白川麻美の場合 その2
昔から父に何か食べたいものはあるかと聞かれたら、ハンバーグと答えていたと思う。
いい成績を取れたとき、何かのお祝いごと、いろいろな場面でハンバーグが食べたいとお願いしてきた。ただ好物なのかと聞かれれば、正直よくわからなかった。食べたいな、と思うからきっと好物なのだろうと思っていた。しかし、いざ食べに行ってみてもなぜこれを食べたいと思ったのかがピンとこない。それでも父に食事に行くときは、いつもハンバーグと答えていた。
「先輩」
彼から声をかけられて、初めて自分の異変に気付いた。
「あれ……?」
涙。
何故か目から涙がこぼれていた。
偶然いつもの逃げ場所に居合わせただけの彼。なんとなく挨拶をして、なんとなく世間話をして、あとはなんとなく別れの挨拶をしてそれっきり。のはずだった。
彼からの他愛ない問い。私はいつものようにハンバーグと答えた。
「本当ですか?もしよかったらなんですけど」
彼はそういうと弁当箱を開ける。そこにはサンドイッチが詰まっていた。
「ハンバーグ?」
サンドイッチにはハンバーグと野菜が挟まっていた。
普通なら。いつもの私なら。好きな食べ物の話をしていなければ。きっと遠慮していただろう。本当にただの気まぐれ。なんとなく。ハンバーグが好きといった手前。
私はハンバーグサンドを手に取っていた。
「いただきます」
その結果、私は涙を流した。
「先輩、大丈夫ですか?」
彼はこちらにティッシュをこちらに差出し、心配のまなざしを送っていた。
あぁ、そうだ。そうだったんだ。
「ごめんね、なんか……」
涙はすぐに落ち着いた。彼は特に何も言わず、私が落ち着くのをじっと待っていた。
少しためらう。だがちゃんと言葉にしなくては、彼が落ち着かないだろう。
「……私ね、両親が離婚してるんだ」
いきなり何を言ってるんだろう。自分でも思う。
「でね、今はお父さんと暮らしてるんだけど」
それでも彼は何も言わない。変なやつだと思われてるのかもしれない。でも今更とめることもできない。
「お父さん結構忙しくてあんまり一緒にご飯食べれないんだけど、たまに一緒に外食するときはいつもハンバーグが食べたいってお願いしてたんだ」
深呼吸。
「でもね、今日分かった。私が食べたかったのはお母さんが作ったハンバーグだったんだ」
高級なお店じゃなくて。すごいシェフが作ったものじゃなくて。
「家で、家族で食べるようなハンバーグ。口のまわり汚して、よくお母さんに拭いてもらってたの思い出したよ」
顔が熱い。本当に無駄に色々話してしまった。
「ごめんね、変な話しちゃった」
彼は結局最後まで何も言わなかった。ただ静かに私の話を聞いていただけ。
「……じゃあね、ごちそうさまでした」
私が立ち上がろうとした瞬間、彼は焦ったように口を開いた。
「……ウチもです」
ふりかえった私に、彼はまっすぐ視線を向けてきていた。
「ウチは元々関西にいたんですけど、母についてこっちに来ました」
私は言葉を返せずにいる。さっきまでの彼も同じ気持ちだったんだろうか。けれど不快な気持ちはない。
「一緒です」
彼は力なく笑う。
「一緒だね」
悲しみはある。そうであるが故の苦しさもある。
でも、この傷は消えることこそなくとも日々少しずつ小さくなっていく。忘れられない寂しさでも、心の奥にしまっておけるようになる。私達はもう、そのことを分かり始めている。
「先輩、よかったらまた一緒にお弁当食べませんか?」
「…うん、いいよ」
「よーし、気合入れて弁当作らないとっすね!」
そうだ、認めてほしかったんだ。お父さんに。
褒めてほしかったんだ、お母さんに。
思えば変な始まり方だった。
でもこれが私、白川麻美と彼、九条亮二の出会い。