ベンチ飯 ~あんパン~
私(桂藤さん)・・・・・ただの無職。
娘・・・・・・・・・・・桂藤家長女。
子供・・・・・・・・・・公園に屯している子供。
引きこもり・・・・・・・ベンチに座った正面の部屋にいる無職。
「ねーねーおじちゃん」
「なんだい坊や」
「おじちゃんは何の仕事をしている人なの」
「どうしてそんなこと聞くのかな」
「昼から公園にいる大人はおじちゃんだけだから」
「なるほどねえ」
「仕事してない人なの」
「詳しくは言えないんだけどねえ。おじさんはこの公園にいなくちゃいけないんだ」
「公園にいるのが仕事なの」
「んー、そうだなー」
「これを見れば、わかって貰えるかな」
私の取り出した物を見た幼児は、すべてを悟った表情で離れていった。敬礼をしてから。ちゃんと通じたようで良かった。もう時代遅れかもしれないと思ったから……それともあの子の親が昭和フリークでいろいろ吹き込まれているのか。
公園のベンチで、張り込みをしている刑事に見えるように、私はあんパンをかじる。
職を失って、早一週間が経っていた。
*
リストラの兆候はあった。不景気の波は、私が長年尽くしてきた会社も御多分に漏れず飲み込んだ。同じくリストラ候補に挙げられていた馴染みの上司と二人で、リストラ回避のために奔走したものだ。この上司が、本当に支えてやらないとダメな奴で。事業に投資を受けられるかどうかが決まる大事な商談に、プレゼン資料を丸ごと弊社に忘れて来るという大チョンボをかましたことがある。その時、弊社まで戻って御社に資料を届けてフォローしたのが私だ。まさか、その上司から直々に肩を叩かれるハメになるとは思っていなかったが。
とまあそんなこんなでハローワーク通いを始めたわけである。この公園であんパンをかじっているのも、ハローワークでの受付の待ち時間を潰すためだ。最初は人脈を手繰って職を紹介して貰おうとしていたが、よりによって二人三脚でやってきた上司に肩を叩かれたこともあって、相手の話にうまく乗ることができなかった。軽い人間不信になっていた。頼りにするのをハローワークに切り替えたのは早い段階だった。過去形ばかりで居心地が悪いが本当に過去のことだから仕方ない。
過去は過去、現在は現在。
私の現在であるこの公園で人脈と言えるのは、毎日敬礼をしてくれる、刑事ごっこに付き合わせてしまっている子供。そしてベンチに座るとちょうど見上げて覗くことのできる、いつもカーテンの閉まっている部屋からたまにこちらを覗き返す住人。邪推でしかないが、あれはきっと引きこもりだ。自分より悲惨な状況にある私を見て心の安寧を保っているのだろうか。
ちょっと悔しかった私は、あんパンとセットで牛乳を買うようになった。本当はワンカップを買いたかったが、そこは節約だ。仕事が見つかるまでの辛抱だが、そう長くは続かないだろうさ。
*
二週間目に突入し、あんパンすら買えなくなった。
調子こいて牛乳を買い足してしまったツケが回ってきた。こんなことならコーヒーとかフルーツとかチャラついた牛乳じゃなくてプレーンな牛乳にしておけば良かった。
「……いや、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳じゃあ、そう簡単に金欠にはならないでしょう」
ベンチの隣に腰かけた男が正論をぶつけてくる。その通りだ。私はワンカップに手を出してしまった。やはり酒は身を滅ぼすのだ。これまでの人生でよくわかっているというのに。
「お酒を嗜まれるんですか?」
「ええ……」
「なるほど……あそこにベンツが停まっていますね?」
「はい」
「あなたがこれまで飲んだお酒の代金で、あのベンツが買えるんですよ」
「んなわけないでしょ」
断酒ごときでベンツが手に入ってたまるか。
「バレましたか……すみません、言ってみたかっただけなんです」
「あなたのベンツなんですか」
「いやあ……しがない運転手です」
運転手か。休憩を終えて、ベンチからベンツに(一文字でえらい違いだ)戻っていく男の背中を見て思う。タクシードライバーというのも悪くないな。できれば個人タクシーでやっていきたいが、いろいろと手続きが難しいだろうな。やはり雇ってもらう方が楽でいいか。
「おじちゃん」
今度は例の子供が声をかけてきた。私の人脈その1。その2の引きこもりは、先ほどまでカーテンの隙間を開けていたがもう閉まっていた。
「これ、あんパン。保育園の給食の時間に出たやつ」
「えっ……これを、私に?」
「うん。お食べよ」
アンパンマンか君は。
「アンパンマンすき」
「好きかー。そうかー」
おじさんも昔はアンパンマン好きだったよ。とりあえず見せておけば子供が大人しくなるからな、大人の心強い味方だった。それから、自己犠牲の精神とか、そういうくだらない深読み企画だか何だかで目にしてから、心のどこかに残っていた若僧の部分が刺激されてしまったわけだ。でも、いつまでも若いまま尖ってはいられない。愛と勇気だけが友達じゃやっていけない、あちこちが丸くなったおじさんになってしまったよ。丸くなったおじさんは、心を太陽に当てることを忘れてじめじめするようになっていたよ。
おじさんの体は、いつも湿っているものだ。魔法使いやってようがアイドルやってようが無意味に湿っている。湿った顔じゃ力なんて出るわけがない。おじさんは……おじさんは……。
なんて愚痴を子供にこぼすわけにもいかず、ただあんパンをかじった。
子供の「計画通り」という表情が強く印象に残った。あれはいったいどういう意味だったんだろうな、と人脈その2に問いかけるが返事はない。ただの引きこもりのようだ。
「あの子、アンパンマンは好きなんだろうがあんパンは好きではないんじゃないかな」
なるほど、つまり私に残飯処理を押し付けた、と。できる子だな……。
「感心するなよ、いい大人が」
ごもっとも。
そう忠告する、ふらりと現れた我が娘と、目を合わせられない私である。
*
「……で、子供からあんパンの施しを受けてしまったと」
「はい」
「どうしようもないね」
「……はい」
そんなエピソードを人に話してしまったのもそうだが、それを話した相手が娘で、更に娘に諭されてしまっている時点で輪をかけてどうしようもない。メビウスの輪から抜けられない。
娘は、ベンチで時間を潰す私の前に突然現れた。
「いつから気づいてたんだ? お父さんがリストラされたって」
「お母さんにお弁当作ってくれって頼んでたときから」
うっ……懐具合を気にして、昼メシ代を何とか浮かそうとした苦肉の策だった。子供たちの分でいっぱいいっぱいだと断られてしまったが。その結果、私はお小遣いのやりくりを失敗して昼メシにあんパンすら食べられなくなってしまったのだ。
「……お母さんに、報告する?」
「しないよ」
「えっ」
「めんどくさい」
「酷くね」
実の父親の一大事を、めんどくさいってそんな。
「お父さんも考えがあって黙ってるんでしょ。それを差し置いて私が報告したら……後々めんどくさい」
「あっ、いろいろ考えてくれてたのか。ゴメン」
「本当はお父さんが考えなきゃいけない分まで考えてると思うよ」
「本当ゴメン」
娘は、私と違って聡い。あわよくば家族の誰にも勘付かれないうちに次の職を得ようとしていたが、それは私が家族を見くびっていたということだ。見たくもないようなどうでもいいことまで目に入る、それが家族だからな。
「ま、黙っておくのは勝手だけどさ」
ベンチから立ち上がる娘。
「ダメだと思ったら言うこと。ダメだと思ってるのに言えないんだったら私が言うから」
「お前にわかるのか、父さんがもうダメだって時が」
「わからないし、わかりたくないから、早く仕事見つけないと言っちゃうかもしれないよ」
「お前は敵なの!? 味方なの!?」
娘はよくわからない高笑いをしながら帰路に着いた。時間をずらして帰るために、私はもうしばらくベンチに座っていなければならない。
頭を冷やすにはちょうどいい時間だった。
相手はフィクションの存在だが、それでも長い付き合いだ。それなりに思うところがあった。つまるところ、アンパンマンは、やり過ぎた。
来る日も来る日も「僕の顔をお食べよ」と自分の身を削ってきたのだ。そりゃ「ついていけない」となって、終いには愛と勇気だけしか友達がいなくなるさ。
だが。
アンパンマンには、一緒に遊ぶような友達はいなかったかもしれない。
だけど本当にダメになる前に、新しい顔を焼いてくれる人達はいた。
その人達との関係を何と言うのか……子供じゃあよくわからないだろうし、大人なら照れくさくて深く考えられない。だが、あえて名前を付けるなら――
「めんどくせーな」
名前なんているかこんなもの。
私は立ち上がった。明日は結果を待つだけじゃなく、久しぶりに伝手を頼ってみよう。隙間から見ているか引きこもり。私もがんばる、君もがんばれ。なんて、無責任なことしか頭に浮かばない私である。顔があんパンでできてたら、差し入れのひとつでもしてやれるのになあ。
*
ダメでした。
一日中駆けずり回ったが、いい仕事は見つからず。一日ぶりにハローワークの世話になり、またこうして公園のベンチに座っている。やっぱ人生、覚醒したぐらいじゃうまくいかない。
「おじちゃん、なんでまだいるの?」
子供までアタリが厳しい。なんだこのガキ、つめてーな。
「もう悪い人捕まったんでしょ?」
「うん?」
「昨日、逮捕されたって聞いたよー」
「う、うん?」
詳しく聞こうにも、所詮は子供の話だ。よく理解できず、敬礼する姿を見送った。ふと視線を上げると、引きこもりの部屋はカーテンが開いていた。私より先に立ち直ったのか。良かったような妬ましいような。次は、私の番だな――そう、爽やかに締めようとしたら、ベンチの左右を黒服の男達に挟まれた。
「どうも」
「……どうも。あれ、アンタ、この前のベンツの人……」
「少しばかり、一方的に話をしてもよろしいですか」
私は口答えしなかった。黒服を着ている奴は忙しい、という教訓はよく知っている。
黒服が言うには、私が公園を訪れなかった昨日のうちに、いろんなことがあったらしい。
曰く、私がこれまで引きこもりの部屋だと思っていた一室には狙撃手が潜んでいたこと。
曰く、私がその狙撃手に張り込みの刑事だと勘違いされていたこと。
曰く、私が姿を見せなかった昨日を好機と見て動いた狙撃手が、本物の刑事に捕まったこと。
「……勘違いとはいえあなたという『刑事』がいたからこそ尻尾を掴むことができたのだと。本来なら感謝状を贈呈したいところですが、殺し屋が動いている以上、不用意に氏名を公表するのは避けるべきだと判断がなされたので、申し訳ない。と、言付けを受けております」
「はあ……」
ちょっと待て。その口ぶりだと、あんたらは刑事じゃないな。刑事じゃないなら、あんたら黒服はいったい何なんだ。
「私は、その狙撃手の標的であった者に仕えている身でして」
「マジすか」
「雇い主が、是非あなたにお会いしたいと申しております」
「は、はあ。それで、その御方は……?」
「私です」
そう名乗り出たのは、今まで喋っていた黒服の反対側に座っていた黒服だった。何だこのドッキリ。
「どうかしましたか」
「……いえ。ちょっと急展開についていけなくて」
「ははは、まだまだ。これからですよ」
仕掛け人側からこれからだと告げられる方の身にもなって欲しい。私は昨日までただの無職だったのだ。何かしでかして、このまま内蔵を売るコースに突入していないかどうかだけを気にしている。
「時に、桂藤さん」
「何故、私の名を……」
「それはですね、覚えていたからですよ」
「内蔵の売り手としてですか」
「いえ。『謎の男』としてですよ」
謎の男。どういうことなんでしょうか。
「以前、仕事で御一緒したことがありまして。投資の件だったのですけどね。資料を忘れたとかで……絶対に間に合わないと思っていたのですが、難なく取って戻って来られたことがありましたよね」
あ。
じゃあこの人は。
「葦部財閥の、現当主の……?」
「まあまあ。そんなことより」
当人にとっては当たり前のことなのでしょうが、その相手をしている私は戦々恐々としているのですが。
「どうやって間に合ったのか教えていただけませんか」
「それはまあ、裏道を知っていたので……」
「やはりそういうことでしたか!」
「『やはり』って言いましたよね。読めてましたよね、絶対」
「卓越したドライビングテクニックと知識をお持ちなのですね」
「いや、いやいやいや……」
「そんなあなたに、是非紹介したい仕事があるのですが」
この時私は、こんなトントン拍子で仕事が決まっていいのかと疑念を抱いていた。
しかし。
家族のために、という想いから背を向けることはできなかったのだ。
いや、後から思い返せば、危ない仕事でも何でもなかったんですけどね。実際。
*
「ねーねーおじちゃん」
「なんだい坊や」
「おじちゃんは何の仕事をしている人なの」
「どうしてそんなこと聞くのかな」
「最近見てなかったのに、またベンチに座ってるから」
「んー、難しい質問だね」
「難しいの?」
「あそこにベンツが停まっているだろう?」
「ベンツって何?」
「おっと……」
ネタを仕掛ける以前の問題だった。善良な子供は、車の種類になど興味はないのだ。
「まあ、それは置いておいて」
「うん」
「おじさんはね、このベンチにいたおかげで、いい仕事を見つけられたのさ」
「……おじさん、やっぱり無しょ」
「さらばだ少年、強く生きろ!」
私は逃げるようにベンチを去り、休憩時間が終わるよりも少し先にベンツに乗り込んだ。
そこに乗り込んで来た李人氏が何かを察してか「どうしたんですか、桂藤さん」と声をおかけになる。そう来るなら、この言葉をもって、与太話を〆る私である。
_人人人人人人人人人人_
> いや、べつに…… <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
生存報告をするための外伝っぽい何かです。




