たこ焼き
李人氏(葦部李人)・・・御曹司。失敗は素直に認める。
私(桂藤さん)・・・・・運転手。成功の実感がわからない。
店員・・・・・・・・・・店員。黒塗りベンツに成功の未来を見る。
失敗・・・・・・・・・・成功の母。
成功・・・・・・・・・・一人で大きくなったみたいな顔しやがって。
もしかして、と、ふと思う。
御曹司が庶民の軽食を食べる、というコンセプトからして誤解されている方がいるかもしれないが、私は李人氏に「あれはいかが、これはいかが」と、矢継ぎ早に“こんなもの”を勧めているわけではない。ベンツの中で食事をするのは、あくまで李人氏の方から希望が出たときだけだ。他人に勧める行為としては、車内での飲食はさすがに行儀が悪い。
軽食の選定は、だいたいは李人氏発信だ。李人氏はどこからか“こんなもの”の情報を仕入れてくる。だが稀に、実現不可能では……と思われるリクエストをなさることがある。坊ちゃんそれは無理ですよ、と言いながらも、できるだけ御要望に沿えるような妥協点を提案させていただくのも私の役割だ。
妥協。
読者の皆様におかれては、妥協するにあたって頭を悩まされた経験はおありだろうか。はたまた、妥協などしないという不屈の精神を持った精鋭揃いであろうか。だとしたら頼もしい話だ。
が、しかし。
その「妥協しない」は、本当に正しいものだろうか。すでに失敗しているのに、それを認めずに縋り付いているだけではないだろうか――と、無駄に不安を煽ってみる私である。
*
「あの……何匹分焼けばよろしいでしょうか……」
「あ、1パックでお願いします」
店員に警戒されるのもいい加減慣れてきた。そりゃあ、いきなり黒塗りのベンツが乗り込んできたら何事かと思う気持ちはわかる。しかしどうして誰もかれもが、買占めだと思うのか。本当は、心の底ではそうなることを望んでいるのではないか。
などなどどうでもいいことを考えているうちに焼き上がったブツを受け取り、私はベンツに戻った。後部座席のドアを開け、恭しくビニール袋ごと手渡しする。
「坊ちゃん、お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
運転席に座ると、ちょうど李人氏がパックの蓋を開けていた。ソースの香りが車内に広がる。細かい風味なんて後から味わえばいいからまずはソースで腹を空かしてくれ!という、軽食の在り方を体現するかのような、実に暴力的な主張。それを発するのは、パックに並んで納まった6個の球体。
「これが“たこ焼き”ですか」
今回、李人氏がリクエストしたものは「粉もの」。まさしく“こんなもの”だ。苦しいか。
最初の希望は「お好み焼き」だった。しかし、お好み焼きを気軽にテイクアウトできるような店は、残念ながら私には思いつかなかった。デパート内部の店舗ならばあるいは、という考えがないわけではなかったが、そんなところにまで入って行く時間はない。
結局、出店で考えても圧倒的に数が多いであろう「たこ焼き」をプレゼンして、そちらで手を打っていただいた、というのがこれまでの経緯である。
たこ焼き1パック6個入り。高くても300円までが相場ではないかと思う私である。
「では……」
備え付けの爪楊枝を構える李人氏。爪楊枝って構えなきゃいけないものだったろうか、という野暮なツッコミはしないでおこう。李人氏は爪楊枝を持つこと自体初めてだと仰っていたし。そうでなくとも必殺仕事人ごっこは楽しいし。
今回は食べ方について、さほど指導することもないだろう。私はそう踏んでいたのだが、程なくしてその楽観的な予想は打ち砕かれる。
「大変です、桂藤さん!」
「ど、どうされました!?」
赤信号だったので振り返って確認すると、唖然とした表情の李人氏は、たこ焼きを示した。よもやこんな惨状を目にするとは思ってもいなかった。たこ焼きは、無惨にも皮を切り裂かれ、中身である赤いたこを露出していたのだ。
そうか。「たこ」と「やき」に離別してしまったか……。
「爪楊枝を刺して、持ち上げようとしたんです。すると、表面の皮だけが伸びるように持ち上がって、このようなことに……!」
「坊ちゃん……爪楊枝を刺した瞬間、手応えは感じましたか?」
「……言われてみれば、確かに何の手応えもなかった。ただひたすら、爪楊枝がすんなりと入って行きました。一瞬、具が入っていないのかと……」
つまり、李人氏は刺し所を間違えたのだ。
たこを避けて、皮のみを貫通してしまったために起こった悲劇だ。
我々のような庶民にとってはもはや説明するまでもないことだが、たこ焼きを「たこ」と「やき」に分けず、「たこ焼き」完全体のまま食するには、絶妙な技術が必要とされる。李人氏がやらかしてしまった、皮の部分にだけ楊枝を通した結果、形が崩れてしまうというのは典型的な失敗例だ。
核が存在する場所を的確に見抜き、爪楊枝を刺さねばならない。
「まあ、たった1個だけですし」
私は軽い気持ちで李人氏を慰めた。李人氏もすぐに気を取り直して、再び高い角度で爪楊枝を構えた。もうそろそろツッコんでもいいかと思ったが、仏のごとく三度目までは見逃そうと決め込んだ。
そして。
これが長い戦いの始まりに過ぎないとは、この時は思っていなかった私である。
*
第二次爪
楊
枝降下作戦
顔の高さで爪楊枝を構え、たこ焼きに向けて一直線に下ろす。だが、爪楊枝を操る李人氏の表情には苦いものが混じる。失敗した先ほどと同様に、手応えがないのであろうことはミラー越しでもわかった。
このまま持ち上げても失敗は必至。再度、爪楊枝を投下するも、またも核を捉えることはできなかったようだ。李人氏はお気づきでないかもしれないが、傍から見ればその原因は明白だった。
手が震えている。
李人氏は純粋培養の御曹司だ。失敗をしたことがない、というよりは、失敗を許されない環境にあったのではないのかと私は思っている。そうして育てられたからこそ、緊張で高級料理の味がわからなくても、知識と記憶から味を把握できるという超人的な「失敗しない」能力が身に付いたのだ。
しかし、李人氏は決して、失敗を恐れる打たれ弱い御仁ではない。失敗を認めて、それに立ち向かう「骨のあるやつ」だ。言ってしまえば、いたって健全な感性を持った人物なのだ。失敗を失敗と認識しているからこそ、次に挑むときは緊張もするし、手だって震える。震えていては、手許も狂う――。
「あっ」
何度も、何度も刺していたのが仇となった。ようやく手応えを感じて持ち上げた瞬間、爪楊枝で空けられた穴はじわじわと広がっていき、点を線で結ぶように裂け目が入った「やき」はぱっくりと口を開ける。その中から、爪楊枝の刺さった「たこ」だけが姿を露わにした。
李人氏の二度目の挑戦は失敗に終わった。
「なんということだ……!」
もはやたこ焼きの核ではなくなってしまった「たこ」をぐにぐにと噛みしめて李人氏は悔やむ。その後に「やき」だけ器用にすくって口に運ぶ。李人氏は基本、手先は器用だ。失敗してはいけないという緊張さえなければ、たこ焼きを完全体のまま食べるなど造作もないことだろう。
その緊張を消す方法は、我々庶民の方がよく知っていることだ。
失敗を繰り返して、繰り返して、慣れる。
だが、負け犬になれというのは酷な話だ。李人氏は、御曹司なのだから。
*
第
三
次
爪楊枝降下作戦
たった二度の失敗で、李人氏は目覚ましい成長を見せた。何と三度目は、最初の一手で見事に核を捉えたのだ。基本的なスペックが我々とは違う。やはり、李人氏は生まれついての御曹司だ……!
そして素早く口に運ぶ――いや待て、それはいけない!
「熱ッッ!!」
遅かったか。そう、たこ焼きにはトラップがしかけられている。表面的には冷めたように見えても、中身はアツアツのままだという危険な罠だ。すっかり失念していた。まさに喉元過ぎれば熱さを忘れるということか……そういえば、6個入りを買ったが私はそのうち何個わけて貰えるのだろうか。
取り分の話は置いておこう。
よほど熱かったのか、李人氏は一度噛んだたこ焼きを掌に出していた。球体は破損しており、やはり「たこ」が分離してしまっていた。李人氏は悲しそうな表情でそれをもう一度口の中に入れていた。
*
第 四 次 爪 楊 枝
降 下 作 戦
李人氏は、核の位置を迷うことなく見抜くことができるようになっていた。さすがと言わざるを得ない。プロの庶民ですら気を抜けば失敗してしまう技術を、いともたやすくマスターしつつある。
そして第二関門。口に入れる前に、熱くて火傷するといけないのでふーふーと冷ます。ここまでは李人氏もクリアした。しかし、第二関門の本当の試練はこれからだ。
「あっ」
李人氏も異変に気が付いたようだ。たこ焼きを爪楊枝を刺した状態で長く空中に固定していると起きてしまう現象に。それは、我々が地球で生きている以上、絶対に逃れられない物理法則。
重力に引かれた皮が核から滑り落ちるように分離しようとするのだ。
「くっ……」
慌てて口に運ぼうとする李人氏だが、一歩及ばず。皮は剥がれ落ち、「たこ」と「やき」に分離してしまった。
「また失敗か……」
たこ焼きではなくなったものを咀嚼し、溜息をつく李人氏。
「残されたたこ焼きはあと3個……」
とりあえずその発言で、私に半分残してくれるという発想がないことはわかった。いや別にどうしても食べたかったわけではないが。あとで自分用に買おう。
さて。
私はかねてより思っていたことを口にする決心がついた。先述したとおり、李人氏は緊張さえしていなければ、たこ焼きをたこ焼きのまま召し上がるのは難しいことではない。だから、ここは緊張を解くために魔法の言葉をかけることにしたのだ。
「坊ちゃん。初めてなんですから、失敗してもしょうがないですよ」
失敗したっていいじゃない、初心者だもの。
「ここはひとつ、妥協しては……」
「“妥協”」
おや、と思った。
李人氏の声音が、私が想定していたよりも、ずっと硬いものだったからだ。
「桂藤さんは、私が妥協しない人間だと思っていらっしゃいますか」
「へっ……?」
やっべえぞ。
これやっべえぞ。
どう考えても、機嫌を損ねている。ここでもし「YES」と答えてしまえば、
『その通りです!私は本当に食べたかったのはお好み焼きなんです!今からでもそっちにしましょう!』
なーんてことを言い出したり。では「NO」と答えれば、
『そんな風に思われていたとは……残念です。お好み焼きを食べることでしかこの心の傷は癒えません……』
なーんてことになるかもしれない。どっちに転んでもお好み焼き。私はいったいどうすればいいのだ。
「あの……そこまで悩んでいただかなくてもいいです」
李人氏の方から歩み寄ってくださった。
互いに一度深呼吸して、うっかりソースの匂いを吸い込んで、腹を空かして、気を取り直すために咳払いをしてから話を戻す。あー腹減ったな。
「私は、自分は妥協しやすい人間だと思っています」
しまった李人氏が話し始めた。腹減ってることは忘れよう。
「――って、ええっ!? あんなに御自分にお厳しいのに!?」
「そこなんです」
と、我が意を得たりとばかりの李人氏。私はいい聞き手役らしい。
「妥協とは、他者の意見を聞き入れ、折り合いをつけることです。そう、此度のように、お好み焼きは難しいから同じ“粉もの”という分類のたこ焼きにしようというような……桂藤さんの知識と経験に基づいた的確な指示には、いつも感謝しております」
ありがたいお言葉ではあるが、庶民としての知識と経験って誇っていいものなのだろうか。とりあえずお褒めに預かったので礼はしておこう。
「しかし、たこ焼きをたこ焼きのまま食べられるかどうか。これは、私だけの問題です」
静かに、しかし、力強く主張する。
「自分でしか決められないことに、折り合いをつける……いや、言い訳をつけてできないと決めつけるのは、ダメでもともとという心持ちで臨むのは、妥協ではない。それは、自分を信じられないという、悲しい甘えです」
李人氏は、また爪楊枝を手に取った。
「私は、成功の味を知るまで、自分を諦めたくはない」
*
李人氏は幼少の頃から、御曹司として必要な英才教育を徹底的に施された。いかに生まれついての御曹司と言えども、最初から何でもできたわけではない。失敗して、失敗して、それでも、成功するまでやめることはなかったそうだ。
失敗の苦渋と辛酸を何度も味わったからこそ、成功の甘美もひとしお。それを忘れたくないから、また味わいたいから、完璧にこなせるようになるまで何度も成功を目指して挑戦を続けていた。ダメでもともとでやっていたら、その瞬間を逃してしまうから。
確かに、疑うより信じてみたいものだ。自分を信じてもぎ取った成功の方が、きっといい味がするに決まっている。
だから。
「桂藤さん!核を捉えました!」
「かしこまりました!ですがもうじき股間にヒュンとくるほど揺れる道です、まだ持ち上げないでください!」
「くっ……歯がゆい!ですが耐えます!失敗したくはないので!」
一人で無謀な道を歩ませるのではなく、共に問題に取り組むことで、一人では見つからない妥協点という名の成功を与えよう。まあ今回の場合は、妥協点を探すもクソもない。行く道ひとつ、ただひとつ。目指すはたこ焼きをたこ焼きのまま食するという完全勝利だ。
それじゃ二人でやってる意味ないじゃんというツッコミは聞かない。
「前方、赤信号。停車します。5、4、3……今です坊ちゃん!」
「いただきます!」
まるでスローモーションがかかったような一瞬だった。李人氏が持ち上げたたこ焼きは、爪楊枝を離れ、李人氏の口の中へ。このベンツの中に、成功を信じない者はいなかった。ただ、祝おう。李人氏が「たこ」と「やき」ではなく、たこ焼きとして召し上がるのに成功したこの瞬間を。
成功へと導いてくれた、信じて積み重ねた数多の失敗と共に。
李人氏が嚥下するのを待って、私は声をかけた。
「それで、いかがでしたか。格別でしたか、成功の味は」
「いや、べつに……」
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> いや、べつに…… <
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「ですよね!!」
ところで。
今回、やたら「たこ」と「やき」に分離しやすかったのは、李人氏が初心者うんぬんという問題とは別に、単に皮が薄かっただけじゃないのかと疑う私である。
たこ焼きです。
専門店ほど「やき」の部分が薄い気がします。(※個人の感想です)