ける。空へと飛び出した桜の花びらは困惑したように再びひらりと表裏を返しては石垣の向こうへと消えていく。その様子を眺めては一抹の不安を抱くのだがその感情は不意に掛けられた声に掻き消された。

「そなたが楓か?」

「はい、立花様」

楓は頭を下げた。

「そう畏まらなくて良い。今日からわしがそなたの父なのだから」

重根は藍色の着流しで立っているにも関わらず気位があり、鼻が高く端正な顔をした中年期の男性だった。

「我が家の桜もそなたの来訪を寿(ことほ)いでおる」

重根は桜が舞う石垣や石畳を一瞥しては柔らかな声色で呟いた。その声に楓はホッと吐息を一つ。父が自害してから半年の間、気が休まることがなかった。何度も見た悪夢。襖から聞こえる呻き声、血の匂い、血溜まりに投げ出された父の体躯。父は何も言ってくれなかった。それが何よりも悔しかった。

「泣いておるのか?辛かったな」

重根に指摘され、楓は自身が涙を流していることに気が付いた。

「いいえ、重根様。此れは嬉し涙に御座います」

楓の応答に重根は驚いたように目を丸くし、直ぐに柔らかな笑みを浮かべた。

「そうか。今日からきっといい日になる」

重根は口元を綻ばせた。コルリ(渡り鳥)の泣き声が色を添えて仄かに香の馨を利いた。今日からいい日になる。楓は本当にそうなるのではと不安は期待にそして確信に変わった。








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