牛丼
李人氏(葦部李人)・・・御曹司。後部座席と上流の方にいる人。
私(桂藤さん)・・・・・運転手。運転席と下流の方にいる人。
無頼漢・・・・・・・・・注文は「頼みます」くらい言いなさいよ。
牛丼を食べる会・・・・・謎の組織。
ファーストフード。
昔はそう呼んでいたはずなのだが、いつのまにか伸ばさずに『ファストフード』と呼ぶようになってるんだねえ。しみじみ言うと、娘から「もうだいぶ前からそうだと思うんだけど」と指摘を受けた。マジで。
とは言うものの、音を伸ばさなくなったからといって特に困ったことはない。むしろ、firstではなくfastであると伝わりやすくて良いと思う。速さを追求した結果、間延びしなくなったのだろうか。もっと早くそうなっていれば「何でハンバーガーはファーストフードっていうの?」と尋ねた幼き日の娘に「世界で一番売れてる食べ物だから」とウソを教えることもなかった。
いや……人のせいにするのは良くない。単に私が一番フードだと勘違いしていただけです。ごめんね。果たして、ごめんで済んだかどうか。私の命運は賢明なる読者の皆様のご想像にお任せしたいところである。
さて。
のっけからハンバーガーの話をしたが、今回のお題はタイトルの通り、牛丼です。そう、日本のファストフード。よし、ちょっと強引だが出だしとタイトルを何とか合流させた。ペンとパイナップルとアップルとペンの如く。新しく幕を開けるには、パイナップルとアップルを貫通するペンのような、黒船来航のような、閉塞感に風穴を開ける衝撃が必要なのだ。いや、やっぱり風穴は開けなくていい。物騒だし。新しいことを始めろ慣れろと言われがちな中年にとっては、できれば、ちょっと、コツンと叩く程度でひとつお願いしたい。
ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。
ちょっと言ってみたかっただけです。
なお、私の頭を妻が「娘にウソを吹き込むな」とゴツンと叩いて出た音は、私の「ゴメンて」という呻き声であったことを併記し、これを先の問題の解答とするものである。いやあ、知ったかぶりはするもんじゃないですね。
*
こんなとき、である。
予想可能回避不可とはこのことで、誰もが思っていたとおり事態は収束せずに次の波が来た。今や会食は名指しで禁止され、李人氏が“仕事”で食事する機会もめっきり少なくなった。かといって、黒塗りのベンツの出番がまったくなくなったわけではない。遠出の不要不急ならざる用事がある時、御曹司を公共交通機関に乗せるわけにはいかない時、そのエンジンを奮わせるのだ。
無論、運転手と御曹司という、他人同士の感染対策は講じている。
ベンツは改造され、運転席と後部座席の間にアクリル板の仕切りができた。
ベンツ飯は感染対策を万全にしてお送りいたします。
とはいえ、罹るときは罹る。
ただの風邪だという方は、風邪ならひいてもしょうがないし、ただの風邪のわけないだろという方も、だったら防護を突破してくるのも仕方がないと、とにかく責めるようなことはせず、一日も早い回復をお祈りいただきたい。ちょっと説教くさくなってしまった、歳をとるとこうなるからいけない。要は、賢明なる読者の皆様は、賢明なる読者らしい振る舞いを、ということだ。よしなに。
そして賢明ではない私は、会食ってどんな話をしてるんですかぁ、と興味本位で李人氏に尋ねた。
大した話はしませんよ、という回答だった。
「前に話したかもしれませんが、大事なのは『食事を共にした』という事実なんです。この人とこの人が会っていたならこういう話をしたに違いない、と周りに想像させるのが目的ですね」
「ははあ」
「逆に、本当に大事な話がしたいときは、同じお店に別々の会合で申し込んで、途中で抜け出してトイレで話す、なんてテクニックもあるそうです」
割とサラリーマンと馴染み深いことやってるなあ、料亭政治。私も前の仕事では、トイレや喫煙所で他部署の同期と情報交換をしたものだ。我々がトイレや喫煙所で無料でやっていることを、高いメシ屋でやっているのだなあ。庶民は居酒屋に行くと愚痴しか言わないからダメだ。やはり料亭となると身が締まって仕事の話をする気になるのだろうか。経験がないからわからない。
御曹司専属の運転手として雇われたからには、いつかは高級料亭で御相伴を、などと夢想していたものだが、李人氏といっしょにベンツの中で高級料亭とは対極にある粗末なメシを食べているうちに、御曹司も庶民もなく会食そのものがダメになってしまった。
今日、李人氏が参列した会合も例年は食事会がセットだったのだが、社会的情勢を鑑みて食事会はなし。リモート環境が整っているにも関わらず、直接会わなければならない集まりとはいったい何なのか。それも興味本位で訊いてみたが、電子機器を使うとどうしても記録が残りますからね、とはぐらかされ、妙に凄みを感じたので賢明でない庶民らしく「はぁ」と返事しておしまいにした。
代わりに、この小説が一応グルメ的なアレだと思い出した私は、食いっぱぐれた李人氏のお食事の心配をすることにした。
「食事会がなくて後の予定がつかえていないとお話も弾んだようですな。もう七時過ぎです」
「ええ……もうそろそろ店が閉まってしまいますね」
時間短縮営業の要請により、飲食店の営業は夜八時まで。店じまいの支度も考慮すれば、営業時間ギリギリに駆け込んでくる客は歓迎されないだろう。終了五分前に暖簾をくぐって「あ~間に合った~!」は間に合ってないのである。あなたは五分で食べれても、作る方は五分でとはいかないのだ。
現在、すでに七時三十分を回っている。なかなか厳しい。
――と、思うじゃん?
「では、いよいよ坊ちゃんをお連れする時が来たということですかな」
「……何処へです?」
私は、にっこり笑って、冗談ですよという意図を込めながら述べた。
「修羅場です」
李人氏はすっかり青ざめてしまわれた。
そういえば私の笑顔は、不敵で怖いと評判なのだった。
*
営業終了五分前に駆け込んでも問題なく料理を提供してくれる店とは何か。
私は、牛丼屋だと答える。チェーン店の。
丼ものは、何も考えずに食べる“こんなもの”の代表格といっていい。定食を前にすると食べる順番を迷ってしまうし、三角食いを躾けられた育ちの良い読者様におかれましては、最初に計画を立てることだろう。丼に、それはいらない。必要なのは、目の前の獲物への、全集中。
中でも、牛丼ほど「かきこむ」食べ方に特化した丼は類を見ない。たぶん。
天丼やカツ丼などは、具のサイズの関係で、同じ丼に入ってはいるものの、どうしても具と米は別々に口に入れることになる。が、牛丼は違う。牛肉が薄いので、具で米を包んでまとめて口に運ぶことができる。つゆだくであればそれこそ飲むように食べられてしまうのだ。
私も残業を残業とも思わない独身サラリーマン時代にお世話になったものだ。十一時頃まで残業すると、何となく入ろうかという気になる店は、牛丼屋であった。お手頃な値段でお手軽な温かい食事。こんなに有難いことはなかった。
「そんな温かいお店が、どうして修羅場になるんですか?」
李人氏の疑問に、いかにも御曹司だなと私はほっこりする。
「先ほどの、私の思い出の中にヒントがあります」
読者の皆様にはおわかりだろう。店側が温かくとも、十一時頃まで残業していた客側がどれほど荒んでいることか。注文の際、ちゃんと「頼みます」まで言えない無頼漢だらけであった。そんな無頼漢は餌付けされた猫のように態度はそのままで昼食時にも現れ、さっさと牛丼をかっ喰らって次の仕事に向かうようになり、主に客サイドの問題で牛丼チェーン店の殺伐とした空気が作られていったのだ。すみません、私の話です。
「とまあ、脅かしましたが、その時代はもう終わりました」
景気減退、所得額の減につれ、殺伐としていた牛丼チェーン店に、迷い込むようにやってくる家族連れが現れ始めた。家族の外食の場がファミレスから、より安く済む牛丼チェーン店に移ったのだ。あるいは、もともと通っていた無頼漢が家庭を持ったのかもしれない。すみません、これも私の話です。
「修羅場だったのは、今はもう昔の話です」
バックミラー越しに、李人氏が安堵の表情になられたのを確認して、私は話を続ける。
「昔の話といえば、解禁になった当時、牛肉は高級品でしたからな。我々も幕末か明治開花の頃に生きていれば、逆に坊ちゃんの方が牛丼に詳しかったかもしれませんなあ」
ははは。とお笑いになる李人氏。
「すみません、知ってます」
「えっ」
「うちの界隈、牛丼好事家が結構多いです」
「まじすか」
*
李人氏曰く。
「明治開花の頃、牛鍋を白飯にのせたものが最初の牛丼と言われています。当時の牛肉は高級品でしたから、仰るとおり裕福な者しか口にできなかったでしょうね」
やっぱりとりあえずご飯にのせてみたんだ。日本人ってそういうところは今も昔も変わらないなあ。
「その後、魚市場の職人が仕事の合間に食べるものとして人気が出たそうです。そういうところは、現代でファストフードとなっていることに通じているような気がしますね」
「知っているだけでなく、お詳しいですな……」
すべて聞きかじりです、と照れるように李人氏は笑った。年イチで牛丼の歴史を振り返る機会があるからすっかり覚えてしまったという。いや、何で御曹司にそんな機会があるんですか。
「先ほど申し上げたとおり、我々の界隈には、お年をめすほどに牛丼を好まれる方が多くおられます。その方々が持ち回りで『牛丼を食べる会』を主催されていまして、私も御相伴に」
会合名の目的がシンプルで逆に厳かになるやつ。
「そのときは緊張して、何度食べても牛丼の味はよくわかりませんでした」
「あ、やっぱりいかにも『牛丼を食べる会』って具合のフォーマルな感じだったんですね」
李人氏は、理屈で飯を食う。食事を用意した相手の意図をも汲んだ完璧な食リポを心がけるあまり、この材料をこう調理しているのだからこういう味になるに違いない、と頭をフル回転させながら食べる。それもこれも、緊張しいで肝心なときに味がわからなくなってしまうから。
その問題が発生してしまったということは、和気藹々とした食事会ではなかったのだろう。
「どんな話をなさってたんですか?」
言ってしまってから、もしかしたらこれも電子データに残したくない話だろうかと嫌な予感がした私である。しかし李人氏は「大した話はしてないですよ」と気軽に答えてくださった。
「御老人のお説教を賜っていただけです」
不憫な。
「あ、いや、でも内容はいい話だったんですよ。被災したときにお前たちはどう動くかという」
「被災!? ちょっと牛丼から話が飛びすぎじゃないですか?」
「いえ、むしろ被災と牛丼は直結ですよ。少なくとも、我々の界隈では」
「ど、どういうことなんです?」
狼狽える私に、李人氏はちょっとした優越感を滲ませた表情で、解答をくれた。
牛丼を食べる会。年に一度の開催日は九月一日。
防災の日。関東大震災の発生日である。
災害は平等だ。
文字通り、上も下もなく、天地がひっくり返った。いくら財を持っていようが、差し出したところで天災は止まってはくれない。貧富の差なく被災し、後に残ったのは、築き上げてきたものが瓦礫と化した人々であった。
「等しく被災者となった人々は食べるものも同じになりました。その当時、露店で多く出ていたのが、すっかり庶民食となっていた牛丼だったそうです」
「肉が薄いと不平不満が……」
「いやいや……好評だったと思いますよ。『牛丼を食べる会』もそれがきっかけで発足したそうですし」
「そうなんですか?」
「震災があったこと、そのとき食べた牛丼のことを忘れず、語り継ぐ。それが、会の活動理念です。あと……また災害があったとき、各々がどのような支援ができるか。それを整理しておくこともありますね」
ははあ。
いや、なんというか。牛丼ってすごかったんだな。庶民と富豪の垣根を超える、最初の“こんなもの”だったのかもしれない。今まで早くもっと早くと平らげていてすまなかった。でもこれからもきっとそんな風に食べるんだろうな。すっかり板についてしまったんだもの。
「桂藤さんのお話を聞けて良かったです。牛丼が広く愛されているのは本当なのだと、はっきりわかりましたから。私も、炊き出し用の牛丼キッチンカーの出資者になることを考えてみます」
「そんなものがあるんですか……」
数奇なものだ。始まりは高価な食事だった牛丼が、いつしか庶民食となり、大変なことが起きたときに上流と下流をつなぐ架け橋となった。共に同じものを食べることは、今まで思っていたよりも特別な行為なのかもしれない。
「できれば、天地がひっくり返るようなことがなくとも、共に食事をしたいものです。私と桂藤さんが、同じ車の中で牛丼を食べられるように」
「私運転してるし、召し上がるのは坊ちゃんだけですが」
「え? なんですか?」
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> いや、べつに…… <
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牛丼屋の駐車場にベンツを停めて、李人氏のための牛丼をテイクアウトする間、同じようにテイクアウトしていく男性とちょっとの間だけ居合わせた。彼が戻っていった車は運送トラックだった。
早食い、というか滞在時間の短さを競う牛丼において、テイクアウトはいわば最速。巣ごもりが推奨されるこの時節、きっといつも以上に忙しいのだろう。人々の生命線たるトラックの運転手、その食事の生命線は牛丼屋。ほんと、何かあったときは頼りになる“こんなもの”だ。
がんばろう。思いつくまま呟いて、ベンツに戻る私である。
残業帰り、11時頃に牛丼が食べたかったあの頃。




