結局
日々は過ぎていく。私は相変わらず包丁にすがっているし、お婆さんは河川敷で暮らしている。ただ、山本さんは、少しずつ少しずつ険しくなっていった。そして私は、萎縮していった。
今日も山本さんはご立腹だ。
「田中さんさぁ、やる気無いんやったら、はよ辞めぇや」
「あの、すみません。がんばります」
豚カツを切りながら山本さんが、退職を勧めてくる。山本さんは器用だ。口も手もよく動く。何が不機嫌になる原因なのか、よく分からないままに、私の口からも謝罪の言葉が自動的に発せられる。私も器用なのかもしれない。とりあえず心の中で山本さんを殺してみても気分は晴れない。
「ほんまに要領悪いなぁ」
「すみません」
山本さんは、とにかく要領が悪いと責めてくる。私は原因が分からないけれど謝っている。山本さんもなぜ自分が怒っているのか分かっていないのではないかと、時々思う。
特段、大きなミスをしているわけではない。フライを揚げすぎたり、落としたりと言った、食材を廃棄するようなミスもしていなければ、遅刻したりと言ったこともない。とにかく要領が悪いらしい。どうせパートの終わりの時刻になると、掃除ぐらいしかやることがなくなるというのに、何を焦っているだろうか。
「山本さんはいらちやからなぁ」
「はぁ、いらちですか」
鮮魚の高橋さんが深いシワをいっそう深くして嘆くように言った。バックルームには魚の臭いがうっすら漂っている。鮮魚部門の人が来ると部屋中が魚臭くなる。
「なんやら気に食わへんことがあると我慢できひん人らしいわ」
「迷惑な人ですね」
「そうやねん。迷惑やねんなぁ、あの人。前の人も山本さんが追い出したようなもんや。そのくせ人が足りひん、て騒がはんねん。ほんまにややこしい人や。」
どうにも面倒な人と組ませられたらしい。本当に大変なのは店長かもしれないけれど、直近で実際的に面倒なことになっているのは私だ。こんな面倒な人が残って、私みたいな人が辞めていくのだろう。それが社会の常なのだろうか。東京にいたときも、声の大きい威圧的な人が登用されて、大人しい人が割りを食っていた。声が大きい人もよく言えばリーダーシップがあるのかもしれない。とにかく私はどこに行っても割りを食う運命にあるのだろうか。なんともつまらない。
「あんまり真剣にならへん方がええよ」
高橋さんは考え込む私の肩を叩いて、魚の匂いと一緒にゆっくりと出ていった。そう言われてもと思いながら、手にした缶コーヒーをちびちび飲み干し持ち場に戻ろうとしたところで、品出しの大八木さんが出勤してきた。
大八木さんは大学生らしい。短い茶髪は今日もくるくるしていて、整えられているのか寝癖なのかよく分からない。だけど、何となくおしゃれオーラが出ている。
「大八木さん、聞いてよー。また山本さんに辞めろって言われちゃったよー」
「またですか。田中さんはぺこぺこしすぎなんですよ。一回、いわしてやればきっと静かになりますよ。」
「そうなのかなー余計うるさくなりそう。しゃーない切り替えていくかー」
若者に絡んで少し充電できた心をたずさえて、フライヤーのうなる職場に戻っていった。
必ずしも私の要領が悪すぎる訳ではないみたいだけれど、毎回のように怒られると自分が悪いように思えて仕方ない。どんどん自信がなくなっていく。包丁による精神的優位が揺らいできている。山本さんは、目の前の私が自分を刺し殺そう考えていると知ったら、言動を変えてくれるだろうか。だとしたら、包丁を突きつけた方が良いのだろうか。相手を変えようとするより自分が変わる方が早いと言う人もいるが、こういう時はどうすればいいんだろうか。
「ほんまあんたやる気無いんやったら帰りや!」
そんなことを考えている間に、手元が疎かになっていたらしい。
最近パートの帰りに考るのだけれど、包丁は核兵器と同じようなものじゃないだろうか。使用どころか持っていることを匂わせるだけで、イラクの独裁者のように秩序を破壊するものとして断罪されてしまう。仮に使用した場合、その瞬間に全てが終わる。相手は死ぬかもしれないが、私の人生に取り返しのつかない重荷を課してしまう。相手を殺して得られるものと天秤にかけると、使わないと言うそれはそれは現実的な結論にしかならない。私の脳は正常だ。むしろ正常すぎるかもしれない。
包丁による精神的優位など幻に過ぎないのではないか。包丁を持ち歩くことはただリスクを背負っているだけで、なんのメリットも無いのではないかと言う疑念が日に日に強くなっている。包丁によって人並みに生きていけるなんて甘い考えだったのかもしれない。
こんな糞みたいな常識的な考えに囚われているから駄目なのかもしれない。映画や小説の登場人物のように、後先考えずに包丁を振り回すぐらいの破天荒さがなければ、この日本では平穏に生きていけないのだろうか。