キセツ飯 ~月見バーガー~
俺(沖名)・・・・・・・田舎の竹細工職人。今、竹がアツいのを知らない。
菜代子・・・・・・・・・小都会に引っ越した流行に敏感な大学生。就活中。
李人氏(葦部李人)・・・御曹司。以前からリモート会議には慣れている。
私(桂藤さん)・・・・・運転手。まずリモートの意味をよくわかってない。
「……おお、映った映った」
読者の皆様におかれましては、このコロナ禍をいかにお過ごしだろうか。
ご無沙汰しております。ベンツ飯の運転手の方、桂藤です。
『桂藤さん。そろそろ『おお、映った映った』はやめませんか……?』
そして画面越しのリモート出演なのがベンツ飯の御曹司の方、李人氏です。
「え、映った映ったって言ってました?」
『毎回仰ってますよ。無意識だったんですか?』
こんなときでもなければ一生触れることのなかった最先端技術を相手にしているのだ。慣れないのはご容赦いただきたい。
そう。今は、こんなときなのである。
大変な状況だけどテイクアウトメニューが激増してベンツ飯にとってはネタの宝庫!――というわけにはいかなかった。そもそも李人氏がベンツで外出する機会がほとんどなくなってしまったのだ。
大財閥である葦部家の御曹司なのだから、感染の可能性がある振る舞いは御法度。今後の仕事はテレワークで行いなさい、と御父上からお達しがあったそうだ。
一方の私は、ベンツの運転手であることに変わりはないが、出張の機会が激減したため待機時間の方が遥かに多くなってしまった。なので、許しを得てタクシードライバーの副業をやらせてもらっている。給与はきちんと頂いているが、何もしていないのにお金が入ってくるのはどうにも居心地が悪いのだ。生活様式は新しくなっても、古い価値観はなかなか刷新できないらしい。
そんな新しい生活様式に則り、ベンツ飯もスタイルを変えて続けていた。
『時に桂藤さん、今日は……』
少々お待ちください、と私は紙袋を持ってくる。
『その袋。ハンバーガーと見ました』
「坊ちゃんもすっかりこの茶色の紙袋に慣れ親しんでしまいましたなぁ」
庶民たる私が「これは」と思った“こんなもの”を、モニター越しに李人氏に見せつける。
それが新しいベンツ飯です。罰ゲームじゃないのかこれと訝しむ私である。
だが、李人氏にとっては“こんなもの”との接点がなくなるよりはだいぶマシのようで、次はまだかとせがんでくれている。早く以前のように戻れれば良いのだが。
『おや。いつもと包み紙が違うようですが』
そこに気付くとはやはり御曹司。
私が手にしているのは、青と黄色が印象的な洒落た紙で包装されたハンバーガー。
「これですか。これは、月見バーガーといいまして――」
*
駅から出られなくなった。
いや、別に、駅が異界と化したとかそういった話ではない。ただ、普段はお山で暮らしている俺にとって、小都会の駅は異界と言ってもいい。言ってしまおう。ここは異界だ。閉じ込められた。
同じところをぐるぐる回っている気がする。出口が多すぎてどこから出たらいいのかわからない。
狸や狐に化かされた気分だ。もしやこの小都会は、山から下りた狸や狐が作り上げた、巨大な幻なのではないだろうか。
道を行く人々は前だけ向いて迷いなく歩くものだから、こっちがふらふらしているとぶつかりそうになる。仕方なく、壁にもたれて一息つく。そのままずるずると座り込み、どうしたもんかと思っていると、
「だからケータイあったほうがいいでしょ、沖名君」
そう、菜代子が声をかけてきた。
俺が身動きできなくなるのを見越して張っていたらしい。
「……おのぼりさんどころか、マジで山から下りてきた人って感じ」
菜代子は俺の、パンパンになった登山用リュックを見てそう評した。備えあれば憂いなしということで、思いつく限りのモノを詰めて来たのだ。というか、こっちはマジで山から下りてきてるからな。
「ほら、こっち。ついてきて」
「よくこんなところすいすい進めるな」
「まあ、なんといっても拠点ですから」
菜代子は俺と同じ山生まれの山育ちだが、小都会の大学に通う秀才だ。就職活動をする時期になり、いよいよこちらにアパートを借りた菜代子は、まるで前からここに住んでいたかのように馴染んでいる。スーツの着こなしも大したものだ。やっぱり山の中で納まるような奴ではなかったということだろう。かつてはやきもきしたものだが、いざ出て行ってしまえばそれはごく当然のこととして受け入れられた。
「沖名君はジジむさい」
「漫画のタイトルみたいに言うな。何だよ急に」
「猫背になってる」
何だそんなことか。これは職業病だとわかっているだろうに。
「手許を見ないといけないから、どうもな」
俺は竹細工を生業としている。職人と呼ばれる域にはないが、高校卒業して三年やっているから作業の数はそれなりにこなしている。背中が丸まるのは真面目にやっている証だ。
「それはわかってるけど、せめて子どもたちの前ではしゃんとしてよね」
んん、とがんばって胸を張った。
俺が山を下りてこんなところまで来たのは、菜代子に竹細工教室の先生をやってくれと頼まれたからだ。小学校の課外授業の一環で、教育委員会は地元の大学に企画を依頼し、大学はそれを生徒にボランティアでやらせているらしい。何のこっちゃ。
しかしこいつ色んなことに一枚噛んでるな。大学生って就活のネタ作りのためにここまでするものなのか、大変だな。先に社会人をやっている者として負けていられない。俺はますます胸を張った。
「バカみたいな歩き方しないで。恥ずかしいよ」
しゃんとしろと言ったのに。
しゃんとできませんでした。
セミ限界集落である我が故郷、竹矢部は例に漏れず少子化の真っ只中。その上、基本的に山に籠っている俺が子どもと触れ合う機会はあまりない。小都会の子どもは山育ちより大人しいかと思いきや、俺が用意していた「手作りアクセサリー体験」のプランは早々に「つまんない!」と放り投げられ、振り回されてもうへとへとだ。
「でも、竹とんぼ教室に切り替えてうまくやったじゃない」
あれは意外だった。竹とんぼこそ「ダサい」と言われるかと思っていたのに、子どもの食いつきがすごかった。勝手に大会まで開催されていた。菜代子がぶっちぎりの一位だった。大人げないやつめ。
あと、やたら竹を咥えたがる子どもが多かったのは何なんだ。
そして洒落のつもりで竹筒に入れてきた俺のおにぎりは、「忍者メシだ!」と興奮したガキどもに強奪された。もうひとつ持ってきていた竹籠は死守したが、おかげで俺は昼飯抜きのままもう夕方だ。腹減った。
「何か食べてく? 謝礼に奢るよ」
是非。
「せっかくだから、街!って感じのもの食べさせてあげる」
そう言う菜代子に連れられてやってきたのは、ハンバーガーショップだった。たしかに竹矢部にはない。奢りをお安く済ませようとしているのは見え見えだったが、俺は孫から肩たたき券をもらうじいさんのような気持ちで「やったあ!」と言うことにした。実際何でもいいから食べたかった。
ハンバーガー屋の店内はそれなりに混んでいて、少し待ち時間があった。その間に、菜代子はつま先でフロアタイルをコツコツ叩き「あー、今日はすっごいラク」とぼやいた。行儀悪いぞ。
「ここ最近はずっとパンプスはいてたからさー」
「パンプス?」
何だそれ。聞いたことない。
「靴だよ」
「え? お前いつも履いてるのってハイヒールじゃ」
「もー、あれはパンプスなの」
だんだん思い出してきた。菜代子が「新しい靴ほしいなー」なんてこれみよがしに俺の家に置いていったファッション雑誌で、パンプスっていうのを見た覚えがある。でも結局そのときもハイヒールとの違いがわからなかった。
あれだろうか、最近ではズボンをパンツと呼ぶという感じのやつか。菜代子が急にパンツパンツと言い出したときは「小都会でハレンチになって戻ってきた」と頭を抱えて当の菜代子に笑われた。何がおかしいんだよ、じゃあパンツは何て呼んでるんだよ。
「……まあ、確かにそのズックの方が気楽だろうな」
「これはスニーカー」
もういい。知るか。
匙を投げた俺は、黙って聞き役に徹することにした。最初から決めていたとおり。
就活がうまくいってないんだろうな、とは、菜代子から電話をもらったときから予想がついていた。
竹細工教室なんていうのも、俺を引っ張り出すためにわざわざ企画したのだろう。こう言うのも難だが、子どもが希望するほど人気があるとは思えない。
菜代子が俺に会おうとするのは、だいたい愚痴るときだ。
「何かさ、スーツでパンプスが普通で、これ以外はありえないって思って就活してたのに。好きな服装で来てくださいって言われたり、とは言ってもスーツだろうなと思って行ってみたらみんな私服だったり、どんなときもスーツとスニーカーなんて変な組み合わせでいる人がいたり、もうわけわかんない」
俺もわけわかんない。
「そういうのに惑わされない、自分らしさっていうのが大事なのよね。私も早く自分らしさ、見つけないとなあ」
自分らしさ?
「あ、順番きた。月見バーガーふたつください」
「月見バーガー?」
「ハンバーガーに目玉焼き挟んだやつよ」
ラピュタで見たな。いや、あれは食パンだったか。
「期間限定メニューなの。みんな買ってるでしょ?」
そういや、前に並んでいた人たちもほとんどが「月見バーガー」と注文していた気がする。
「今の時期はこれを注文するのが普通なの」
普通、か。そういうもんかねえ。
月見バーガーをテイクアウトした後も、菜代子の愚痴は続いていた。
言いたいことの焦点は「自分らしさ」にあるらしい。
「私もさ、興味があることには何でも首つっこんで、郷に入っては郷に従えってことで調子合わせてきたけど、八方美人って感じで、本当にそれでよかったのかなって」
茶色の紙袋の口をつまみ、ぷらぷら揺らしながら菜代子は先を歩く。
なお、靴は「これがパンプス。ちゃんと覚えてね」などと言って何故か持ち歩いていたモノに履き替えている。尖った踵がコンクリートをカツカツ鳴らす音は、やっぱりハイヒールだと思うのだが。
「何でもやりすぎて、何が本当に好きなのかわからなくなってるのかも。好きなことを仕事にしなきゃって思ってたのに、何か本末転倒って感じ」
俺は黙ったままその後ろを歩く。
「私って、ただ田舎から出たいだけのフツーの小娘だったのかな」
菜代子が、俺を話し相手に選ぶのは、俺が意見らしい意見を言わないからだ。菜代子にとって、助言は大きなお世話、反論は焼け石に水。ちょっとへこむことがあっても言いたいことを言い切れば、すぐに立ち直ってまた飛び出していく。それが菜代子と俺の当たり前だった。
「私らしさって、何なんだろう」
だから俺は菜代子を傷つける自信があった。
「自分らしく自分らしくって、うるせえな」
助言でなく、反論でもなく、悪態をついた。
正直、これまでにはなかったことだから、菜代子がどんな反応をするか読み切れなかったところはある。でもそれにしたって投げつけるならハンバーガーの紙袋だと思っていた。まさか履いていたパンプスなるものを投げつけてくるとは。股間にクリーンヒットしたせいで、俺は何も言えずに、パンプスを回収して離れていく菜代子を見送るしかなかった。
俺は菜代子が落としていった紙袋を拾い上げ、ハンバーガーを取り出す。
青い包み紙を開けてみると、どうやら中身は無事のようだ。
菜代子は「職人やって自分らしく生きてる沖名君にはわからない」と喚いていた。
「……悪かった、許してくれ」
益体もない言葉を零しそうな口をバーガーで塞ぐ。
歩きながらでも食べていれば、さっきの言葉を口に出すこともなかったのだろうか。
俺は菜代子が走り去った方向に背を向け、歩き出す。
これは許す許さないの問題じゃない。正解、不正解の問題でもない。菜代子と俺とで、出した答えが違っていた。ただそれだけの話だ。
だからこれは、交わり合うような喧嘩じゃない。
もっと単純な、平行線が続いていくだけの、別れだ。
振り向きそうになる両目で月を睨む。
でかい顔しやがって。殴ってやるから落ちて来いよ。クレーター増やしてやる。
そんな思いで柔らかいバーガーを噛み砕きながら、夜を歩く。
まっすぐ、まっすぐ歩いたつもりで、もとの場所に戻ってきてしまった。
「……何で戻ってくんの」
菜代子まで、戻ってきていた。
さて、月も出ていることだし、夏目漱石先生よろしくここで気の利いたセリフでも言えればいいのだが、月見バーガーを飲み込んだ俺の口が紡いだのは、ただの正直な本音だった。
「駅ってどっちだっけ」
この小都会は俺にとって異界だった。
タクシーを捉まえて、菜代子とふたりで後部座席に乗り込む。駅までと簡潔に伝えると、運転手はかしこまりましたと応じてタクシーは走り出した。
「で、お前なんで戻ってきてたの」
俺はただ道に迷っただけだが、ここをジモトと言い張る菜代子にそんなことはあるまい。すると菜代子は、履いていたパンプスを脱いで俺に突き付けた。
「文句言ってやろうと思って」
パンプスのヒールは見事に折れていた。
俺の股間って結構、立派だったのか。
「沖名君の沖名君にキズモノにされた」
ってそんなわけねーだろ。コンクリートの地面に叩きつけられて折れたんだ。
「沖名君の方は、何か言うことないの」
「言うことって……」
菜代子の方から、何か意見はあるかなんて求められたのは、もしかしたら初めてかもしれない。もっと細かく思い出せば「からあげにレモンかけていい?」ぐらいのことはあったかもしれないが、こいつ結局いいかダメか言う前にレモンかけるからな。ノーカンだ。俺もいいって言うつもりだったし。
ということで、俺はちょっとだけ背筋を伸ばした。
「短くまとめられないから、全部言うぞ」
俺があのとき言いたかったのは、つまりこういうことだ。
「月見バーガーだ」
「短くまとめてんじゃん。しかも意味わかんないし」
要するに、だ。
菜代子は期間限定の月見バーガーを注文するのが、今は普通なのだと言った。なるほど、ほとんどの客が月見バーガー月見バーガーと言っていたのはその通りだが、あくまで「ほとんど」だ。中には、迷いなく「ビッグバーガー」と言い切った人もいた。心から好きなんだろう。「みんな月見バーガーを買ってるけど僕は好きだからビッグバーガーを食べた」とか、俺が思う“自分らしさ”ってそういうもんなんだが、菜代子は「今はこれが普通だから」と月見バーガーを注文した。
馬鹿にしているわけじゃない。月見バーガーが食べたいって思ってるのに、それは自分らしくないなんて言って、無理して別のものを頼むのは息苦しいだろうってことだ。
いま、何が旬かわかっていて、大多数の人が好きなものに共感できて、それを期間内に実行できるというのは、それは才能なのだと言いたいのだ。自分らしくしか生きられない有象無象が欲しくても手に入らなかった、選ばれし者が持つ才能なんだよ。
「菜代子。お前は、八方美人で、何にでも手を出して、それをそつなくこなすのを楽しんでる。自分らしさなんて窮屈な世界には収まらない。それが俺の思う、お前らしさだ」
俺はその生き方を悪いものだと思わない。これが、この話は平行線だと俺が思う理由。
以上、実家の竹職人を継ぐなんて最短距離で自分らしい人生を送ってる者より。
俺の言い分を聞いたっきり、菜代子は黙ったままだった。これまでとは立場が逆だ。流されるままは嫌だと一度流れに逆らったら、これまでと同じように流れてはいけない。どこに流れ着くか、結局は身を任せるしかないのだ。
駅に着いた。タクシーが停留所に寄せたところで、菜代子が口を開いた。
「オシャレな靴プレゼントしてくれたら許したげる」
頬杖ついてた腕がズレてずっこけた。
俺が平行線だと思っていただけで、菜代子の中では許す許さないの問題だったのか。
だけど、それだったらちょうどいい。
先にタクシーを降りた俺は、菜代子に向き直って片膝をついて傅いた。
そして、ガキどもに奪われるのを阻止した竹籠を出す。
竹籠の中には、俺が菜代子に渡すために作った、竹細工のサンダルがある。
菜代子が置いていったファッション雑誌から、これなら作れそうだと思ったものを真似して。
履きやすいようにサンダルを並べてやると、菜代子はそっぽを向いていた。もしかして気に入らなかったのかと思い、どうした、と声をかけると、菜代子は「いや、べつに」と答えた。
そしていつも通りの澄ました顔で、俺のサンダルにそっとつま先を通した。
ぴったりなのは、お互いわかっていた。
*
「――というお客さんを乗せまして、月見バーガーの話してたので私も買いました」
『えっ』
「えっ?」
『いや、あの、それで終わりですか』
「終わりです」
『……』
「坊ちゃん? どうかなさいましたか?」
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> いや、べつに…… <
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