ピザ
店員(俺)・・・・・・・ピザ屋の配達担当。
店長・・・・・・・・・・ピザ焼き続けてウン十年。
運転手・・・・・・・・・笑顔が不敵で得体の知れない男。
後部座席の男・・・・・・やたらと身なりがいい男。
私にとって、ピザは家族円満の象徴だ。ちょうど形も円いから、というのは駄洒落になってしまうのだろうか。帰りが遅くなってしまったとき、お土産としてピザを買って帰ると、家族の機嫌が良くなる。私の狭い世界では、ピザが嫌いだという人間は今になっても存在しない。
それにしても不思議な食べ物だ。私には、チーズ嫌いと、トマト嫌いの知人がそれぞれいるが、その両者ともピザは好物だと口を揃えて言う。あんなにチーズが乗っていて、あんなにトマトソースが使われているのに、である。多種多様な具材をパン生地の上で丸く収めるその姿には、なんとも言えない包容力を感じる。その食材を嫌いになった悲しい過去も、ピザの前では忘れることができるのだなあ。
そんなピザが、しかし実は提供する店側ではとても殺伐としていた時代があったことを読者の皆様は御存じだろうか。かつてピザ屋では、宅配を承った際に「30分以内にお届けできなければ、お代は結構です」という厳しいルールが存在していた。
ピザが流行り出したのがちょうどバブル経済の頃だったから、みんな気が大きくなっていたことも関係しているのかなあ、としみじみ過去を振り返る。
えっ、私自身の過去ですか。いや、目の肥えた読者の皆様にお話しできるようなことはありませんよ。私は現在、葦部李人氏の運転手を勤めさせていただいている。それでいいじゃありませんか。それ以上の面白いことなんてないんですからね。本当ですよ……と、念押しする私である。
*
30分以内に配達できなかったらお代は頂かない。
俺のバイト先は、今時そんな一昔前のルールを掲げている頑固なピザ屋だ。
バブルの頃にただ流行っているからという理由で構えた店だが、店主は元来職人気質な男だった。流行りモノで始めたはずが、いつしか確かにした腕と味を頼りに、その時々の流行でやり方を変えたりしない店になった。俺は詳しいわけではないが、老舗というものは、そうやって生まれるのだろう。
だがいつまでも無料ルールなんてことしてると、悪意のある客にたかられて採算が取れないぞ。口酸っぱく言っているのだが、その度に店長は「そのために幕州くん、君を雇っているんじゃないか」と毎回かわす。
「そんなことより、注文が入ったぞ。君は配達のことだけ考えていればいいんだ。今回も30分以内でよろしく」
店の売り上げに係わることをそんなこと呼ばわりはないだろ。
だがまあ、店長の言う通りだ。
俺がこの『ピザマッド』で働き始めてから、この店が30分以内にピザを届けられなかったことはない。無料サービスの行使を許したことも、もちろんない。
俺は配達専門のドライバー。元走り屋だ。
*
「坊ちゃん、今どこに電話されたんです?」
「ピザ屋さんです、桂藤さん」
「ピザ」
「はい。食べたいなと思ったもので」
「なるほど。ですが、申し訳ありませんが今日は寄り道をする時間的余裕はないんです。ピザ屋さんの方には、キャンセルの電話をして頂いて……」
「ええ。ですから、通り道に届けて貰えるようお願いしました」
「通り道」
「はい、このままちょうど30分進んだ先にある……」
「ちょ、ちょっと待ってください。路上で受け取るおつもりですか?」
「……」
「なに成し遂げたようなお顔をなさってるんです。リスクが大きすぎますよ。それ、本当にお店は了解されたんですか?」
「場所を告げたらOKしていただけました」
「それ、そこに家があると思ってOKしたんですよ! 後から調べて『なんじゃあこりゃあ』って思われてますって、今頃!」
*
住所ではなく、空き地を場所に指定するとは、ふざけた客だ。イタズラかもしれないが、引き受けた以上は愚直に実行しなければならない。文句を言うのは事が終わってから。客商売とはそういうものだ。
残念な話だが、30分以内に到着すればそれですべて解決するわけではない。最初から無料にするつもりで注文をしてくる客は少なからずいる。居留守を使って30分経過するまでドアを開けなかったり、わざと誤った住所を告げて迷わせたり、あの手この手で配達を遅らせようとする。
悪質だったのは、アパートの隣の部屋の番号を騙って、そこの住人と注文したしてないの押し問答をさせて30分経った頃に「こっちだよ何やってんだ!」とさも店側が悪いかのように怒鳴り付ける客。30分サービスが衰退した大きな理由は、急ぎ過ぎて交通事故を起こすかもしれないという社会的配慮だったらしいが、こんな連中を相手にするなんて百害あって一利なし。サービスをやめるピザ屋が多いのも頷ける。むしろ賢明だ。
ここだけの話、うちの店長はピザを焼くことしか頭にないバカだ。バカだから、俺のような札付きを「運転が得意」という一芸だけで雇ってしまう。そんな勤め先を潰されては適わないから、悪意ある客には俺も少々“張り切って”仕事をする。店長の顔に泥を塗らない範囲でな。経歴を走り以外に活かせる数少ない機会なので、俺は正直歓迎だ。
だが歓迎するのは、あくまで「ピザを食おう」という意思のある客とのトラブルだけだ。
後ろから追けてきている、黒塗りのベンツのような相手はお呼びでない。
*
「あっ、坊ちゃん。前で信号待ちしてるあの車。頼んだ店の車のようですよ」
「本当だ。『ピザマッド』ってロゴが入ってますね」
「もしかしてと思って後ろに付きましたが、ドンピシャでしたね」
「まさに注文したピザを運んでいるのかもしれませんね」
「そうですね。このまま降りて受け取れれば楽なんですが――」
「では行ってきます」
「――そんな危ないことしちゃいけませんからねと続けようと思ったんですよ!」
*
黒塗りのベンツの後部座席のドアが開いた。その人物が懐に手を入れていたのを見て、俺は急ハンドルを切って脇道に逃げた。拳銃を撃ってくる――そう直感したからだ。
走り屋だった頃は、『野良スピード狂のメガマックス』で名が通っていた。とは言っても、誰彼かまわず煽っていたわけではない。勝負をふっかけるのは、明らかにスピード違反の速度を出しているマシンだけだ。すなわち、迷惑をかけた相手がカタギではなかった可能性は充分にある。
勝負が原因で、相手を事故らせたことも一回や二回ではない。それが巡り巡って、そのスジの連中に睨まれていたとしてもおかしくはない。わざわざベンツなんて高級車で尾行するのは「心当たりがあるんじゃないのか」という示威行為だと思っていいだろう。それだけのことをしてきた自覚はある。
本当に向こう見ずの、若気の至りだった。まさか将来、まとまった金が必要になったり、その金を稼ぐためには真っ当に働くしかなかったりするなんて、想像もしていなかったからな。
俺を雇ってくれた店長には感謝している。
今更、昔のことで店に迷惑はかけられない。
過去とともに、ここで振り切らせて貰おう。
そう思っていたのに、バックミラーに再びベンツが映り込んだ。目にしたとき、胸のあたりが冷え込んでいくのを感じた。黒塗りのベンツが、俺の過去そのものに思えた。
*
「あれー何だか、全然違う道を行きますね」
「私たちのピザ担当ではないのでしょうか」
「うーん、でももしかしたら別の配達のためにコースを外れているのかもしれないし、もう少し追いかけてみましょうか」
「時間は大丈夫ですか?」
「何とか時間通りに到着するように調整します」
「いえ、そっちではなくピザの30分の方の……」
「だと思いましたよ!」
*
不意を突いて尾行を撒いたはずが、あのベンツの運転手、俺の後ろにぴったり付いてきたっていうのか。いったい何者なんだ。
そういえば……さきほど、ベンツの後部座席から出て来た男。チンピラにしてはいやに身なりが良かった。あれがそのスジの中でも地位が上の者だとしたら、腕の立つドライバーを抱えていてもおかしくはない。過去の俺は、“上の者”が出張ってくるほどのことをしでかしていたというのか。
仕方ない。追われる立場というのは慣れてはいないが、勝負をかけるしかない。
30分以内でベンツを撒いて、ピザの受け渡しの場所へ行く。
冷え切った心を、使命というエンジンが溶かした。運命とあれば心を決める。この仕事を成し遂げて、俺はそっとしておいてもらえる時間を取り戻すのだ。
どこまでも追って来るというのなら、どこまでも走り続けてやる。過去と現在のデッドヒートだ。
*
「ぐんぐん速度上げてますね、あの車」
「そうですねえ」
「桂藤さん、行けますか?」
「問題ありません」
「だいぶ曲がりくねった道を行くみたいですけど」
「経験があります」
「今更ですけど、私、運転中に話しかけてて大丈夫なんでしょうか」
「構いませんよ。ただ、舌を噛まないよう気を付けてくださいね」
「ああ……では今は何も食べない方がいいんですね」
「ちょっと坊ちゃん、これからピザ食べようって人が何言ってるんですか」
「あっ、そうでした。いやあ、ついうっかり」
「あははははは」
*
ここまで焦燥感を抱きながら走るのは初めてだ。
腐っても『野良スピード狂のメガマックス』と呼ばれた男。走りにはそれなりに、いや、多大な自信があった。なのにあのベンツは何だ。ぴったりついてきやがる。しかも一定の車間距離をキープしながらだ。間違いなく、その計算をする余裕を持ちながら運転をしている。
走れば走るほど、彼我の力量差を実感してしまう。あの運転手はきっと、いつでも俺を追い抜けるのだろう。そして回り込んで停車させ、足を止めたところを始末する。それをしないということは、俺がミスをするのを待っているのだ。手を汚すよりは、交通事故で自滅してくれた方が都合がいいだろうしな。
メガマックスの最後が、こんなものかよ。
俺が培ってきたものはいったい何だったんだ。
いや……。
俺が培ってきたものは、逃げるためのものか?
違う、そうじゃない。
俺はいつだって、誰かを追いかけてきた。振り切るのではなく、追いつくために走りを積んできたんだ。いつだったか、店長が言っていたことを思い出す。
「俺は流行に疎くてな。ピザ屋を始めた時点で、流行を読む力は使い果たしたんだろうな。本当に美味いピザってのを追いかけるのに忙しくて、もうすっかり取り残されちまったよ」
いつまでも店のスタイルを変えない店長のことを、時代の変化から逃げているだけだという者もいる。それを聞く度に「それは違う」と感じていた。逃げているんじゃない、追いかけているものが違うだけだ。
その頃、重ねてきた悪行にしっぺ返しを味わった俺は、この店のために俺ができることは何だろうと本気で考えるようになった。これまでの過去をなかったことにするのではなく、活かす方向で、精算する方法を追いかけ始めたんだ。
そうだ。
俺は過去から逃げてなんかいない。
とっくの昔に、向き合う覚悟を決めていたはずじゃないか。
ここで、俺よりも上手のドライバーに出くわしてしまったのも、何かの運命かもしれないな。肩の力が抜けた瞬間、30分なんてかけるまでもなく、ピザの配達先である空き地に辿り着いた。さすがにここを素通りするわけにはいかない。俺はブレーキを踏んだ。自らの覚悟を確かめるように、何度も、何度も。そういえばポンピングブレーキなんてものを覚えたのも、ピザマッドのバイトを始めてからだったな。
*
「あ、指定場所に着きましたね」
「やっぱり私たちのピザを運んでらしたんですね」
「私たち、と言ってますが坊ちゃん、お一人で召し上がるおつもりでしょう」
「そ、そんなことありませんよ?」
「まあいいんですけどね。それでは、ちょっと声をかけてきますね。名乗り出ないと、注文した者だとわからないと思いますから」
「でしたら、せっかくですから私も降ります。お礼を申し上げたいので」
*
こちらが車を停めると、ベンツからも二人降りてきた。不敵な笑顔の運転手と、いかにも上に立つ者といった様相をした後部座席の男。その他に、ピザを頼んだ客の姿はない。やはり、ただのイタズラだったのか。最後くらい、ちゃんとした客にピザを届けたかった。
俺も車を降りた。
追いかけてきた男たちは「すみません、ここでピザの受け取りを注文した者です」と名乗った。そういうことか。俺の中ですべてが繋がった。イタズラなどではなかった。すべては、俺を人目から隔絶されたこの場所で始末するために、入念に練られた罠だったのだ。
後部座席の男がまた懐に手を入れる。笑っている。こんな表情で拳銃を扱えるなんて、とんでもない奴の逆鱗に触れちまったみたいだな。しかし、ピザマッドとは関係のない場所で始末してくれるのは、ある意味、慈悲と受け取ってもいいだろう。運転手の方には同じ走り屋同士で話が通じそうだし、店に手を出すのはよしてくれるよう頼み込むことにしよう。
観念した俺は、冥途の土産にと質問をした。
「……受け取り場所にここを指定したのは、俺をおびき出すためか?」
運転手と後部座席の男は顔を見合わせ、声を合わせて、
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> いや、べつに…… <
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運転手はピザを受け取ると、「もう二度としないでくださいね」と後部座席の男に注意して、何度も何度も頭を下げてから走り去って行った。後部座席の男が「はい、すみません」と謝りながらも凄く嬉しそうにピザに釘づけだったのが印象的だった。
それと、ベンツに乗り込む前に、後部座席の男が「わがままをきいてくださり、ありがとうございました。本当に食べたかったんです。いただきます」と、丁寧にお礼を述べた。
誰もいなくなった空き地で、俺はただぼんやりとしていた。これからのことを考えたかったが、何も頭に浮かばない。久しぶりに全力で車を走らせた高揚が抜けきっていないのだと気づくまで時間がかかった。感覚を忘れるほど、長らく味わっていなかった快感。思い出してしまった俺は、これからどうすれば――
電話がかかってきた。
店長からだった。終わったならすぐ戻って来いという内容で。
そうだな。
仕事しないと。
ようやく、過去と現在がひとつになった。そんな気がする、俺である。
ピザです。いつもとは違う感じにしてみました。
なお、私はチーズ嫌いですがピザはOKな人種です。




