雨明けの戦
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
げえ、明日また雨が降るのかよ。ここのところ、降っては止んで、止んでは降っての繰り返し。せめて3日くらい連続で、同じような天気が続いてくんないかなあ。服の準備とかもあるしさ。
天候を上手く生かす術、一般人で心得ている人はどれだけいるのかなあ。悠々自適に過ごすことを「晴耕雨読」と表すことがある。つまりは晴れた日に畑を耕して。雨の日は読書に勤しむというものだ。見方によっては自然の力に従い、逆らうような真似をせずに過ごすことが最善……と説いているようにも思える。
身の程をわきまえている、といえば聞こえはいいんだがなあ。確かに、雨の日ってだけでおじゃんになる作業は多いし、できたとしても効率が落ちる。動きたい、という熱量だけじゃいいものは生み出せない環境。だけど、どうにかこの現実を変えたい! と思っているのさ、今でも。
その原因というか、きっかけになったのがずっと前に聞いた昔話でな。つぶらやの好きそうな話だと思うし、耳に入れておかないか?
戦国時代のこと。夏にあった突然の大雨の中、数人の兵たちが堤の点検を行っていた。
もうじき収穫の時期を迎える。ここで堤が破れて稲をなぎ倒すようなことになれば、民たちにも自分たちにも、たまったものではない。
季節外れの冷たい雨に震えながら、各所を見て回る兵たちのひとりが、あることに気がついた。かぶった笠を持ち上げつつ、空の一点を指さして他の皆へ向けて、声を張り上げる。
そこには、一本の蚊柱らしきものが立ち上っていた。構成する羽虫たちは、激しい雨の中であるにもかかわらず、各々がぐるぐると旋回しながら、少しずつ高くへ上っていく。
そしてその柱は、一本に留まらなかった。少し目を凝らして周囲を見ると、同じような蚊柱の姿が確認できる。ある程度の距離を置きながら。そしていずれの虫たちも、大きく螺旋を描くような軌道で高度を増し続け、見えなくなっていくんだ。
このおかしな事態を、城に戻った兵たちは報告する。城内に同じような現象に出くわした者はおらず、その時は偶然か見間違いということで済まされてしまったんだ。
翌日。雨がすっかり上がり、数名の供を連れて領内の巡察に出ていた家臣が、昨日の蚊柱があった付近を通っていた時のこと。
不意に先頭に立っていた供のひとりが、「うっ」とうめいて、そのまま前へ倒れてしまった。土手沿いの、草がいくらか生えた場所だったこともあり、それらにつまづいたのかと一緒にいる者は思ったそうだ。
だが男はうめくばかりで、なかなか起き上がらない。見かねて他の者が肩を貸すように身体を立たせると、彼の服に血がにじんでいる箇所がある。
上半身に点々と浮かぶ血の染み。脱がしてみると、彼は服の下に針先でつけたような、小さい傷がいくつも浮かんでいたんだ。箇所につき、穴がひとつだけだったり、いくつもの穴が肩を寄せ合うように集まっていたりと、形がばらけている。そして彼は、引き続き自力で立つことができないばかりか、目の焦点が合わなくなり、口の端からよだれを垂れ流し始める始末だった。
いったん寝かせようと手近な木陰へ運び、供のひとりが羽織っていた外套を、敷き物にしようとしかけたところで、やはり同じように倒れてしまう。彼もまた自発的に立ち上がることができず、傷も、続く症状も先のひとりと同じ傾向が見受けられたんだ。
短時間で同じような目に遭う者が二人。偶然で片付けるには、いささか気味が悪い。これ以上被害を出すと、帰還さえも苦労するだろうと、家臣は判断。二人を背負ってその場は退くことにしたんだ。
城内へ戻った彼らが診察を受けたところ、毒のある虫に刺された症状に酷似しているという診断が下される。この話が広がると、蚊柱を見た者は蚊柱のせいだとささやいたが、今日、それらしきものを見た者は一行の中にいなかった。
不可解なことを捨て置くのは危険。そう判断した家臣は自分の手の者に、しばらくの間、あの近辺に留まり、監視を行うよう指示を出す。自分はその間に有識者たちを募り、この度の事態に対する対処法を仰ごうとしたんだ。
監視については、その日のうちから早速被害が確認できた。野良仕事帰りの農民数人に、供たちと同じけが、同じ症状が現れたんだ。それぞれの救助活動を行いつつ、監視役は周辺の地図を広げて、被害者の出た地点を記録していく。
それから数日間、辛抱強く調査をして、黒い目印だらけとなった地図。あらかじめ聞いていた、かの蚊柱が立った地点と照らし合わせると、実に8割がたが一致。残り2割にしても、それらのほぼ延長線上に位置するということで、濃厚な関連性がうかがえた。
最初に被害に遭った供の2人はだいぶ快復したものの、まだ手足の先にしびれが残り、ろれつが回らない時がしばしば。早急な解決を図りたいところだが、有識者のひとりが告げる。
彼は過去に同じような事象に遭遇したことがあり、その時の原因は戦だったというんだ。
「戦と申しても、我ら人が繰り広げるものとは違います。虫たちによる戦ですな」
彼が話すに、皆が見た蚊柱は、雨の日でも立つことのできる、彼らなりの「のろし」。近々、虫同士の戦があり、虫たちの気が立っているのだというんだ。
「お疑いになるお気持ちもわかります。わたくしめも、実際目にするまでは信じられませなんでしたからな。恐らく近日中、かの場所で虫同士の激突がありましょう。興味がおありでしたら相応の準備を整え、その場に向かわれれば、わたくしめの言葉、きっと信じていただけましょう」
かの有識者は、極力、そこへは近づかないのを最上と述べた。それでも詳細を見たければ、鎧直垂に身を包んだ上、すき間を継いだり、顔に面をつけたりするなどして、肌の露出を防ぐように、とも告げてきた。
最終的に監視役の中から数名が選ばれ、指示されたような重装備を施した上で、明け方より待機することになったんだ。
そばの土手に潜んでいた監視役たちは、夜明け前に、突如とした虫の音の合唱を耳にする。夜、聞こえてくる延々とした調子で奏でられるものとは違う、短く、何度も発する高い音。恐らくは戦が始まることを告げる合図だった。
この時、監視役たちが待機していたのは、これまで人々が倒れ伏した。草むらを見下ろせる土手の上。そこに這いつくばりながら東西に長い一帯を見つめていたのだが、西の一方の草が、風もないのにさざめき出した。
折よく、差し込み始める太陽の光。その中に、草をなぎ倒しながら西から東へ猛進する、黒い影が見える。目の良いものは、それが無数の虫たちが一斉に動いているゆえだと気づいた。
行軍する虫たちの影は、やがて草むらの中央。これまで多くの者が倒れた地点に着くや、わっと広がって円を成す。ここからは、親指で隠せてしまうほどの緑の一部分を残して、その周りを隙もなく包囲した。
ほどなく、囲っていた円がゆがんだり、整ったりを盛んに繰り返し始める。監視役たちのかぶった面にも、「かん、かん」と何かがぶつかって、弾かれる音と振動が。各々が面を拭い、その手袋の上に乗っかったのは、極細の針たち。その身にはひげ根のような細い毛がびっしりと付いたままで、いかにも虫の肉体の一部であったことをにおわせている。
――こいつが、きゃつらの矢弾というわけか。
監視役たちの面は、目と口の部分のみすき間があったものの、この針の矢ならば簡単にすき間を縫うことができるだろう。監視役たちは両手で隠せるところは隠し、指のすき間からちらちらと、合戦の様子を見届けていく。
どうやら今回は寄せ手側の負けと見えた。一刻あまりの押し引きの末、不意に城を囲む円の一部が離れたかと思うと、空へ飛び去って行ったんだ。その動きに続くかのごとく、包囲は速やかに解かれ、かつての円たちは空へ舞う虫たちと化す。監視役たちの頭上を飛んでいくものもあり、その形はイナゴによく似ていたとか。
彼らがすっかり去った後、あの点に何があるのか確かめにかかる監視役たち。彼らはそこで草の一部を巧みにひねり曲げて作った、城があるのを確認したんだ。児戯の延長とも思える、足の裏で潰せてしまうほどの小ささだが、装いはしっかりしている。
しっかり顔を隠しながら近寄ってみた一人は、たちまち針の矢の雨あられを受けた。手袋にびっしりと刺さったそれは、いくつか貫き通るものがあったらしい。帰還してから間もなく、彼も先駆者と同じ症状に悩まされることになる。
しばらくその場へ近寄らないよう、命を出した家臣によってしめ縄が張られた。それも田んぼに黄金色の稲が実る頃には、針の矢に倒れる者はいなくなり、草の城もまた姿を消していたらしいんだ。