台風コロッケ
李人氏(葦部李人)・・・・・御曹司。うなぎはどうせなら旬が食べたい。
私(桂藤さん)・・・・・・・運転手。うなぎを食べるのを決めるのは妻。
台風・・・・・・・・・・・・こっちくんな。
コロッケ・・・・・・・・・・ものまね芸人/クロケットではないもの。
台風コロッケ・・・・・・・・お前は誰だ。
土用の丑の日、読者の皆様は何を食べてお過ごしになられただろうか。
我が桂藤家では、きっちり注文した上でうな重を食べた。夕食を堂々と店屋物で済ませられるチャンスなので、妻も子どもたちも大いに乗り気だった。むしろ、妻が早い段階で注文を入れて「その日は炊事しない」と意思表示してくれたので乗り気になるしかなかった。さらば、私のボーナス。
ところで、絶滅危惧種であるということは聞き及んでいるが、その割には以前と何も変わらずにうなぎが提供されるものだから、よくないことをしているという実感がどうにも薄い。そもそもなぜ、土用の丑の日にはうなぎなのか、そういうものだと聞いているだけで具体的なことは知らず意識も薄い。
スーパーの値札を見て庶民の思うことはひとつだ。
「うなぎ食べなきゃいけないのに高い!ぼったくりだ!」
情けない話だが、庶民とはかくも薄っぺらいのだ。
などと。
つい先日、自分が思ったことを他人事のように言ってみる私である。
あ、散々言ったけど今回はうなぎの話じゃありません。タイトル見ればわかりますよね。
*
夏の風物詩、風情がある。そんな風に言うには、いささか風みが強すぎる。おまけに雨や雷までついてくるのだから冗談にもならない。そんなんだから来なければいいのにと言われ続けている台風だが、今年はどうも様子が違った。
『この酷暑を吹き飛ばすことができるとしたら……』
『それは?』
『台風です』
そんな怪獣映画のようなやりとりが本当にあったのかは存じ上げないが、今年は暑過ぎてむしろ期待するような声もちらほらと見受けられた。今年は暑過ぎてみんな頭がおかしくなっていたのだろう。台風なんかが来て良いことなど何もない。ちょうど今、それを身を持って実感している私である。
「止みませんね……」
そして、後部座席の李人氏である。
「そうですね、かれこれ30分ですか……」
いつものように李人氏を乗せてベンツを回していたのだが、突然のゲリラ豪雨に見舞われた。細田守監督作品に出て来るような大きい入道雲が見えていたから嫌な予感やそうなる覚悟はしていたが、現実は想像を超えていた。別にタイムリープしたり人外の世界に迷い込んだりはしなかったしその程度なら想定の範囲内。想像を超えていたのは、雨足の強さだ。
視界不良により走行に支障をきたすと判断した私は、ベンツをスーパーの駐車場に一旦停めて、雨をやり過ごすことにしたのだった。人を乗せている以上、無理に運転を続けるのは良くない。
で、どうせ通り雨だろうと高を括ったらこのザマだ。
幸い、李人氏の次の予定までにはまだ時間がある。30分無駄にしたくらいでは何ともない。ただそれは、あくまで仕事に限っては、の話だ。
「時に桂藤さん」
「あ、イヤです」
「この時間がもったいないですね」
「絶対にイヤです」
「ちょうどそこにスーパーがありますね」
「イヤだっちゅうに」
つい言葉遣いが乱れてしまったことを深くお詫び申し上げます。
要は、タイムロスしても大丈夫な時間があるのは、坊ちゃんが手際よく仕事を切り詰め、私が裏道を駆使した時短ルートで稼いだからだ。すべては、ベンツの車内で“こんなもの”を食べるために。
「坊ちゃん、この雨ですよ。スーパーに辿り着く前に窒息します」
「そんな水中にいるわけじゃありませんし」
「雨に打たれる痛みを感じないだけ水中の方がマシですよ」
それに、と言いかけたところで、眩い閃光が視界の端をかすめた。そうそう、これについて言いたかったのだ。轟く雷音が心と体を震わせる。
何で知ったのかもう思い出せないが、雷が近いときは、下手にうろうろしないで車の中にいるのが安全なのだ。たとえ雷が車に落ちても、表面を伝って地面へと流れて行くから車内の人間は無事、という理屈らしい。
「わかりました」
「わかっていただけましたか」
「私が行きます」
「最もありえない結論を出さないで頂きたい」
俺はガンダムで行く……!とでも言い出しそうな顔つきだったが、たとえガンダムでも行かせられない。ベンツからガンダムに乗り換える間にずぶ濡れになってしまう。
「坊ちゃん、次のお仕事の前に濡れ鼠になるおつもりですか」
「濡れ鼠みたいに美しく生きられるのなら」
そりゃドブ鼠だ。厄介な歌を教えてしまったな、あとで車内プレイヤーから削除しておこう。
「とにかく、今はここにいてください。坊ちゃんだけでなく、車内も濡らすわけにはいかないんです」
「しかし桂藤さん」
無視することにした。今回ばかりはワガママを聞き入れるわけにはいかない。
「車内ならもう濡れてますよ」
えっ。
「こちらの方が乗って来られましたので……」
李人氏が両手で指し示す方へ視線を動かすと、後部座席に座っている人数が増えていた。
何だチミは。
*
「いや、すみません。自分の車と間違えて飛び乗ってしまいました」
思わぬ闖入者は、さすがに「変なおじさんです」とは名乗らなかった。何でも、スーパーで買い物をしている間にゲリラ豪雨に降られてしまったらしい。それで自分の車に戻れずにいたが、痺れを切らしてこの雨の中を突っ切ってきたのだという。なんという無茶を。
結局、車内は彼が乗り込んだおかげで濡れてしまったが、自分の車すら正しく認識できないような土砂降りの中に放り出すのも難だし、このままいてもらうことにした。普通ならまずありえない判断だろうが、その判断に至るには、まずありえない理由があったのだ。
「これが冷めてしまうといけないと思って……」
彼は、紙袋いっぱいの、きつね色で楕円形のブツを抱えていた。おそらく、出来立ての。
「これは……」
覗き込んでいる李人氏。そうか、これも安価な惣菜だ。自宅にしろ、会食にしろ、御曹司の食卓には並んだことがないのだろう。
「坊ちゃん、それはコロッケです」
「ものまね芸人さんですか?」
そっちは知ってんのかい。パーティに呼んだことでもあるのだろうか。
「おそらく、その芸名の由来です」
「では、この食べ物も何かの模倣なんですか?」
面白いこと言うなこの人。
「面白い発想しますね、坊ちゃんさん」
コロッケを抱えて来た彼と意見が合った。というか、やべえ、ちゃんと自己紹介してないから変な呼ばれ方してる。からかってるんだろうから仕方ないけど。
「その通り。コロッケはものまね料理です」
マジで、と驚いたのは私だけだった。
コロッケの彼によると、我々が「コロッケ」と呼ぶものは、もともとは「クロケット」という西洋料理を再現しようとしたものだったらしい。それが日本の食文化の御多分に漏れず、独自の進化を遂げた結果「クロケット」とは別物の料理となったのだという。
庶民的感覚で言わせてもらえばだからと言われても「いや、べつに……」である。
一方の李人氏は興味深い話を聞かせて貰った、とコロッケの彼とすっかり打ち解けたようだ。
「コロッケに詳しいんですね」
「いや、それほどのことは」
「コロッケがお好きだから、そんなに買われたんですか?」
「ああ、これは……今日は、特別です。台風なので」
違和感にお気づきいただけただろうか。
では、もう一度ご覧いただこう。
「コロッケがお好きだから、そんなに買われたんですか?」
「ああ、これは……今日は、特別です。台風なので」
台風だからコロッケを買った?
私にはその意味がわからなかった。李人氏もそのようで、私に解説を求める視線を送っているが、先に述べたようにわからないので悪しからず。知っている人に訊くのが一番だ。
「あの、何故、台風だとコロッケなんですか?」
当然、すぐ答えが返ってくるものだと思っていた。しかしコロッケの彼は、目を見開いたまま動かなくなった。誰か次の言葉を発するのを待つ間に、雷が一度落ちた。
「それは……考えたこともありませんでした」
ないんかい。
「えっ、じゃあ特に理由もわからずにコロッケを買い込んだんですか」
「台風にはコロッケだ、っていうから……」
「どなたが?」
「……誰でしょう」
月光仮面かい。
「結局、詳しいことはわからないってことなんですね……」
私としては、それでこの話を打ち切っても良かったのだが、李人氏は顎に指を当てて考える姿勢をとっていた。そして「では、こうしてはどうでしょう」と仰った。
「なぜ、台風の日にはコロッケなのか。私たちも一緒に考えます。それで納得していただける答えが出たら、そのコロッケをひとついただけませんか」
「いや何言ってんですかあんた」
「失礼。ふたついただけませんか」
「自分の分も欲しいって言ってるわけじゃないですよ私は!」
「わかりました。差し上げましょう」
「あなたもこんな理不尽な要求に応じなくてもいいんですよ」
雨宿り代としてなら貰っても構わないが。
「いえ、俺としても気になることなので。それに、暇つぶしだと思えば……雨も、まだまだ止みそうにありませんし」
窓ガラスは、絶えず生まれる水滴に埋め尽くされている。停まっている状態でこれなのだ、走らせたら何も見えなくなるかもしれない。このままここで、じっとしているしかないか……。
なお、お手軽にネットで検索しようにも、電波状況が悪いのかつながらなかった。何でこんなミステリみたいな雰囲気になってるのか甚だ疑問な私である。無人島に隔離されたわけじゃないんだから。
*
さて。
ナントカの日にはナントカを食べよう、という風習は、振り返ってみればそう珍しいものではない。正月にはおせちを食べるし、年越しにはそばを食べる。
だが、それらと比較しても「台風の日にコロッケ」は異質だ。
第一に不定期だ。
正月、大晦日とかっちり日付が決まっておらず、何月の第何〇曜日という指定があるわけでもない。台風の日、なんてアバウトにもほどがある。
第二に特別感が薄い。
おせちの豪華さは言わずもがな、料理ひとつひとつに意味が込められている。その点、そばは年中食べることができるので豪華さはいまひとつだろうが、今年一年の災厄を断ち切るという験担ぎがある。
コロッケにはそれがあるだろうか。どうも台風とのつながりは薄いと思う。
台風と何かしらの意味づけをするなら、台風の目玉にひっかけて目玉焼きとか、形状そのものをネタにしてドーナツとか。そっちの方がまだ可能性あると思いませんか皆様。少なくとも、コロッケよりは。
何故コロッケなのか。その謎が解けない。
「うーん、これはいよいよ迷宮入りですな」
いつの間にか、一番ミステリっぽい雰囲気に呑まれている私である。
「いえ、謎は解けました」
何ですと。
「桂藤さん、これは意味を求めてはいけない問題なんです」
「……」
「……」
沈黙に陥った我々に、コロッケの彼が「あの、」と助け舟を出した。
「『それはどういう意味ですか?』とか相槌を打った方がいいのでは」
「いや、さっき『意味を求めてはいけない』と言われたばかりですし」
「坊ちゃんさん、意味を求めて欲しがってますよ」
そこまで言うのなら、と私は「それはどういう意味ですか?」と復唱した。李人氏は満足したように頷くと、御自分の推理を語り始めた。いや、推理ってほどのことではないのだけど。
「台風コロッケについて、比較対象とすべき風習は『土用のうなぎ』です」
「土用って……うなぎの?」
あれって確か、夏バテ防止に栄養価の高いものを食べようっていう「意味」があったはずでは。そう指摘すると李人氏は朗らかに笑った。
「うなぎの旬は冬です」
「えっ」
「旬じゃないうなぎの栄養価なんて高が知れています」
そんなバカな。じゃあ何で我々は財布はたいてまでうなぎを食べているのだ。旬じゃないのに。
「……そうか、そういうことか」
コロッケの彼も何やら勘付いたらしい。あなたまでそっちへ行ってしまうのか。
「売れないものを何とかして売るための、人為的なキャンペーンってことですね」
気のせいか、彼の目つきが険しくなっているように思えた。
「はい。土用のうなぎは、それが始まりだったと通説で言われています」
なぜ李人氏が「土用のうなぎ」なんて庶民の俗事に詳しいのか、後で伺ってみたところ、経営学というか、世の中を動かす方法の題材として「うなぎはどうして旬でない夏に売れるのか」問題には昔から慣れ親しんでいたらしい。子どもにそんなことを教えるなんて、末恐ろしい。
「それはつまり、台風コロッケもキャンペーンの一環ってことですか? でも、うなぎとコロッケじゃだいぶ違うというか、共通点があるようには……」
私がそう言うと、李人はあっと小さく頭を下げ、「すみません、誤解させてしまいましたね」と仰った。
「比較対象と言ったのは、共通点が多いからではなく、むしろ対になるからです」
対になる?
「土用のうなぎは、売れないうなぎを売ろうと企業側が始めたキャンペーンです。その実績を受けて、他の企業も真似をして広まった結果、風習となった。売り手の宣伝ありきなんです。しかし、台風コロッケはいかがですか。そのような宣伝、今まで目にしたことはありますか」
言われてみれば、いや、確実にない。だって今日まで知らなかったのだから。
「私が思うに、台風コロッケという風習は、何の意図もなしに偶然広まったものだと思います」
「偶然ですか」
「ええ。それこそどこかの誰かが『台風だから備えてコロッケ買い込んだ』と、本人にとってはごく当たり前のようにやったことがそのまま真似されて広まっていった、という具合に」
うなぎは江戸時代から一貫して高価なものですが、コロッケなら安価なので気軽に参加しやすい、というハードルの低さも後押しになったのでしょう。そう李人氏は続ける。
「台風コロッケは、消費者が主体となった自主的なキャンペーンなんですよ」
なるほど。庶民の庶民による庶民のための、搾取する側が一切関わらないキャンペーン。そう考えると、確かに土用のうなぎとは対になるか。
「そこを踏まえると、発祥の出所も何となく予想はつきます」
どこなんです、と訊くと、李人氏は少し考えて言葉を選ぶようにして答えた。
「ネット、ですね。日頃、権力に踊らされるのをよろしくないと思っている……例えば絶滅危惧種になる前から土用のうなぎに反発していたような方々が多いようなので、台風コロッケの意味のなさに心が惹かれるものがあったのでしょう」
――だから、あなたも「誰が」言ったのかわからなかった。
李人氏は、推理の最後を、コロッケの彼へと向けた言葉で締め括った。
「……そうか、なるほど」
先ほどの険しかった目つきもどこへやら、コロッケの彼は、憑き物の落ちたような顔をしていた。
「俺は、誰に言われるでもなく、自分で決めてコロッケを買いに行ったんだった……」
そして彼の中で、何かが決着したようだった。
あとは、約束通りコロッケをおすそ分けしてもらってめでたしめでたし。
「あ゛」
変な声が出た。この段階になって、私はようやく李人氏がベンツでコロッケを食べようとしている理由を思い出したのだった。恐る恐る、コロッケの彼に声をかける。
「あの……この車内でのことは、どうか御内密に……」
葦部財閥の御曹司たる李人氏が、庶民の粗食を召し上がっていたなどという話が外に漏れるのは、何としても防がなくては……。
「ああ、それなら心配しないでください」
誰にも、言えませんので――
あれ、と思ったのも一瞬のことだった。その言葉の意味を問い質す前に、もっとおかしなことに気づいたからだ。
「坊ちゃん、コロッケの彼は……?」
「いらっしゃいませんね。いつの間に降りたんでしょうか」
いつの間に、というレベルだろうか。ドアを開け閉めする音も聞こえなかったのだが。
「まだコロッケもらってないのに……」
窓越しに彼を探そうとすると、土砂降りの雨はすっかり止んでいた。彼の姿はどこにもなかった。
李人氏と一度視線を合わせ、さっきまで彼が座っていた座席に視線を遣る。
湿ってすらいなかった。
時計に目を戻す。当初の予定から、ほぼ30分ほどタイムロスした具合だった。
雨が上がったので粛々と次の仕事場に移動した我々は、会談の相手から「いやあ、ゲリラ豪雨は強敵でしたね」と労いを受けた。ドアを開けた私、そこから降り立った李人氏ともども頭を下げる。
「おや、どうしたんですか。ずいぶんお疲れの御様子で。まるで、幽霊でも見たような――」
_人人人人人人人人人人_
> いや、べつに…… <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
*
後日。
李人氏は私と共に、ある病院を見舞いに訪れた。何でも、昨年の台風の日に買い物に出て吹き飛ばされて以来、意識が戻らずにいる患者が入院しているとの噂を聞いたからだった。だが、つい数日前に意識を取り戻して退院していったという。
お見舞いのコロッケは、李人氏と私とで美味しくいただきました。
結局のところ、時計が壊れていたのかもしれないし、話し込んでいるうちに座席が乾いただけで、あのコロッケの彼は、意識不明だった患者とは何の関係もない、行きずりの一般人だったのかもしれない。
それでも、あのとき企業の陰謀だということにせず、コロッケを買いに行くのを自分で決めたことだと納得させることができたのは、意味があったことだと思いたいのは、感傷が過ぎるだろうか。
最後に、賢明なる読者の皆様におかれましては、台風の中コロッケを買いにいったりするような真似はしないでいただきたい。約束して欲しい、私である。
※土用のうなぎの由来には諸説あります。




