お好み焼き
李人氏(葦部李人)・・・御曹司。解決策は未来を手探る世代。
私(桂藤さん)・・・・・運転手。解決策は経験に求める世代。
娘・・・・・・・・・・・桂藤家長女。さとり世代。
まずは、まだ何者でもない生地を、アツアツの鉄板に垂らす。
ほどよく円く広がるようにおたまで生地を広げる。
その上に具となるものを乗せていくわけだ。私はまずキャベツから初めて、肉は上の方に乗せるやり方を好んでいる。まあ、私はそうだというだけの話だ。どう作ったっていいじゃないか、だって「お好み」焼きなんだから。
と、無駄口を叩いている暇はない。敷いている生地が焦げる前に、具の上に生地をかけなければ。まんべんなく。これが意外に難しい。
さあ一世一代の見せ場。いざ、ヘラを構えてひっくり返す!
あ、読者の皆様。こんなことしながらの挨拶で申し訳ない。
ところで、いかがだろうか。
ひととおり、お好み焼きの焼き方をやってみたのだが。すでにおわかりいただけているとは思うが、この「お好み焼き」は、今まで李人氏が召し上がってきたものとは明らかに違う点がある。
食べるまでの、客サイドの負担が大きいのだ。
なんといっても作るのは客の方なのだから。
ここまで手間のかかるものを、読者の皆様は「軽食」と呼べるだろうか。皆様もお好み焼きを食べに行く際は、ちょっとだけ気合を入れて臨まれるのではないだろうか。
少なくとも私は、今回、妙に気合を入れてしまった。それが吉と出たか凶と出たか実際に読んでいただければありがたいと思うことにして、皆様と話し込んでいる間にさっき焼いていた私のお好み焼きをご覧いただきたい。黒焦げである。
たとえ読者の皆様と言えど、訴訟も辞さない私である。
*
「お父さん、それ、焦げちゃうよ」
娘の声で我に返る。指摘通り、私の目の前でお好み焼きはいい焼き具合になっていた。おかげで何とか煙を吐く前に皿に盛ることができた。
自宅からそう近くもなく、かといって遠いわけでもない、お好み焼き屋に私たち親子はいる。娘の部活が遅くまでかかったので、迎えがてらふたりで夕飯を済ませて来ると家内には言って出て来た。しかし、こういう言い方をするのは難だが、その行動には下心がある。それはおいおい話そう。
「危ないなあ、ボーっとしちゃって。どうしたの」
「ちょっと読者の皆様とひと悶着……」
リテイク。
「仕事のこと考えてた」
正確に言えば、仕事の合間にとる軽食のこと。もっと正確に言えば、私ではなく後部座席に座る御曹司が召し上がる軽食のことだ。ベンツから降りてしまえば、何でそんなことに気を回しているんだろうと思う。私はごく普通のお抱え運転手の一人として雇われたはずなんだがなあ。
私の事情などどうでもいいだろうが、私は一度、リストラされた身である。そこから死にもの狂いでコネを頼り、運の良いことに日本有数の大財閥、葦部グループに拾われた。そこで御曹司の李人氏の送迎を担当したことで、黒塗りの高級ベンツの中でジャンクフードを(李人氏が)食べる習慣が始まったわけだが……。
「やっぱり上流階級の人たちとは合わないって悩み?」
「いや、別に……」
_人人人人人人人人人人_
> いや、べつに…… <
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「私にはフキダシ出さなくていいだろう!?」
「悩んでるなら、わたしじゃなくてお母さんに言いなよ」
「それは……」
「まだ言ってないの? 早い方がいいと思うなー」
お察しいただけただろうか。
私は、今は葦部財閥で運転手をしていること、ひいては、そもそもリストラされたことを妻に話していない。言いそびれたというか、バレる前に再就職をキメて事後報告をしようと思っていたら、思いもよらないところに雇って貰ってしまったので、言い出しにくくなってしまったのが現状だ。
なお、娘はそれをすべて見抜いていた。
すべて見抜いた上で、自分から言った方がいいと妻には黙ってくれている。我が娘ながら、聡い子だ。
そして私が今日、仕事のことで愚痴を言いたくてお好み焼き屋に誘ったこともお見通しのようである。こんなに鋭くて嫁の貰い手は大丈夫だろうか。私が若い頃は、ちょっと抜けてるくらいの女の子が人気だったと思うのだが。
そんなことはどうでもいい。そんな話はしたくない。
じゃあ嬉々として愚痴を話したいのかと言えば、決してそうではない。
「実は……」
それでも、情けなくも語らずにはいられなかった私である。
*
ここ数日、私はいかに李人氏の興味を「お好み焼き」から逸らすかに腐心していた。
お好み焼きが、李人氏が食すべき軽食ではないと判断する点は、以前にも申し上げているが「時間がない」という理由に尽きる。分刻みのスケジュールが約束されている李人氏には、お好み焼きが生地の状態から焼き上がるまで待っている余裕などないのだ。
私も、その他に手を打たなかったわけではない。スーパーの惣菜コーナーにお好み焼きがないかと探してみたが、間が悪いのか置いていなかったり、レジ精算に時間がかかったり(決して悪く言うわけではないが、大量に買い込む先客を待っているほど時間がないのだ)して、これはもう縁がなかったと諦める段階に入っているのではないかと思い始めて来た次第であった。
真剣に『手で持って食べるタイプのお好み焼き』を求めて名古屋までの寄り道ルートを計算していた私は、次の日の私の手で引導を渡しておいた。もういない。
李人氏は依然としてお好み焼きを所望しているが、実現は難しい。
そもそもお好み焼きは、自分で焼きながら食べることを前提とした庶民食である。李人氏がこれまで召し上がってこられたもののように、すでにできてあるものをひょいと買って食べるというのは、どうも違う気がしてならないのだ。
ならばベンツに鉄板を常設してはどうか。それをナイスアイデアだと一瞬でも思った私は3秒後の私によって始末された。もういない。御曹司に自らお好み焼きを焼かせるなどと、正気の沙汰ではない。御召し物に染みついた匂いで、何を食べていたのか露見してしまう恐れがある。いや、必ずバレる。
そうだ。そもそも、なぜベンツの中などでジャンクフードを食べ始めたのか思い出せ。
李人氏は御曹司となるべく育てられた御曹司。そのプロフィールに「ジャンクフードを嗜む」などという汚点を刻むわけにはいかない。李人氏だって、そう思っているから、私に秘密の共有者になることを提案なされたのだ。
私は、その本道を見失うわけにはいかない。
李人氏は、我慢をしなければならない立場なのだ。ならば、私は心を鬼にして。
「坊ちゃん。大事なお話があります」
「……来ましたか」
両手を組み合わせ、いつも正している姿勢を崩して若干前のめりになる李人氏。これはあれだ。たぶん私が「お好み焼きを食べに行く算段がつきました」と言い出すのを待っているな。完全に勘違いしているな。よもや私がNOを突き付けるとは夢にも思っていないな。胃が痛い。
「桂藤さん。それで決行は、」
胃が痛い、喉が痛い、舌が痛い。けれども私はその言葉を吐き出した。
「坊ちゃん。お好み焼きは……“こんなもの”ではありません」
李人氏。そんな感情をすべて失ったような顔をしないでください。
ハハハ、と乾いた笑いを漏らさないでください。今度は心が痛いです。
「そんな。冗談はやめてください」
「残念ながら、冗談ではありません」
「あんなソースに塗れた食べ物が“こんなもの”でないはずがないではありませんか」
やはりいい着眼点をしている。そうですよね、味の濃い調味料に支配されてるなんて、“こんなもの”の最たる特徴ですからね。
「たしかにソースがべったりのいかにも『何食っても変わんねえ』が口癖の庶民が好みそうな濃い味付けの料理ですが。お好み焼きは、軽食ではないのです……!」
鉄板の前にどっしりと構えていなければならず。
テイクアウトも、気軽に片手で食べることすらできない。
それは、決して、軽食ではない。
*
私は、お好み焼きを召し上がることを何卒諦めていただけないかと李人氏に懇懇と申し立てた。李人氏は無言で私の話を聞いていたが、最後には「わかりました」と同意してくれた。
ハンドルを握りながらの、決して目線を合わせることのなかった説得だった。しかし、これまでこなしてきたどんな土下座よりも緊張した。私の心労の甲斐あって、お好み焼きの件は片付いたのだ。
「何も片付いてないじゃん」
全否定から入る娘である。
「片付いてると思ってるなら、わざわざお好み焼き屋に連れてくるはずないじゃん」
「それは……」
「それは。お父さんが何かしら思うところがあるってことじゃん。そうでしょ?」
「いや、別に……」
_人人人人人人人人人人_
> いや、べつに…… <
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「もういいから!?」
「仕事のことはよくわからないけどさ」
そういう断りを入れる奴はたいていよくわかっているんだ。お父さん知ってるよ。
「要は、お父さんにとってその人は、わがままを聞いてあげる価値がある人かどうかってことでしょ」
我が娘ながら、なかなかにシビアな物言いをする。人を価値があるかどうかで判断するのはやめなさい、と親として注意したいところではある。しかしこの子は「そんなことはわかっている」という前提を踏まえて、踏み台にした上で、大人の世界に割り込んでくる。こうなってしまうと、立場が弱いのは私の方だ。
「できるだけ、聞いてあげたいとは思ってるよ。今まで、そういうことが許されなかった御方だし」
「じゃ逆に、その人にとってお父さんはどういう人なの」
「どうってそりゃあ、運転手だろう」
「はい出ましたすっとぼけです。ごく普通の運転手として雇われたはずだった、って。否定したのはお父さんです。嘘だと思うなら↑にスクロールしてご確認ください」
本当だった。
「百歩譲って、唯一軽食を食べるのに付き合えるという枕がつく運転手だとしてもだよ。お好み焼きは無理なんだよ」
「それを何とかして食べさせてあげたいって思ってるんでしょ?」
「思ってるけど……あ、思ってるな。うん、思ってるわ」
言われてみれば、確かに。
私は「ここで諦めるのは何かが違う」と、心のどこかで思っている。何かが引っかかっているのだ。散々ぶち当たってきた、お好み焼きは軽食にそぐわないという問題点を解決するための策が、これまでの経験の中に眠っているのではないかと。
『あと、名古屋なら『手で持って食べるタイプのお好み焼き』がありますよーw』
名古屋じゃない。
引っかかっているのはどこだ。時間がかかるところ。テイクアウトできないところ。片手で食べられないところ。かつて挙げた問題点で、私の記憶の中から解消できるものはどれだ。そしてその記憶とは。
『あと、名古屋なら
名古屋じゃない。
なんでこんなに地方ネタがぐいぐい前に出て来るんだ。これは何かの思し召しなのか。
「……地方?」
思わず視線をさまよわせると、娘と目が合った。さては、私がこの結論に辿り着くことまで見抜いていたな。そういう黒幕みたいな真似、お父さん感心しないぞ。
だが、おかげで、初心よりも本道よりも、もっと大事なことを思い出した。
李人氏に“こんなもの”を食べさせて差し上げられるのは、私しかいない。
なんだかスッキリして「すいません、ビールひとつ」と頼みかけたところに娘のチョップが入った。
「こら。車で来てるんでしょ、どうやって帰るつもりだ。こら」
仰るとおり。我ながら、本当によくできた娘である。
*
「……あの。私は市中引き回しにでもされるのでしょうか……」
「えっいや、そんなつもりは……」
翌日。私は李人氏を、満面の笑みでベンツに迎えたつもりであった。そこにこのコメントである。娘にも確認をとったが、やはり私の笑顔はだいぶ不敵らしい。
よもやそれが原因とは思えないが、今日の李人氏は「時に桂藤さん」と、いつもの提案をなされなかった。やはり、私にお好み焼きの件を跳ねつけられたのを引きずっているのだろう。私の笑顔のせいではない。絶対に。
なので、今日はサプライズという体で敢行しよう。私はハンドルを切った。
「桂藤さん、そちらはルートでは」
「まだ時間に余裕があります。ちょっと寄り道していきましょう」
そうして私がたどり着いたのは、とある県のアンテナショップ。李人氏を車内の残し、私は彼のもとにあるものを持ち帰った。他でもない、「お好み焼き」である。それを見た李人氏は、驚きに目を見開き、首を傾げた。
「……これが、お好み焼きなんですか?」
私が差し出したのは、割り箸を軸に、お好み焼きを巻いたもの。
私の故郷では、これを「どんどん焼き」と呼ぶ。
寄り道したのは、私の故郷が出店しているアンテナショップ。ご当地名物を販売しているここでなら、どんどん焼きもあるのではと思ってやって来たのだ。目論見は何とかうまく当たったようだ。
「思っていた形とは、だいぶ違っていますね……」
「ええ。しかし、具材は間違いなくお好み焼きです」
正確に言うと違うのだろう。だが、ここは丸く収めるために話を合わせておいて欲しい。
このどんどん焼きが生まれた経緯は、子どもが食べにくそうにお好み焼きを食べていたのを見た屋台のおやじが、ならばこうすればどうだろうと割り箸に巻いて、ワンハンドスタイルにしたのが発祥といわれている。これによって、お好み焼きはぐっとファストフードへと近づいた。
持ち運べて、片手で気軽に食べられる。
私たちが思い描く“こんなもの”に、より近い形に。
「しかし桂藤さん。お好み焼きはもう無理だと……」
「その節は、申し訳ございません。私が浅はかでした。ずっと昔から、お好み焼きを片手で食べられる方法を知っていたというのに」
若い頃。上京して来てすぐの頃。多少いきがっていたきらいのある私は、どんどん焼きがないのを不満に思い「お好み焼き、食べにくくないッスかあ?」とナマを言っては他の地方出身者とモメたものだ。あまり思い出したくない恥ずかしい過去だから、一緒に蓋をしていたのかもしれない。
そうだ。もともとお好み焼きだって、あちこちに〇〇風という味付けが存在する、どこにでもあるような“こんなもの”だ。割り箸に巻こうが、片手だろうが……食べ方だって、お好みでいいのだ。
「坊ちゃん。これからも、何か“食べたい”と思ったものがあったら、どうか遠慮なく仰ってください。どうすれば食べられるのか、それは私が考えますので」
「桂藤さん……」
「では、例の名古屋の『手で持って食べるタイプのお好み焼き』を――」
「いま絶対にそういう流れじゃねえから!!!」
思わず、素でツッコんでしまった、まだまだ青い私である。
お好み焼きです。
名古屋…手強い相手だった…。