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トースト

李人氏(葦部李人)・・・・・・・・御曹司。問題は解決まで済ませたいタイプ。

私(桂藤さん)・・・・・・・・・・運転手。問題を問題と思わず済ませるタイプ。

ピザマッドの宅配(真楠君)・・・・ピザの配達人。問題には受け身でいるタイプ。

 休日の朝といえば、我が家はもっぱらトーストである。

 家族の食事を一手に引き受ける妻が「土日の朝くらい楽したい」と零したのがきっかけだっただろうか。私も子供たちも「日本人の朝は白米と味噌汁でないと!」なんてこだわりはなかったので、トーストへの移行をすんなり受け入れた。使っている電子レンジにトースターの機能もあったから、新しく家電を買う必要もなかったし。

 私の場合はそんな感じなのだが、平日の朝がトーストという家庭も一定数あるはずだ。でなければ、パンをくわえながら「いっけなーい、遅刻遅刻ぅ!」と疾走するシチュエーションが普遍的なものになるはずがない。少なくとも美少女の家庭はトースト派に違いない。

 え? では、トーストを食べている私の娘は美少女なのかって?


_人人人人人人人人人人_

> いや、べつに…… <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


 ――などと言おうものなら、後で何をされるかわからない。

 かわいいと思っていることに偽りはないのだが、それを他人に向けて言いふらすのは気恥ずかしいし憚られる私である。


 *


 李人氏のスケジュールは、来る日も来る日も朝から晩までびっしりだ。早朝から車を回さなければならないことがしょっちゅうある。そういう場合、妻は私の出勤に付き合って朝食を作ってはくれないので、私の朝メシは李人氏を送り届けた後にどこかで、ということになる。別に愚痴に相当すると思っていたわけではないので、軽い気持ちで世間話として口に出すことに抵抗はなかった。

「それは申し訳ないことを……」

 が、その話をすると、御曹司らしからぬ態度で畏まってしまうのが李人氏だ。御曹司にとって一介の運転手の食事情など気に掛けるようなことではないのだが。もちろん、不平不満を言ったつもりはなかったと確かに伝えた。

「しかし、朝の『仕事』は細切れのスケジュールが多いですから。本来、桂藤さんが朝食を食べる時間からズレてしまっているのでは?」

「それは……まあ、そうですね」

 ゆっくり食べようと思ったら、午前9時、10時くらいになる。若者たちはこれをブランチというらしい。自分がそんな洒落たものを習慣化していると思うと少々むず痒い。

「それは、由々しき事態ですね」

 後部座席で、李人氏は両手を組んでそこに額を当てた。熟考のポーズだ。

「生活リズムが不安定になると、健康にも影響を及ぼします。手を打たなくてはなりませんね」

「いや、そこまで考えていただくようなことでは」

 と、そこで妙案を思いつく私である。

「ご心配いただかなくても、自力で解決できますよ」

「と、言うと?」

「トーストで簡単に済ませてきますから」

 そうだ。これまでの生活習慣から、トーストは土日の朝だけと思い込んでいたが、平日の朝に食べてはいけないという決まりはない。私ひとりの分だけトーストを焼いて、最悪の場合はそれをかじりながら出勤すれば良いのだ。

 先述のブランチといい、何だか最近、食習慣が妙に若返っていってる気がする。

「“トースト”」

「はい。朝の時間がないときや、遅刻しそうなときにはコレ、という代物ですね」

「遅刻ですか」

「それをくわえて走るのが定番なんですよ」

 これはジョークだ。李人氏ならたぶん真に受けるだろうなという前提の、ちょっとばかりやんちゃなジョーク。結局、李人氏はあまり良い反応を見せてはくれなかったので、特に「冗談ですよぉ」と言うことはなく流してしまったのだが。

 それを後悔することになるとは、このときは露とも知らない私である。


 *


 そしてこちらが翌朝の、後悔しきりの私である。

 やっべえぞ。

 久々にこれ、やっべえぞ。

 今日も早朝から車を回さなければならなかったので、有言実行でトーストを食べてから出勤してきた。妻からは「土日用に計算してるストックを減らさないで」と小言を言われたが、それは今日にでも買い足してフォローすれば問題ない。

 問題ない、はずだった。

 後部座席の李人氏が、その口火を切るまでは。

「すみません、桂藤さん」

「はい、なんでしょう坊ちゃん」

「一晩、じっくり考えてみました」

「何をでしょうか?」

「次にいただくのは、トーストが良いなと」

「はあ……」

 まあそういう流れになるだろうなとは、正直思っていた。

 その辺の喫茶店に入れば、モーニングセットのような感じでトーストがメニューにあるとは思うが、テイクアウトはできるだろうか。めぼしい店がなかったかどうか思い出していると、終わったと思っていた李人氏の話にはまだ続きがあった。

「しかし、お話をうかがう限りでは、状況が限定される“こんなもの”のようですね」

 えっ。そんな話、しましたっけか。

「私はできるだけ、いや是非、正しい状況で食したいと考えております」

「それは……ご立派なお考えかと」

「ありがとうございます。そしてそれには、桂藤さんの協力も必要なのですが……」

 だんだんと歯切れの悪くなる李人氏。何を言い出すのかとしばらく待っていたが、やがて李人氏は、


「いや、べつに……」

_人人人人人人人人人人_

> いや、べつに…… <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

「絶対ウソでしょ!?」


 私は嫌な予感がひしひしとしていた。

 こういうときの李人氏は信用ならない。信用してはいけないことに信用がある。

「ここで桂藤さんを巻き込むのは、ルール違反の気がします。それに、桂藤さんが自力で解決したように、私も見習って、自力で解決しなくては」

「いや、トントンと話を進めないでください。何するつもりですか」

 怖い。怖い怖い怖い。

「桂藤さん、私は――」


「自分の力で、遅刻します」


 私がエェェェェと声を上げるより早く、李人氏は後部座席のドアを素早く開けて、空中で体を捻りながらスーツは地に着けることなく、華麗に歩道へ降り立った。そしてそのまま逆走していった。

「坊ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!? エキセントリックすぎるだろ!!」

 次の瞬間、青信号になったので私は前に進むしかなかった。が、それで済むような話ではない。すぐにUターンして李人氏を追わねば。私はオーディオを操作して、『スパイ大作戦』のテーマをかけた。

 なんか、前もこんなバカをやったことあったなあと回想する私である。


 *


 さて、私が「やっべえぞ」になるまではあともう一段階ある。

 逆走しているといっても、所詮は人間の足。車で追いつけないはずがない。そう高を括っていた私は、李人氏が走りながら電話していたことを些事として気にも留めなかった。それが後に大誤算につながる。

 ベンツはすぐに李人氏に追いつき、併走を始める。

「坊ちゃん、車にお戻りを!」

「追いつきましたか……さすが桂藤さん」

「遅刻などさせるわけにはいきませんからね! さあ!」

 脳内では、私は窓を開けて手を伸ばし、その手を掴んだ李人氏が空中に身を浮かして車のスピードについてきている、という映像が出来上がっている。

 現実では時速20キロ以下でトロトロと李人氏を追い越し、先回りで路駐してドアを開けているだけなのだが。たぶんスパイ大作戦をかけっぱなしにしているせいだな。

 だというのに、なぜ私は見落としていたのか。汗を額に滲ませながらも不敵に口元を釣り上げる李人氏の姿が、それを思い出させてくれた。

 スパイ映画では、余裕を見せたら命取り。


 私がドアを開けて構えているその手前に、バイクが割り込んできた。

 そのバイクは李人氏を手早くピックアップすると走り去る。

 バイクは、見覚えのあるロゴを車体に貼りつけていた。


「ピ、ピザマッドォォォォォォォ!!」

 しまった。

 先ほど李人氏がかけていた電話は、ピザマッドへの注文の電話だったのだ。そうして呼び出されたのは、卓越した運転技術を持つバイトの真楠君。李人氏め、こんな隠し玉を用意していたのか。

 やっべえぞ。

 これ、やっべえぞ。

「だが……」

 おこがましいようだが、真楠君の技量は“知って”いる。追いつけないわけではない。私は冷静に、すぐさま追跡を開始した。お話の方も、ようやく「やっべえぞ」の私に追いついた。長かった。

 さて、ここからはハリウッド映画さながらの車がバンバン吹き飛ぶ激しいカーチェイスをお送りする。そう言いたいところだが、そんなことはない。赤信号に捕まればきっちり止まる。私も真楠君も、ハンドルを握る者として最低ラインの冷静さは保っていた。

「真楠君、君は……」

「俺は注文を受けただけだ」

 ヘルメットを被った横顔しか窺えないが、彼の気持ちは何となくわかる。機会さえあれば、もう一度走ってみたい相手がいる。ならばこれ以上、語ることはないだろう。

「だから謝りはしない……すまんがな」

 今すまんって言いました?

「桂藤さん、私も同じ気持ちです」

「……坊ちゃん」

「申し訳ないが謝りません」

 だから今……いや、もういい。そこはこれ以上問うまい。

「わかりました。では、これだけは聞いてください」

 遅刻は悪いことと知りながら、ちょっと謝っちゃってるけど、謝らないという姿勢には、何が何でも遅刻するという強い意志が伝わってくる。が、そもそも、遅刻は努力してするものじゃない。努力しなかった結果するものだ。ベンツから脱走してバイクをチャーターして逆走することは――もう、遅刻ではない。

 そう説得して、「最早、目的を果たすことはできない」ことを納得させる。そうして李人氏をベンツの車内に連れ戻す。私の脳内ではそのシナリオが完璧に描かれていた。

 だが現実はこうだ。

「坊ちゃん、何でもうこっちに戻ってきてるんですか」

 信号待ちしている間に、李人氏はベンツの後部座席に移ってきていた。

 その口はなんかもぐもぐしていた。口周りについていた赤いソースで、ピザトーストかなとなんとなく思った。

 ……もぐもぐタイムの間にどうやって喋ったんだ?


 *


 李人氏が真楠君にオーダーした内容は、注文したピザトーストを食べる間、バイクに二人乗りさせて欲しいというものだったそうな。真楠君にもウラをとったので間違いない。

 そして李人氏には更に別の思惑があったこともわかった。

「以前、車内にパンくずを零すと、何をしているのか勘繰られてしまうという話を思い出しまして」

 たしかにパン類を食べるときに私はいつもそう言っている。だから気をつけないといけませんよと。そしてトーストはパンくず製造の筆頭だからなあ。だからバイクに乗り移ってそちらで済まそうとしたのか。

「もちろん、公道に零さないよう細心の注意を払いました。あくまで万が一に備えてです」

 備え方、間違ってるんじゃないかなあ。

「それに……遅刻とはどういうものか、慣れておきたいなと」

「いや慣れてはいけないものなんですがね」

「あっ、失礼。弁えております。目的は、遅刻()()()()()()ことで、遅刻することではありませんので」

 ならばよし。

 いや、よくない。

「坊ちゃん、何だってこんなことを」

 バックミラーでチラ見しているだけだが、神妙な顔つきをなさっていることはわかる。ただの困らせるためのイタズラでないことは、とっくにわかっていた。

「現在、私のスケジュールの都合に合わせて、余裕をもって配車する関係で、桂藤さんの朝食の時間が削られています。互いのスケジュールを食いあっている状態です」

 そういえばそんな話もした。

「なので、私が朝食を“トースト”で済ませるスケジュールで組めば、逆に桂藤さんに余裕が生まれるのでは、と」

 ああ、そうか。私が発端か。

「……坊ちゃん。お気遣いいただけるのは有難いのですが、やはり今回のようなことはもう勘弁してください」

「申し訳ない」

「先ほど、謝らないと仰っていたのでは」

「あっ、そうでした。申し訳ない」

 いやだから……もういいか。いいや。

 私は記憶の中から李人氏の発言を拾い集め、今の姿に通じるひとつの答えを見つけていた。李人氏は「自力で解決する」と仰り、それに拘った結果、今回のような行動に走った。そういうことなのだろう。

 つまり、李人氏は、自立しようとしているのだ。

 それが何を意味するのか。どう転ぶにしろ私はそれほど悲観はしていない。いつまでも続けられるようなことではないと、わかっているから。ただ、それほど焦ることはないと、その意思だけは伝えておこう。そう思った私は、本心をそのまま言うことにした。

「それに、朝食をトーストにすることを負担に感じてはおりませんよ」

 だから、李人氏には気兼ねなく“こんなもの”を愉しんでいただきたい。

「しかし……いつもトーストだと業務の内申に響くのでは?」


_人人人人人人人人人人_

> いや、べつに…… <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


 ちょっと何言ってるのかわからない。

 なぜトーストだと内申が悪くなるのか。葦部財閥の人事部は朝は白米味噌汁過激派が牛耳っているのだろうか。そして私は、今回の李人氏の行動に感じていた最大の違和感の核心に触れることになる。

「必ず遅刻しそうな状況で食べるのがトーストの正しい作法なんですよね?」

 直接、私の口で答えるのは恐れ多かったので、オーディオを再生した。

 ♪『違う、そうじゃない』。

 トーストは、別にゆっくり食べたっていい。それが自由というものだ。




 そういえば。

 李人氏、朝食は御屋敷でしっかり食べてくるから、車内での“こんなもの”をトーストにしたところでスケジュール何も変わらないなと余計なことに気づいてしまった私である。

出だしで話をふっておきながら、桂藤家長女出て来なかったな。

余計なことに気づく作者である。

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