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コンビニチキン

李人氏(葦部李人)・・・御曹司。自分にきびしい。

私(桂藤さん)・・・・・運転手。交通ルールにきびしい。

店員・・・・・・・・・・店員。顔出しNG。

はじめてのおつかい・・・おもしろい番組。

スパイ大作戦・・・・・・おもしろいドラマ。

 骨なしチキンのお客様。

 あっ、読者の皆様をディスったわけではないのでブラウザバックはしないでいただきたい。まだ始まったばかりじゃありませんか。あなたはしがない小説のしがない登場人物にディスられたくらいでは動じない骨のある読者様ですよね。いや、ディスってはいないんですが。本当に。

 さて、話を戻して……実際にそう呼ばれているところを見たことはないが、たしかに「骨なしチキンのお客様ぁ!」と威勢よく呼ばれたら喧嘩になるかもしれないパワーワードである。ああ、もしかしたらコンビニチキンに「骨なしチキン」の代わりに店名をもじった変な名前がついているのは、そういった無用なトラブルを避ける意図があるのかもしれないなあとどうでもいい仮説を思いついた。

 そう、今回はコンビニチキンの話だ。

 今や群雄割拠たるコンビニ戦国時代の象徴となったホットスナック。客が来店するなり「揚げたてですよ!」と勧める店員の声にも熱が入る。店の看板を背負うチキンを巡る戦いは、まさにゲキアツ。

 これは、その最前線に身を投じることになった我らが御曹司の、骨太な戦いの記録である――と、言うだけならタダだと煽るだけ煽ってみる私である。


 *


「時に桂藤さん」


 開幕からの話題転換に、戦慄を禁じ得ない私である。

 渋滞に捕まり、なかなか進まないベンツ内でのことであった。渋滞の原因は不明であり、少なくとも運転席から視界に入る情報では、どこまで続いているのか窺い知ることも叶わない。次の目的地までの時間計算が狂い、焦っているところに李人氏の「時に桂藤さん」だ。さすがに軽食を買いに寄り道する余裕はないぞ。

「この前、コンビニで買い物を見学させていただきましたよね」

「はあ。そんなこともありましたね」

「あのとき……ホットスナックの棚にあった、茶色いものは何でしょうか?」

 前の車に動く気配がないことを確認し、私は振り返って応じる。

「坊ちゃん、ホットスナックはたいてい茶色です」

 そんな、知りすぎてしまったような顔をされると、私まで不安になるのでやめていただきたい。いったいどこから、何を差し向けられるというのか。

 とりあえず前に向き直った。話を続けるにしても運転手としての務めを果たさなければ。

「その、茶色の他に、何かありませんか。特徴が」

「……四角、のようでしたね。あと……平べったい」

 コロッケ、は平べったいけど楕円か。まさかさつま揚げ、はおでんコーナーにあるだろうし。


「それと手前に『ハミチキ』と書かれた札がありました」

「それはハミチキ以外の何物でもありませんよ!」


 情報を出す順番を逆にしていただければこんな手間はかからなかった。李人氏は車が進まなくて暇だから遊びたかっただけなのだろうか。

「あれは食べ物の名前だったんですか!?」

 そう来たか!

「あのですね。ハミチキというのは商品名でして、一概にしていうところのチキンですね」

「チキン!?」

 予想以上の食いつきだった。

「あれがチキンなんですか!?」

「チキンを御存じない!?」

「いや……っ、知っています。知っていたはずなんですが……!」

 非常に動揺している李人氏の様子から、私はある仮説を立てた。李人氏は、一羽まるごとローストされたチキンしか見たことがないのでは?

「フライドチキン、というものがありましてね」

「“フライドチキン”!?」

 やっぱりか。富豪って、ただ脂っこくて体に悪いだけの食べ物って口どころか目にもしないんだな……と彼らの生態に見識を深める私である。いや、好きなんだけどね、フライドチキン。

「フライドチキンの中でも、コンビニチキンは基本、骨なしなのが特徴でして」

「骨がない!?」

 そう毎回復唱されると、なんだろう、とても気分がいい。

 ともあれ、私の説明を一通り聞いた李人氏は、案の定な提案をなされた。

「今すぐ、食べられませんか?」

 その提案に、私は難色を示さずにはいられなかった。

 渋滞中であり、寄り道している余裕がないことは先述した。加えて第一に、この通りには、駐車場が併設されているコンビニがない。今回のベンツ飯はお休みするしかない状況だ。じゃあなぜ書いた。

 答えは簡単。李人氏が“こんなもの”を食べたいと思ったら、そう簡単には諦めないからである。


 *


 突如、後部座席でドアの開く音がした。

 ぎょっとして振り返ると、李人氏が降りようとしているところだった。

「坊ちゃん、何を!?」

「ちょっとそこのコンビニに行って買って来ます!」

 確かに、この渋滞なら車は駐車しているも同然。あとは降りて買いにいけばいいだけ、なのだが、それは私が運転手でなければの話だ。生粋の御曹司である李人氏に、コンビニで買い物などできるはずがない。そう思ったから言及しないでいたのに、よもや自力でその結論に辿り着くとは。

「無茶をなさらないでください!」

「問題ありません。この前、見学させていただきましたから。欲しい物を言って、お金を出して、お釣りと商品を貰う――ただそれだけのことです」

 本当に、ただそれだけのことなんですがね。

「では!」

「坊ちゃぁぁぁぁぁぁん!」

 行ってしまった。こうなってしまったら、もう車内で帰りを待つしかない。ついでに私の分も買ってきてくださるだろうかと思いながら。何となく聞きたくなったので、オーディオを操作して『はじめてのおつかい』のテーマをかけた。

 その後3分もしないうちに、降車したときと同じ勢いで李人氏は乗車してきた。この間、渋滞はまったく進まなかった。

 おや、と気づく。転がり込んだ李人氏は手ぶらのように見えた。

「チキンは、どうされたんです。買えなかったんですか?」


「怒られました」

「あんた何した!?」


 衝撃の急展開。いったい李人氏は何をやらかしてしまったのか。というか、やっぱりこれって私にも責任があるんだろうか。あるんだろうな。みすみす行かせたしな。

 もしガバメント的なところに報告される類のやらかしだったとしたら……李人氏のベンツ車内での秘密の軽食三昧も明るみになるだろう。私がそれを黙認どころか幇助していたことも芋蔓式にバレる。

 やっべえぞ。

 これやっべえぞ!

 渋滞中のため、思うがままに頭を抱えられる。いや、私がすべきことは頭を抱えることではない。起こってしまったことは仕方がない。これ以上の泥沼にはまらないよう、現状を確認しなければ。まずは、なぜ怒られたのかを知らなければ。

「それで坊ちゃん……店員さんは、何と」


「『ハミチキください』と言ったら『うちはモーソンです!』と」

「なんだよもォォォォォォォォ!」


 びっくりさせるんじゃないよ、まったくもう。

 ひょっとしたら言い間違いかもしれないのに、それだけで怒るのはどうかと思う。

 いやでも、日頃からそういう悪戯に頭を悩ませているのかもしれないし、店員さんにもいろいろと鬱憤が溜まっていたのかもしれない。ハンドルを握り直し、冷静な思考を取り戻した私は、顔も見ていないのに心の中でクソ店員呼ばわりした店員さんに、心の中で許しを請うた。その代わりこちらもあなたの接客ミスは許そう。

 さて。

 さきほど李人氏が入っていったコンビニを横目で確認する。やはり、青かった(・・・・)

「坊ちゃん。ハミチキは、ハミングマートにしか売っていないんです」

「何ですって……」

「いま、坊ちゃんが入ったのはモーソン。ここで売っているのは『エムチキ』という名前のフライドチキンです」

「そうだったんですか……店員さんには、とんだ無礼を……」

「いや正直、それで怒る方もどうかしているので気にしない方がいいと思います」

「ではそうします」

 決断と切り替えが早い御曹司。

「ところで……なぜ、店舗ごとに名前が違うのですか?」

「さあ……申し訳ありませんが、私にもわかりません」

 当然の疑問だ。わざわざハミチキだのエムチキだの変な名前をつけないで、フライドチキンでどーんと構えてさえいてくれれば、「ハミチキください? うちはモーソンです!」などという悲劇も回避できるのだ。それぞれのコンビニの看板を背負ってしまったばっかりに、こんなことに……。

 後部座席で俯く李人氏の姿は、あまりにも寂しいものだった。


 *


 さすがの李人氏も、今日はもう軽食を召し上がる気力などないだろうなと溜息をつく私である。買い物に失敗したことでメンタルはボロボロのはずだ。

 これは「所詮はお坊ちゃんだな」と笑える話ではない。あなたは、たとえば、注文の際に噛んでしまって恥ずかしい思いをした店に、次の日も何食わぬ顔で立ち寄ることができるだろうか。できるとしたらサイコパスだ。

 あるいは――


「桂藤さん、もう一度行ってきます」


 私は目を見開いてしまった。

「坊ちゃん、何度も申し上げますが、ハミチキはここでは……」

「ええ。ですので、エムチキを買おうと思います」

「……本当に、それでよろしいのですか?」

 行くというのは、先ほど店員に怒られてしまったあのモーソンだろう。李人氏の視線がそれを物語っている。なぜわざわざ、自らの傷に塩を塗るような真似を……。

「私はここで、エムチキを買わねばならないのです」

 強い信念のこもった瞳だった。

 そう、世の中にはこういう人間がいる。恥を恥とも思わない安上がりなサイコパスとは決定的に違う、チキンと、いやきちんと己の失敗を認めた上で乗り越えようとする者が。

「坊ちゃん……」

「確かに私は、一度エムチキを買うことに失敗しました。更にもともと食べたかったのはハミチキだった。しかしそれは、ここでエムチキから逃げる理由になるのか。答えは否です。私は先ほどショックのあまり、何も買わずに店を後にしてしまった。これは客としての道義に反することです。接客というサービスを無料で享受してただ立ち去るだけの客など……いや、それはもはや客ですらない。許されるべき存在ではありません。私は、一度足を踏み入れた店に、何か一品でも購入する胸を張れる客になることでそのサービスに報いたい……!」

 自分ではなく誰かのために奮い立つ、転んでもまた立ち上がるその姿。

「食べたいか食べたくないか、したいかしたくないか……それ以上に、通すべき筋が、あると思うんです」


 人はそれを、“英雄(ほねのあるやつ)”と呼ぶ。


 李人氏は再びモーソンへと出陣した。その雄姿を見送ることしかできないのは残念だ。戻ってくるまですることのない私はなんとなく聞きたくなったので、オーディオを操作して『スパイ大作戦』のサウンドトラックからメインテーマを再生した。今は『ミッションインポッシブル』と言った方が伝わるだろうか。

 すると、交通状況に異変が起こる。

 なんと、渋滞していた車が次々に動き出したのだ。

 まずいことになった。このペースでは、李人氏がチキンを買って戻る前に、このベンツも流れに乗ってしまうかもしれない。BGMも相まって緊張感が充ちる。とかやってる間に、前の車も動き出した。「あっ……あっ……」と思いながらも、私はアクセルのペダルを踏む。

 李人氏がモーソンから出て来るのがミラーに映ったのは同時だった。手にはレジ袋。嬉々とした表情を見るに、どうやら無事に買えたらしい。いや、良かった。

 そして李人氏が目の前にベンツがないことに気づき、こちらを向いて、遠ざかっていくベンツを確認して満面の笑みから真顔になった瞬間と、曲の〆がちょうど重なった。ジャジャーン。

 笑い死ぬかと思った。


 *


 結局、李人氏は50メートルほど走って、赤信号につかまったベンツに追いついた。今は後部座席に滑り込んで、肩で息をしている。

「どうして先に行ってしまうんですか……」

「あそこは駐車禁止なんですよ」

 駐車禁止ならしょうがない。

 私の中ではそれがノー異論でフィニッシュなのだが、李人氏はどこか釈然としていない様子だった。でもね、そもそもあなたが降りなければこんなことにはならなかったんですよ。

 なにはともあれ。

 私は李人氏にコンビニチキンの食べ方(切り取り線に沿って包み紙を半分だけ残し、そこを持って食べる)を口頭で指導し、さっそく召し上がっていただくことにした。

「なるほど、こうすれば手が汚れないので、使い捨ての手拭きナプキンもつけなくて良いというわけですか。ホットスナックというのは資源を削減する方針にあるようですね」

 そうなんだろうか。私が何か言う前に、李人氏は考えるのはここまでとばかりにチキンにかじりついた。骨なしチキンというものが初体験のためか、無意識に「芯」があると思しき場所を避けて食べていたようだったが、やがて外縁を食べ終えていよいよ残した「芯」に歯を立てたとき、本当に骨がないのかと実感して驚いていたようだった。

 口の周りの肉汁を包み紙で拭おうとしていたのはさすがに止めさせていただいた。資源削減を徹底するのなら理想的な姿だろうが、富豪的にも、庶民的にも、誉められた行為ではないことをやんわり説明して。

「ふう……やはり、“こんなもの”はじっくりと味わう前になくなってしまいますね」

 やはり特に感想はなし。だがそれは、李人氏にとって大いに満足したという星5つの評価を意味する。頭に何も浮かばずに物を食べられる、この車内での軽食を、李人氏は何よりも楽しみにしておられる。

 今回はがんばったご褒美として、私が李人氏に先んじて提案をさせていただこう。

「渋滞も抜けましたし、この分なら次の目的地にも余裕をもって到着できそうです。ハミングマートにも寄りますか。食べ比べをなさりたいのでは?」


「いや、べつに……」

_人人人人人人人人人人_

> いや、べつに…… <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

「あれっ!?」


「興味はありますが、ハミチキはまた別の機会にさせてください」

「ど、どうしてまた……」

 狼狽える私に、李人氏はちょっと照れたように笑った。

「まだ、エムチキを食べたばかりですし。どっちがどうとか、余計なことを考えながら頂きたくないので……今日は、これで満足です」

 いや……これは恐れ入った。

 他にどんな食べ物があろうが、今食べているものが美味しいならそれでいい。それは、私が李人氏に語った“こんなもの”の考え方だった。いつの間にか、すっかり自分のものにしてしまっているのだなあ。

「時に桂藤さん」

「なんでしょう?」

「エムチキをオーダーしたとき、一緒にバンズ――たしかハンバーガーのパンのことですよね――も勧められたんです。よくわからなかったので遠慮させていただいたのですが、どういう意味だったんでしょうか」

「ああ……モーソンでは、チキンに備え付けのバンズも別売りであるんですよ。つまり、チキンを具に、ハンバーガーにして食べませんかというお誘いですね」

「天才では……!?」

 それほどでも。いや私じゃないか。

 李人氏は両手を組み、せわしなく指を動かし始めた。

「……桂藤さん、ちょっと戻って、」

「 無 理 で す 」

 余裕ができたのは確かだが、逆走はありえない。

 食べたいか食べたくないかの前に、次の目的地に遅刻せずに間に合わなければならないという、通すべき筋がある。李人氏がご自分で仰った至言を、忠実に守る私である。

コンビニチキンです。

最後まで読んでくれたあなたは骨のある読者様です。

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